http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/530.html
Tweet |
(回答先: 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の58)・「雄略天皇は短命で、傀儡政権だった」 投稿者 どう思われますか 日時 2018 年 12 月 24 日 09:51:09)
・
@ 「記紀神話で遊ぼ」シリーズは、今回で終了します。
昨年の11月20日から1年以上にわたって投稿してきた記事ですが、今回で終了です。その理由は、それ以降は「神話」とは言えない時代に入りますから、投稿の趣旨に反します。
私の投稿の趣旨は、あくまでも、『お花畑として、記紀神話で遊ぼ』、です。また、それ以降の歴史は、数多くの文献も残されており、史実に反した『エー加減な記事』が書けないからです。
A 「疑問」を持つことが、大事です。
多くの「記紀神話」研究家は、古事記を基に研究します。日本書紀との違いを見ても、多くは、無視します。
また、「先代旧事本紀」に出会っても、「偽書説」に洗脳されているから、受け付けません。また、各地の神社の伝承にしても、「我田引水」、「自画自賛」だろうと、無視します。
(風土記との出会い)
ところが、「風土記」に書かれた内容が、記紀神話に類似するとき、あるいは、「違和感」を覚えるときに、「探究心」が呼び覚まされます。
風土記は、和銅6年(713年)に、元明天皇の勅命により、日本全国の国司に撰上を命じました。(古事記は和銅5年(712年)、日本書紀は養老4年(720年)でした)。
提出された文書は「解文(ゲモン・ゲブミ)」と題する報告書であり、歴然たる「公文書」でした。当然、公文書ですから、嘘や創作などは許されませんし、右大臣の藤原不比等を筆頭として、民部省の役人が精査したはずです。
すると、『風土記に書かれている事は、事実かも知れない』。『公文書だし、中央から派遣された国司が決済して中央に送っているのだから、わざわざ、嘘の創作をする理由も必要性も無い』。
このように、「小さな」疑問を持つ事が、探究心の出発点に成る事が有ります。
B 老婆心ながら。
古事記も、日本書紀も、ウソの「てんこ盛り」です。真実と逆のことも書かれて有ります。本文がウソで「一書」が本当のことも有ります。無関係な挿入文や歌に「なぞなぞ」が含まれています。系図もデタラメです。親子兄弟関係もイー加減です。
ですから、数多くの文献を重ね合わせ、時代考証に照らし、民俗・風習も考え、客観的に、合理的に、論理的に検証すべきだと、思います。
終わります。
▲上へ ★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ62掲示板 次へ 前へ
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ62掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。