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★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。
★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。
@ ところで、「イザナミの岩戸隠れ」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、イザナミはカグツチを生んで焼け死んだのではなく、単に使命を終えて、退場したに過ぎないと思っています。
A (はじめに)、記紀神話は、机上の平面図では読み解けない。
記紀神話を真面目に読み解こうとする人がいますが、必ず、壁にブチ当たってしまいます。
つまり、各段落ごとを他の段落と比較すると、矛盾や異論が出てきますが、どうしても一致させることが出来なくなります。
これは、記紀神話の構造自体に問題があるからです。つまり、記紀神話は、神界の話と、霊界の話と、現界の話がミックスされています。
神界というのは、「造化三神」と「神代七代」のことであり、アマテラスがいる「高天原」のこととは違います。高天原の元になる世界のことです。
霊界というのは、「高天原」のことであり、人間世界の「元」であり、「反射」でもあります。
高天原は、言ってみれば「幽霊の世界」という言い方も出来るかも知れません。
高天原には、天香山という山もあれば、「安の河」という川もあり、名前の無い「名なし雉」もいますし、人間世界と同じように人々(神々)の生活がありますし、喧嘩もあれば戦争もあります。
現界というのは、今の私たちの世界であり、歴史上の世界でもあります。また「映し世」でもあります。
B 古代人は、記紀神話が全く理解できた。
古代人が記紀神話を全く理解できたのは、現代人と違って、意識が神に近かったからです。
また、各豪族たちは、祖神が地上に降臨した伝承を持っているからです。
天孫降臨はニニギだけでは有りません。多くの神々が(霊魂として人間の肉体に憑依して)地上に降臨しています。
そして、豪族ごとに子孫に伝承された「神話」は、詳細には差異があるとしても、大局的には一致するものです。
その伝承の集大成・エッセンスが、「記紀神話」にまとめられたものと思います。
だから、記紀神話当時の人々は『なるほどなあ』と思いながら読んだと思います。
(中臣の「大祓祝詞」を真面目にやっていた時代です。今とは違います)。
C イザナミの、立ち位置や使命と、多重性について。
イザナミは、元々は「神代七代」の神界に所属する神であって、人間世界の舞台・ロケーションを作るために現れた神です。
イザナギと協力して、弥生時代に入るまでの日本の国土や自然を作ることが使命です。
人間としては、縄文人とか倭人を登場させる程度が、責任範囲だと思います。
そのために物質化して「人間」になりましたが、役目を終えると、黄泉の国(つまり死者の国)の責任者に転勤しました。
(その使命を終えたから、「人間イザナミ」は、人間のように朽ち果てて死んだと思います)。
また、イザナミの多重性としては、日本国土の根本神のほかに、山の民の守護神、出雲や越国の守護神、越系倭人の守護神などの性格が有ったものと思います。
(イザナギと対象形の構造になる)。
D イザナミは、単に、使命を終えたから退場しただけの話。
イザナミは、火の神のカグツチを生んで、そのときに大ヤケドをして死んだことになっています。
ですが、それは、物語の構成上そのような設定になっただけの話です。
大体が、神様がヤケドで死ぬことは有りませんし、生まれてくる赤ん坊が燃えながら生まれてくる訳でも有りません。
イザナミの使命は、イザナギと共同して、(山や川や海や木や草などの)人間世界の舞台・ロケーション・土壌を作ることです。
その使命を終えたから、もっともらしい理由を付けて退場したに過ぎません。要は理由付けです。
E カグツチの語意は、(人の手が加えられたところの)「土の神」。
カグツチは軻遇突智と書き、一般に「火の神」とされますが、本来の言葉の意味は、「カクの霊」か「カクの土」だと思います。
つまり、カグツチは、(諸説ありますが)日本書記の「神代・上」の第五段一書(二)の中で、イザナミが(最後に生んだところの)埴山姫(ハニヤマ・ヒメ)と結婚して、(蚕や桑や五穀を生んだ神であるところの)稚産霊(ワク・ムスヒ)を生んでいます。
(火の神と粘土の神から、蚕や桑や五穀が生まれるというのは、何かシックリしません。だから、カグツチは「土の神霊」だと考えるわけです)。
また、「カク」を、「天の香久山」の「カク」と同じ意味だと解釈しますと、「カク」は「掻き出す」意味だと思います。
たとえば、「神武東征」の話では天香山から粘土を取ってきた話があります。
「崇神天皇」の話では武埴安彦の妻の吾田姫が倭香山の粘土を取ってきて呪文をかけた話もあります。
