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古典ギリシャの詩 1 詩とは、なんであるか。 美と真実がテーマである。
1、はじめに
丁寧版さんのおかげで、ひさしぶりに、こころはギリシャの世界へともどったが、肝心のギリシャの本も辞書も文法書も雑多な本に埋もれてみつからない。恥をしのんでいうとゴミ屋敷である。こうなった原因のひとつは、数年前の風邪症状だった。
今から思うと、とてもひどい風邪が、長く続いていた。ガース・ニコルソンの処置に出合わなかったら、いまごろは病院(死の絶滅収容所)の住民になっていたかもしれない。廃人か位牌になってたかも(笑)マクロファージや身体のさまざまな組織に潜むマイコプラズマということを理解していなかったため、数ヶ月おきに風邪を始終ひいているが、理由も対処も、とんとわからない、医療はまったく、あてにならない、という苦闘の数年間であったと思う。
辞書や文法書がなかったら、かりに古典ギリシャの詩の原文の本があっても、もうちんぷんかんぷんということで、入口にも到達しない。もはや、かっての情熱も半減しているのにも気がついた。なぜなら、UFO問題、人口削減問題をはてしなく調べにしらべていたからだ。それでも、イルミナティの醜悪さ、グレイ文明の冷酷さなどしか見えてこないのには、いいかげん嫌にもなる。わたしのギリシャの情熱を半減させた元凶だ(笑)。
それでは、ということで、詩の理解の前提になるギリシャの世界の解説をすることにした。ここには、日本の記紀万葉の鑑賞をするのと、似たような、ある大きな問題があり、避けては通れないと、わたしはいつも思っている。だれも、指摘はしないが。・・・なぜなら、西欧では、だれも言わないからだ(笑)
2、詩歌の理解
日本の記紀万葉の理解と古典ギリシャの文芸の理解の2つには、ある共通点がある。2重構造の日本文化と2重構造の古代ギリシャ文化があるということを理解しなければ、その詩歌はほんとうには理解できないと思う。
かって学生のころ、教科書で山上憶良の貧窮問答歌を、字面だけなんかい読んでも、なにも理解できなかったが、白村江の敗北と倭国の壊滅という歴史を知れば、手に取るように憶良が見えてくるのだ。
だから詩を理解するためには、文化と言語、とくに歴史と文化を理解しなくてはならない。記紀万葉は、真の日本古代史を理解しなくては、理解できないのだ。記紀万葉はじつは日本の文化ではないからだ。それは、紀元700年に滅んだ異国である倭国の文芸作品だからだ。
・日本古代史の問題・・・ 九州王朝問題、いわゆる邪馬台国問題
現今の歴史学では、倭国は存在しないことになっている。認めたら、過去数百年の日本古代史がめちゃめちゃになるからだ。どれだけ証拠が出てきても、史学会は知らんふりをするしかない。これは、これからもいつまでも続くだろう。日本には700年以前の歴史は、存在しないも同然である。もちろん、郷土には、700年以前の倭国世界が現存している。遺跡はかぞえきれぬほど存在している。郷土史家は、いっさいふれないが。
だが、700年当時さえも倭国は存在しないことが前提で、記紀万葉が編纂されているのだ。倭国は存在しないと遣唐使がいうので、唐側は日本国側に不信感を抱いたとある。なぜなら、唐側には、これと違う記録、倭国史である倭人伝が存在したからだ。
倭国は過去に存在しなかったことにされ、あらゆる記録はいっさい消滅されている。これは藤原鎌足の策謀か?つまり、現代と古代の2重になった隠蔽が、倭国にたいしておこなわれている。2重になった隠蔽があるということを、ここで指摘しておこう。
700年当時、隠蔽のため、倭国首都圏の地名も多くは変えられている。難波(なにわ)という地名が、海もおだやかな大阪にあるのは、このひとつである。ほんらいは、波が荒い外海に面した博多の地名であった。仁徳天皇は、博多にいたのだ!
