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(回答先: 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の48)・「景行天皇と、ヤマトタケル天皇の、兄弟対決」 投稿者 どう思われますか 日時 2018 年 10 月 15 日 10:46:04)
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@ 本文の付け足しですが、「新羅が、草薙の剣を盗んだ、謎」に、ご興味をお持ちでしょうか。
日本書紀の天智天皇の段に、新羅が、日本の国宝の「草薙の剣」を盗みました。
気になる記述なので、少し考えてみたいと、思います。
A 問題の記述。「日本書紀・天智天皇・即位7年・十一月辛巳朔」に、
『十一月辛巳朔、賜新羅王絹五十匹・綿五百斤・韋一百枚、付金東嚴等。賜東嚴等物、各有差。乙酉、遣小山下道守臣麻呂・吉士小鮪於新羅、是日金東嚴等罷歸。是歲、沙門道行、盜草薙劒逃向新羅、而中路風雨荒迷而歸。』
(簡略の翻訳に)
『天智天皇即位7年11月1日、新羅王たちに絹などの品物を与えた。11月5日、家臣たちを新羅に派遣し、新羅の使者たちも帰国した。この年、新羅の仏僧の道行(ドウギョウ)が、草薙の剣を盗んで、新羅に逃げようとしたが、途中で風雨に遭って、迷って帰った。(日本国内で捕まって処刑された)』。
B 当時の社会情勢。
天智天皇即位7年(668年)は、即位2年の「白村江」(663年)の大敗北で、百済が完全に滅亡した5年後になります。
白村江の敗戦・百済の滅亡以降は、唐と新羅の連合軍が、高句麗をボコボコにしようと画策し、唐・新羅・高句麗の3国とも、日本を見方に引き込もうとして、日本に使者を派遣しました。
(百済の完全滅亡は663年、高句麗の滅亡は668年9月(滅亡後は新羅と同調して再建の反乱を起こす)、新羅が唐に反発した戦争開始が671年です。
ですから、上記の、草薙の剣を盗んだのは、高句麗が滅亡した年で、唐の攻撃対象が新羅に向けられたときに該当します)。
C 草薙の剣を盗んだ、目的・理由。(推理)。
ア) 単に、欲しかったから。
イ) アンティークとして財産にしたり、高値のオークションの目的があった。
ウ) 新羅が、唐・新羅戦争を想定して、日本の神(アマテラス・スサノオ)を人質にしようと思った。
エ) 新羅が、新羅に降臨したスサノオの霊力の宿る剣を手に入れることで、スサノオの神威を新羅に引き込もうと思った。
D スサノオは、新羅に降臨した「新羅の軍神」であり「新羅の国祖」でもあった。
記紀神話に、スサノオは新羅に降臨しました。(その6の24)・スサノオは朝鮮に降臨した」参照。
また、新羅の成り立ちは、倭人がルーツといわれ、日本人と同祖との説が有りますし、王姓が「朴」・「昔」・「金」に移りましたが、「朴姓新羅」の王は日本人の説が有力です。
ですから、スサノオは、まったくの他人という訳でも無さそうですが、どうでしょうか。
E ★(余談ですが)、「草薙の剣」の霊的な意味。
「三種の神器」は、霊的意味の、「霊・力・体」を表すとされます。
勾玉は、自分の霊魂を表し、「曲が霊」は邪悪な霊魂、「真が霊」は正しい霊魂。
鏡は、自分を映す鏡であり、霊魂の反映。すなわち、物質化した肉体(人間)。
剣は、力の行使。思考と体験の反映。実際の行動。行為することは力の行使。
すなわち、「思考と体験」のために、行為する自分が勾玉。行為することが剣。行為の結果を省みることが鏡。
人間活動の意義とは、省みる、恥じる、悔やむ、畏れる、悟るの「五情の戒律」。そして、更なる意識進化、アセンション。
★ どう思われますか。
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