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★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。
★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。
@ ところで、「カグツチと文明と不幸の始まり」に、ご興味をお持ちでしょうか。思いますに、人間の「幸せ」とは何なんでしょうか。このカグツチの物語は、私たちの文明や文化生活に一石を投じているのではないかと思います。
A 記紀神話は、文明への警鐘を鳴らしている。
物語では、((その6の7)「イザナミの岩戸隠れ」でも触れましたが)、イザナミは、火の神のカグツチを産んだことを原因として、死出の旅路に発つことになりました。
(まあ、『始めからの設定であり、シナリオどおりに舞台が進行しただけだ』、と言ってしまえば、それまでですが)。
しかしながら、考えさせられる問題ではある、と思います。
『人間は、物質的に豊かになればなるほど、精神的には不幸になる』、という言葉も有るようです。
また、イザナギは、カグツチ(金属文明)を手に入れたために、愛する妻のイザナミ(美しき天然)を失い、茫然自失として、妻の亡骸(なきがら)に横たわって、泣き明かしたそうです。
B 縄文時代のほうが、不幸だったのだろうか。
日本の歴史は、(火の利用と土器の発明くらいしか知らなかった)長い縄文時代を経て、弥生時代に突入し、金属器の製造や米などの穀物の生産技術を手に入れて、大きく発展しました。
だからといって、縄文時代のほうが不幸だった、とは言い切れません。親子の情愛や、夫婦の連帯感などは、現代の私たちよりも強かったかも知れません。
その意味において、かえって、縄文時代のほうが、人間は幸せだったかも知れません。
C 人口の増加と平均寿命の延び。
日本人の人口は、縄文時代に何人いたかは全くの不明です。奈良時代の人口が300万人だとか、400万人だとか云われていますが、正確なことは分かりません。
(つまり、算出の根拠に「米」を用いていますが、縄文時代は、米の代わりに木の実や山芋や獣や鳥や魚などから、カロリーを得ていたからです)。
平安時代の人口が400万人だとか600万人だとか云われていますが、これも正確なことは分かりません。
江戸時代の初期で2,000万人だろうと云われますが不明です。江戸末期から明治初期の人口が3,000万人程度と云うのは常識的な見解になっています。
明治以降は、人口統計が有りますから正確です。明治22年(1889年)の人口統計では、男女合わせて3,947万3千人になっています。
(ちなみに、明治24年から明治31年までの平均寿命は、男42,8歳で、女44,3歳になっています)。
D (始めに戻って)、イザナギは、涙を抑えて、イザナミを葬り去った。
イザナギは、イザナミの亡骸(なきがら)を、出雲の国と伯伎(ハハキ)の国(鳥取県)の境の比婆山に葬ったと有ります。(古事記)。
(ただし、日本書記の第五段の一書の五では、紀伊の国の熊野の有馬村の説もありますが、どちらが正解でしょうか)。
(何で、『比婆山なのか』という疑問が出てまいりますが、よく分かりません。一つの見解としては、中国山地のこの辺りは、磁鉄鉱系列の非常に良質な鉄が取れるので、昔から、鉄を採取していました。
★ それと、言っては何ですが、記紀神話は、奈良時代を基点にして作られた「創作物語」ですから、万葉人の視点で書かれてあると思います)。
E 大国主の恋愛と鉄との関連。
福岡県の博多の山奥からは磁鉄鉱が採れるそうです。また出雲からは周知のとおり磁鉄鉱が採れます。また「因幡の八上姫」の山奥からも磁鉄鉱が採れます。
また「越のヌナカワヒメ」の富山の山奥からも磁鉄鉱が採れるそうです。(鉄で考えるなら、ヌナカワヒメは、糸魚川ではなく富山です)。
また、奈良県からはチタン鉄鉱が採れるそうです。
(ここで、磁鉄鉱とチタン鉄鉱の違いは、磁鉄鉱は比較的低温で溶けるので「野だたら」で生産できますが、チタン鉄鉱は高温でないと溶けないので、「ふいご」が発明されるまでは、見向きもされませんでした)。
ちなみに、「スサノオの鉄剣」はウソらしいです。古墳時代までの鉄は、国産ではなく、いわゆる「弁辰の鉄」を輸入していたという、鉄鋼の化学的分析結果が出ているそうです。
また、各地の古墳から出土する鉄製品は、ほとんど全部が「弁辰の鉄」であり、国産の鉄は無いそうです。
また、出雲の古墳時代以前の遺跡からは、製鉄の跡が発見されないそうです。(要確認)。
F (元に戻って)、イザナギが、カグツチを切り刻むほど、鉄器文明が発展した。
((その6の7)「イザナミの岩戸隠れ」のFでも触れましたが)、引用しますと、
イザナギの剣の刃先からは、イワサク・ネサク・イワツツノオが生まれましたが、これは、岩を裂く「石ノミ」であり、(草木の)根を割く「鍬」であり、岩を打ち砕く「ハンマー」ではないかと想像します。
また、イザナギの剣の手元からは、ミカハヤヒ・ヒハヤヒ・タケフツが生まれましたが、これは、料理の包丁のことや、火箸のことや、刀剣のことかも知れませんし、あるいは「踏鞴(タタラ)」つまり溶鉱や精錬の「火」に関係が有るかも知れないと思います。
イザナギの剣の指の間からは、クラオカミ・クラミツハが生まれましたが、これは水に関係する神と思われますから、鉄の焼入れとか研磨に使う水とか、金山の土の洗鉱を意味するのではないかと想像します。
このように、イザナギは、金属文明への扉を大きく開いてしまいました。
G 最後に、(繰り返しになりますが)、縄文人は、はたして、不幸だったのだろうか。
縄文人の平均寿命は、(乳幼児の死亡率が非常に高かったので)成人に達してからの寿命は、16歳から20歳程度だった説や、20歳から30歳くらいまで生きたであろう説などがあります。
(縄文人は、成人に達しても、長くは生きられなかったようです)。
また、成人の身長は、男で158センチメートル、女で148センチメートルとの説が有ります。
これらの主因は、食糧事情だろうと思います。(現代人が高寿命で高身長なのは、食料が一つの要因だと云われます)。
では、『短命なのが不幸か』というと、逆に、長命だからといって幸福とは限らないと思います。
縄文人は、縄文人なりに幸せであっただろうと思います。しかしながら、押し寄せる文明の波には勝てなかったということではないか、と思います。
そして、物語は、イザナギとイザナミの「黎明期の時代」から、アマテラスやスサノオの「鉄器文明」の時代に進むことになります。
(すべては、プログラムであり、スケジュールであり、カリキュラムではないかと、想像します)。
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