淡路島もどうように、博多から大阪へ変えられているのは、謡曲や和歌にあるからなのだろう。博多に淡路があったとしなければ、謡曲や和歌は、整合がとれない。こんな地名の例は、何千となく例がある。
それゆえ、記紀万葉は理解することは古典ギリシャの詩を理解するのと同程度、それ以上の困難さや無理がある。ふつうは、言語が日本語だからいいだろうと、多くのひとは考えるが、九州倭国を理解することなしに、記紀万葉を論じても、何の意味もない。
この日本古代史の問題は、九州王朝問題である。いわゆる邪馬台国問題といわれる。
卑弥呼の邪馬台国が、魏志倭人伝の記事でたどると、どこであるか、という問題である。これはすでに、解決しているとわたしは考えている。古田武彦の九州王朝説で、なにもかも理解できる。くわしくは、古田武彦の本や関連本にある。いろいろあっても、九州北部、博多湾岸か、その近くという線はもはや、動かないだろう。
もちろん、それでは困る勢力は、近畿説をキャンペーンするため、きょうも見ると、ゴミ売り新聞社主宰の邪馬台国シンポジュームをひらくとあった(笑)。
さて、古田武彦にいくつかこの史観にそった万葉の本がある。はっきり覚えていないが、「人麻呂の運命」「古代史の十字路」だったか、万葉を倭国にもとずいて解説している。いま、パソコンが破壊されたので、しっかり確認できないが、故古田武彦のホームページがある。ここには、万葉の真の解説があると思う。
新・古代学の扉
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta.html
の、万葉の覚醒
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta2.html#man'yo
記紀万葉だけでなく、京都奈良の多くの建物は、九州倭国からの移築物である。桂離宮、三十三間堂、正倉院等。これらは九州倭国にあった異国の建物なわけだ。九州倭国とは、クラシック期のギリシャと同程度にわれわれからは、はるかに遠い存在なのである。京都の桂離宮もじつは異国の倭国のたてものだったのだ。京都のかなりの文化が、九州倭国からの移住者による九州倭国の文化の継続であろう。
同様のことが、古典ギリシャの詩についてもいえる。古代ギリシャの歴史と文化を理解しなくては、何の意味もない、とはいえないが、基本的な誤解をするだろう。
クラシック期のギリシャ人は、自国の歴史と文化をほとんど理解していなかった。暗黒時代という400年間の闇があったからだ。それゆえ、古典ギリシャの詩などには、いまの日本人が記紀万葉を読んで、それをもとにして、文芸作品を創作するのと似た、あやうさがある。そのことは、よく理解しておく必要がある。古典ギリシャの文芸を理解するのも、よほど注意しなくてはならない。
3、歴史的経過から古代ギリシャ文化は、すくなくとも2重構造以上になっている。
古代ギリシャ文化とは、2階建ての建物のようだ。先住民族系の文化のうえに、古代ギリシャ文化がのっかっている。ふつうは、うえの階(表面)しか、だれも見ない。
古典ギリシャの詩というのは、とうぜん古典ギリシャ語で書かれている。古典ギリシャ語とは、ギリシャの地で古典期ギリシャ人が話していた言語だが、その語彙の6割以上が、侵略された先住民族のものだ。文化的語彙のほとんど大部分、すべてといっていいが、この非印欧語系の先住民族のものだといわれる。この先住民族は、歴史時代では、クレタ島では、先住民族系のエテオクレタ人、アテネ市では先住民族系のペラスギ人として知られていた。
古代ギリシャ文化とは、高度に文明化されていた先住民族系文化のうえに、のっかった無骨で野蛮な古代ギリシャ文化であるわけで、歴史時代のスキタイ人のとほうもない野蛮さを、ヘロドトスは驚いているが、古典期のギリシャ人も、かってはとほうもない野蛮な民族だったのである。先住民族と混交したから、この自覚がヘロドトスにないのは、とうぜんといえる。
侵略した野蛮なギリシャ人は、先住民の男を殺して、女を奪い、奴隷にし、ギリシャ語を強要していった。これは、ユーラシアの遊牧民族では、あたりまえのことであった。ギリシャの奴隷制が議論されるが、なぜか、こういった歴史的経過の議論を、みなさけている。
戦争文明は、基本的にピラミッド構造の社会をもち、下部は征服した人々を奴隷にする。古代ギリシャに奴隷が存在するのは、必然だったのだ。侵略するまえのドーリス社会もおそらくは、ピラミッド構造の社会であり、下部は奴隷(おそらくドーリスよりまえのギリシャ人)ではあったと思う。先住民族ペラスギ人などは、避難民として、シリア難民のように、ちらばったか、虐殺されただろう。あるいは農耕奴隷になって食糧を産出することになった。上部は戦士階級である。みながいうギリシャ市民とは、ほんらいどうもうな戦士階級であった。
イルミナティの秘密結社の構造も同じである。ハザールの戦争文明が生み出したユダヤ秘密結社は、西欧を敵として征服した。ユダヤ迫害事件は、市民との戦争であったのだが、歴史ではユダヤ迫害は悪いとされて、すりこまれている。魔女裁判もおなじである。ハザールと西欧という戦争を仮定しない魔女裁判の論などは、何の意味もない。
イルミナティの秘密結社は、人類文化と混交しない。人類文化をむしろ軽蔑している。なぜなら、グレイが、人類文化を軽蔑しているからだと思う。イルミナティの敵は、むかしからいまも、われわれ市民なのだ。ケムトレイル兵器や気象兵器、サイバー兵器などで、いまやられているからよくわかる。まあ、われわれは、奴隷以下で、アリのような踏みつぶしてもかまわない存在なのである。
グーグルのウイルスマンが、へいきでわたしのデータを盗んだり、パソコンをこわすのも、わたしを奴隷以下の存在とみているからだ。あまつさえ、グーグル検索をつかって、わたしが人口削減計画は存在しないと書いているような検索結果を出しているには、びっくりした(笑)。
これから、わかるのは、グーグル検索とは、ひとを意図的に迷わせたり、フェイクに誘導する機能を果たしている。グーグル検索とは万華鏡なのだ。
新聞というウソメディアとまるで同じである。さまざまな検索エンジンがあるが、みなひとつのgoogleデータバンクからデータをもらっている。googleというより、CIAgoogleと呼ぶべきなのである。イルミナティgoogleとわたしはよんでいるが。
【注意】
なお、ギリシャとギリシアについて、
いつもギリシャとギリシアで迷うのだが、今回ギリシャにしておく。わたしの以前の投稿は、全部がギリシアのはず。久保正影の[西洋古典学入門」もギリシアである。だれだれ教授がギリシアで、これこれ教授がギリシャというようなことには関心がない。ギリシャにした理由はとくにない。気分(笑)
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