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ギリシャの詩 5 本編1
たとえば、つぎの和歌を考えよう。
1、柿本人麻呂の歌
淡海の海 夕波千鳥汝が鳴けば 情もしのに 古思ほゆ
おうみのみ ゆうなみちどり ながなけば こころもしのに、いにしえ おもほゆ
万葉集 巻三 266 柿本人麻呂
さすが、世界史上でも1、2を争うほどの歌聖、柿本人麻呂の作だ。
最初のおうみのみ ゆうなみちどり で、なにもかも叙景している。
海と波、千鳥の鳴き声。波しぶきが飛び交い、塩のにおい、潮のにおいが、なぜかする。
もちろん、この 淡海(おうみ)は、悠久の歴史をもつ博多湾でしかない。
ながなけば で作者が泣いているのを暗示している。なぜか?白村江の戦いで
倭国が滅亡したからだ。いにしえ というのは、倭国の千年以上の歴史を見ているのだ。
だが、柿本人麻呂なる歌聖が、おうみと詠んだら、博多にきまっているのに、
古田武彦は、壬申の乱の近江を歌ったと、本に書いていて、わたしは仰天したものだ。
人麻呂が、近江を歌ったなら、近江に限定語をつけるはずである。
また、柿本人麻呂なる偉大な歌聖が、古(いにしえ)と、うたったら、
壬申の乱ごときものを指しているはずは、ぜったいにないのだと思う。
はてしない悠久の文明、九州倭国を指しているに、決まっている。
近江を歌う柿本人麻呂は、わたしには想像できないが、
滅亡した九州倭国を歌う人麻呂ならば、なんという歌いぶりだろうと感動する。
まさしく永遠の歌聖というべき人物が、日本に実在したのだ。
歴史をじゅうぶん理解しているはずの、古田武彦でさえも、この歌を誤解していた!
2、人類の 文芸史上最高位の評価を得ているレスボス島のサッポーの詩
さて、おなじような夕刻を歌っているギリシャの歌人サッポーの詩を見てみよう。
Sappho (サッポー、サッフォー)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/ancients/sappo4.html
104(a)
夕星(ゆうづつ)は
かがやく朝が、八方に散らしたものを
みな もとへ 連れかえす。
羊をかへし
山羊をかへし
幼な子を また母の手に
連れかへす。 呉茂一訳
他のでは
https://tsujimasa.at.webry.info/201104/article_1.html
The Poems of Sappho index - Sacred Texts
http://www.sacred-texts.com/cla/usappho/index.htm
ここの92番
http://www.sacred-texts.com/cla/usappho/sph93.htm
これは、呉茂一の訳が秀逸で、原詩にもまさるともおとらないできぐあいだ。
サッポー独特のはっきりした情景が目に浮かぶ。サッポーの宇宙は、単純で神秘だ。
アイオリス方言のため、柔らかいひびきであると書かれているが、わたしには不明。
リズムも不明。もちろん音楽がついていただろうが、不明。
だが、サッポー を理解するためには、クレタ文明を理解する必要があると思う。
さもなければ、中世のキリスト者のように、退廃的だとか、同性愛だとかトンデモに
満ちた評価になる。
人類史上最高峰の詩が、汚辱にまみれた理解になっていて、
サッポーは、なんども焚書にあい、消滅したのである。
サッポーは、女性だけの文芸や歌や踊りの学校を持っていたらしい。
神戸にある宝塚に似たものか?
これは、クレタ文明の伝統が、生き延びたレスボスやリュディアに残存していたと理解すべきだ。こういった中から生まれた詩であると、サッポーを理解する必要があるのだ。
ここには、クレタ文明の秘密に通ずるトンネルがあるのだと思う。
また、倭国にもあったらしいことが、倭人伝からも、博多の地名女山があったと記憶する。
サッポーの詩は、ギリシャ文化の下層、クレタ文明を理解して、はじめて評価が可能になるが、
あいにく、消滅している。クレタが消滅したから、サッポーも消滅したのだともいえる。
逆に、サッポーの詩の残った断片から、クレタの秘密に迫れるかもしれない、とわたしは希望を持つ。
詩は、歴史を理解して、初めて理解が可能になる面があるのだ。
そして、失われた歴史を復元できないかと、希望をいだくのだ。
3、夕ぐれの詩をもうひとつ。アルチュール・ランボー の詩
感覚 Sensation
夏の青い夕ぐれに、ぼくは小径(こみち)を行こう、
麦に脚(あし)さされ、小草を踏みに。
夢見心地、ぼくは足にそのすがすがしさを味わおう。
そよぐ風に無帽の頭をなぶらせよう。
ぼくは語るまい、なにも考えまい。
だが限りない愛がぼくの魂にこみあげて来るだろう。
そうしたらぼくは遠くに行くんだ、ずっと遠くに、ジプシーのように、
自然のなかを、ーーー女と連れだっているように幸福に。
1870年3月
高橋彦明訳 世界の名詩集 7 ランボー詩集 1967年刊 三笠書房
このランボーの初期の詩は、15歳のときの作である。まだ、かれは青春時代へすらも入っていない。後年の作のような、宝石が凝縮したような作風ではないが、抒情の詩想がいずみのようにあふれている。
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