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古典ギリシャの詩 4 美と真実がテーマとなる古典ギリシャの詩の理解には、ふしぎなクレタ文化の理解がいる
1、古典期ギリシャ世界とは、古いクレタ文化のルネサンスであった
この不思議な世界、クレタ文化については、なにもわかっていない。のちの古典期ギリシャ世界を見れば、古典期ギリシャ世界とは、古いクレタ文化のルネサンスであったことが、想像できる。
アカイア人の諸王たちは、紀元前1200年のころのミケーネ諸帝国の壊滅で、王宮はドーリス人に攻撃され、アカイア人の諸王たちは四散する。社会は、ギリシャ人戦士階級が支配し、戦士はいわゆるギリシャ市民となり、各ポリスで支配権力となる。アカイア人ピラミッドの頂点がなくなったわけである。これが、ギリシャの民主制といわれたのだ。アカイア人戦士階級が支配する都市国家群が、ギリシャの古典期世界なのだ。
ギリシャ市民といわれるものは、アカイア人戦士階級なのだろう。奴隷制の基本原理、人間への軽蔑は、かってと同じであっただろう。
なにが、民主制か、とわたしは思う。
2、クレタの世界が、なんだったかの一例として、クレタのノモスという法を考える
歴史時代に伝わったクレタのノモスという法を考えれば、クレタ世界が、いったい、どういった世界であったか?の一端がわかるだろう。いかに、現代文明とちがった、ふしぎな世界だったかわかる。クレタといえば、フレスコ画の華麗な美のみが、解説されるが、それでは片手おちだ。
・古クレタのノモスという法があったことを考えよう。
歴史時代に伝わった話では、クレタのノモスという法は、合唱で歌われ、道徳や人の生き方を説くものであったらしい。各ポリスは、独自のノモスという法を持ち、独自の音楽がつけられ歌われた。クレタの諸ポリスは、みな、その出来をきそいあっていたという。
クレタ島の東端の山のうえに虐殺から逃れ、歴史時代まで生き残ったエテオクレタ人の町プライソスがあり、そこからギリシャ文字で書かれたクレタ語の碑文が発見され、その語にノモスという語と町の名、プライソスが記されている。ノモスは、ギリシャの制度ではなく、クレタ文明から伝わったものだったのだ。
これは、ふしぎな話だとわたしは思った。日本の十七条の憲法のように、上から来たものでなく、ふつうの市民が法をつくりだしたものだったのだ。かれらは、どんな生き方をし、どんなふうに人生を生きたのだろう。クレタ島の中央部にゴルチュンという市があり、そこにはギリシャ最古の法、ゴルチュン市法典が、石壁にしるされている。クレタ島とは、法の支配する、現代に似た世界であったのだ。
古代エジプトにも、ノモスという言葉があり、たしか行政単位かなにかを意味した。ただ、クレタから輸入された言葉らしくて、実質的内容はなにもない。
これらノモスには、踊りさえもついていたかもしれない。のち、古典期の詩にリズムがあるのは、詩には踊りがついていたからだろう。歌と踊りがあったことは、ギリシャ悲劇で合唱隊がいたことでもわかる。詩と踊りと音楽は、渾然一体となっていたのだ。
踊りには、善い踊りと、野卑な踊りの区別がはっきりあったようで、喜劇かプラトンかアテーナイオスだったかには、ある男が、結婚の婿として踊ったら、嫁の父がそれを見て、野卑な踊りに怒って、舞台からひきずりおろせ、と、どなったのであった。
ギリシャが、クレタが、古代世界でもめずらしい、美を追求した世界だったのは、まるで、イタリアのミッレミリアの車のレースのように、さまざまなこういった文明要素を、市民がきそいあっていたからだろう。美しいのは、フレスコ画や土器だけではないのだ。あらゆる美と善、法と正義が追求され、人間性の真実が追求されたのだろう。わたしは、日本の謡曲にも似た人間味のある文芸があったのではないか、とさえ夢みる。
・クレタのフレスコ画などの、美はかねで買ったりしていたのではないらしい
もろもろの本をみると、これらのフレスコ画は、写実のようにみえて、写実ではない。様式化されているようにみえて、かならずしも様式化されてはいない、と書かれている。言葉を費やしても、まるで意味はない。これらは、美なのである。残るのは、後期ミノアのものが多く、美というより、やっつけ仕事にみえるが、元の原画は、美だったのだ。
フレスコ画や土器の、これらからわかるのは、かねで美術を買ったりしていたのではないらしいことだ。美術すべてにみちているのは、いきいきとした美と真実だ。かねで売り買いするのではなかったのだろう。そういった感じがする。ここには、なにか人間性の真実のようなものがある。こんなものは、すくなくとも知られる歴史にはない。われわれの現代文明とは、まるで異質な世界である。
しかし、後期ミノアのクノッソスのフレスコ画は、画家が命ぜられるままに、いやいや描いたという雰囲気にみちている。アカイア人・ミケーネ社会とは、支配層が、画家に命令して、いやいやでも絵を描かせる世界に変わってしまっていたのだろう。みせしめに画家の何人かを目の前で首をはねるようにしていたのだろうか。アカイア人とは、テロリストISISのような存在であっただろう。高名なギリシャ学者が、けっして口にしない言葉だ。
すこしまえの時期、テラ島噴火まえのアクロティリのフレスコ画は、これとはちがう。クノッソスのフレスコ画ほどの洗練度ではないにしても、ここでは画家は意欲的に描いている。アクロティリのフレスコ画を示そう。
Akrotiri
https://www.youtube.com/watch?v=1gb7g9w6fxo
https://www.youtube.com/watch?v=C7Hdh11YmeY
Knossos
https://www.youtube.com/watch?v=4XJd88cTRsU
https://www.youtube.com/watch?v=IebDHwASW7c
1:20 Rose この壁画のバラを見たくてクレタへ行ったのだ。アテネ国立博物館のほうにあったか、イラクリオンの博物館にあったか、ちょっと忘れたが、4000年たっても、微妙な色合いがすばらしいものだった。これは、ロザ・リカルディというバラ。暗室のなかの展示だった。いまも、ひと株、わが家に残っている。
だが、後期ミノアのクノッソスのフレスコ画は、もう、すでに、かねで美術を買う世界にちかい。われわれは、かねで絵を買い、かねで音楽を買う。それに近いものを感じる。そしてイルミナティ現代世界とは、すべてが、かねだ。「いまだけ、かねだけ、じぶんだけ」の精神が、すべてにみちている。アカイア人の世界とは、もうこれにちかい。
だが、このクレタ文明の世界は、美はかねで、買うという世界ではなかったようだ。音楽もかねとは無縁のものだったのだろう。中期ミノアのフレスコ画はほとんど残らないが、片鱗は想像できる。バラの絵は、それにちかいひとつだろう。
3、アナトリアの原ハッティ人の寄与・・・ 競技的世界
紀元前2000年にヒッタイト人の侵略でアナトリアの原ハッティ王族は、おそらくエジプトへ逃れた。おそらくは、ツタンカーメンの王朝がそうだ。これは、原ハッティ人の王族だと、わたしは思う。異国の人々が、エジプトの王朝に迎えられたのは、古代エジプトよりも、アナトリアの原ハッティのほうが、格がはるか上だったからだ。
ツタンカーメン王の暗殺時、原ハッティ国の宗教書がヘブライ人によって盗まれ、旧約聖書の詩編になったとわたしは思っている。なぜなら詩編104は、太陽神信仰の詩だからである。これは、原ハッティ国の宗教書の詩編だと思う。アリンナ太陽女神に捧げる詩であった。宗教によって、世界の中心を知る事ができる。それはエジプトでもシュメールでもなく、アナトリアの原ハッティ国が、世界の中心だったのである。ついでにいうと、旧約聖書の原型は、このツタンカーメン王からうばった原ハッティ国の宗教書であるのではないか、そう空想する。創成神話や歴史、詩編などの原ハッティ国聖書があり、そのエジプト語訳があったと思うのだ。
太陽神信仰は、小アジアのリュディアからイタリアへ移住したエトルリア人がもたらし、のちのイタリアの大聖堂には、正面には大きなバラ窓があるが、これが太陽女神アリンナ信仰の痕跡であり、マリア信仰にかたちを変えただけであると思う。ほんらい太陽女神アリンナは、野獣をしたがえた女王であり、ギョベクリ・テペ祭場ともおそらく関連する。ギョベクリ・テペの野獣は、太陽女神にしたがうものであった。
また、エフェソスのアルテミス女神が、野獣をしたがえた女王であるのは、このためである。
原ハッティ国は、多くの民族からなる都市国家連合だっただろう。紀元前1200年のヒッタイト帝国の崩壊で、イタリアに逃れたエトルリア人のことを考えると、イタリアのさまざまな文明要素は、ローマ帝国のものだと思われているが、かなり多くが、このエトルリア人の文化要素である。イタリアのスポーツなどを、競い合う風俗は、アナトリア起源のものだとわたしは思っている。これが、クレタへの原ハッティ人避難民が、クレタに美を競い合う風俗をもたらしたのかもしれない。
4、すべてが、滅んで断片だけが残る・・・古典期はここから花ひらいた
これらすべては、滅んでしまって、断片だけが残る。どこに?
イオニアの詩に残っているだろうか?。あらゆる古典期の文芸作品に残っているだろうか?。
彫刻や絵や美術作品に残っているだろうか?
そして、現代までも、民衆の文化として断片は残存している可能性がある。 一例は、ギリシャダンス、グリーク・ダンスだと思う。現代ですら、グリーク・ダンスは、ふりの原型は、わたしは洗練された動作だと思う。西欧の社交ダンスより、様式は洗練されていると思う。
Hasapiko-
https://www.youtube.com/watch?v=wkXDDy1jVeI new version
これら断片から、あるていどまでは、いにしえのクレタを復元できるかもしれない。
だが、コアな人間生活の全体像は、永遠にわからないだろう。永遠の謎なのだ。
つまり、ギリシャ文化とは、何重にも謎があるマトリョーシカ人形のようなものなのだが、コアになる中心部分はわれわれとは、まったく異質で、美と善と真実を追究した、まるで理解できない謎の文明世界なのだ。
古典期のギリシャのさまざまな文芸は、古いクレタの再現であり、みすぼらしいほどの再現でしかなかったかもしれないのだ。古典期のギリシャ悲劇とは、この人間の真実を追求したほんの一部分、断片にすぎないとわたしは思う。ギリシャ哲学もおなじだ。この世界の真実を追求したほんの一部分、断片の再現にすぎないだろう。コアなクレタ世界が、いったい、なにを、どんなふうにひとびとが考えていたか、ぼんやりわかるだけである。
知を愛する人がいたクレタ世界をわたしは夢みるのだ。
クレタの文明と原ハッティの文明の謎が、コアなのである。これが真の人類文化ではないか、とわたしは考えている。人類文化を価値あるものにした、真の黄金文明かもしれない。これらの類縁の文明のおおくは滅んでいる。たとえば、インダス文明などである。だが、この文明の、遠い東方の分派が、縄文文明であるとも思う。だから、この謎を解くひとつの道は、縄文文明の研究であろうか。
5、古典期ギリシャの文芸作品を鑑賞するときは
ギリシャ文化を、歴史的多層構造で見た場合、以上の要素を考えねばならない。いちおう目に見えるのは、古典期ギリシャの文芸作品である。それには、この歴史的多層構造が交錯し、見きわめられないほどの混乱の万華鏡状態であると思うのだ。だが、大別しては2重構造である。アカイア・ミケーネ社会とクレタ社会だ。
古典期ギリシャ人が愛したギリシャの詩は、こういった文明の錯乱の万華鏡を意識して、ギリシャ世界要素と先ギリシャ世界要素の存在、それらの融合を考えながら、読むという楽しみができるであろう。
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