ですから、香山(カクヤマ)の語源は、掻き取る山、「掻く山」であり、転じて「香山」になったと思います。
以上のことから、カグツチはカクツチであり、(自然の状態の土ではなく、人の手で掻き取られたり耕された土の神霊であるところの)「掻く土」ということになります。
そして、イザナミが死ぬ直前に生んだ金山彦(鉱山の神)と重なって話が複雑になるのです。
(次のFに書いたように)、カグツチは、精錬された金属製品になる子供を生んでいますから、その過程で、火を使って精錬するから、そこから転じて「火の神」になったのではないかと想像します。
(火の神というのは、カクツチ自身のことではなく、カクツチの子供を意味したため、それが転じて、カクツチを代表者として「火の神」になったものと想像します)。
F カグツチの存在意義は、金属文明への第一歩を踏み出すという意味です。
イザナギが、カグツチを斬ったときに様々な神が生まれましたが、金属の精錬で生まれた神が有ります。
イザナギの剣の刃先からは、イワサク・ネサク・イワツツノオが生まれましたが、これは、岩を裂く「石ノミ」であり、(草木の)根を割く「鍬」であり、岩を打ち砕く「ハンマー」ではないかと想像します。
また、イザナギの剣の手元からは、ミカハヤヒ・ヒハヤヒ・タケフツが生まれましたが、これは、料理の包丁のことや、火箸のことや、刀剣のことかも知れませんし、あるいは「踏鞴(タタラ)」つまり溶鉱や精錬の「火」に関係が有るかも知れないと思います。
イザナギの剣の指の間からは、クラオカミ・クラミツハが生まれましたが、これは水に関係する神と思われますから、鉄の焼入れとか研磨に使う水とか、金山の土の洗鉱を意味するのではないかと想像します。
(たとえば、出雲の砂鉄の採取では、膨大な水を使って洗い流しますから、川が濁るそうです。
徳川時代には、出雲の殿様が、砂鉄の採取業者と川下の百姓との紛争を、仲介をしていた記録が有ります。
米を作るよりも、砂鉄や鉄塊を売ったほうが儲かったそうです)。
つまり、弥生時代と縄文時代の決定的な違いは、金属の使用ではないかと思います。
火の利用や石器は縄文時代から有りましたが、金属、たとえば青銅器は弥生時代の初めの頃からであり、鉄器はそれ以降だと思われます。
G イザナギの使命と、多重性について。
イザナギの使命は、イザナミと協力して弥生時代までの日本を作ることと、弥生時代の主役であるアマテラス・スサノオを生み出すことです。
また、脇役としての(倭人の一派の)海人族を生むことでした。
使命を終えたイザナギは、淡路島(あるいは近江の多賀の説)に眠っているそうです。
(あるいは、高皇産霊神と共同して、(霊界の反射としての)人間世界をリードしていくために、高天原に残って、次に転属しなかったかも知れません)。
多重性としては、イザナギは、日本国土の根本神のほかに、海の民(海人族)の守護神、呉系倭人の守護神などの性格が有ったのではないかと思います。
(イザナミと対象形の構造になる)。
H アマテラスの使命と、多重性について。
アマテラスは、高天原(霊界)の主宰神ですが、トップスター女優の位置づけだと思います。
(ただ、本当は、高天原は、高皇産霊神が総監督で、イザナギが助監督だと思います)。
それから、アマテラスは、高皇産霊神やイザナギの分霊の説も有りますが、分かりません。
また、アマテラスには、2説あって、1つは、イザナギが一人で生んだアマテラスであり、高天原にいるアマテラスです。
もう1つは、イザナギ・イザナミの2神が生んだアマテラスであって、太陽として光り輝くアマテラスのことです。
この2説のアマテラスが、同一なのか別人なのかは、よく分かりません。
ただ、スサノオの高天原への乱入で、アマテラスが岩戸に隠れると、高天原と葦原中国の両方が真っ暗になったので、同一かも知れません。
多重性については、高天原のアマテラスは、隠れてしまいましたが、別の人間に憑依して現われているのかも知れません。
たとえば、邪馬台国の卑弥呼だとか、ヤマト・トト・ヒ・モモソ姫だとか、神功皇后だとかの諸説も有りますが、重要な局面での女性には、アマテラスの神霊が宿っていたのかも知れません。
★ 私たちが見ている太陽は、高天原かどうか、という疑問について。
アマテラスは光り輝いているので太陽と考えられますが、霊界の移写が現界ですから、本来、霊界の高天原は人間には見えない構造のはずです。
今、私たちが見ている太陽は、アマテラスのいる太陽とは違う太陽ではないのか、という疑問があります。
これに関連して、(地球の内面にあるところの)シャンバラ・アルザル・地底王国にも、地球の中心部分に太陽があるそうです。
一体、どうなっているのでしょうか。本当は、私たちが考えているよりも、もっと複雑な構造なのかも知れません。
I スサノオの使命と、多重性について。
スサノオですが、初めにイザナギ・イザナミの2神によって、アマテラスの高天原が作られる前の霊界に生まれました。
(霊界に生まれた根拠は、イザナギの「禊」で生まれたからであり、または、イザナギ・イザナミの2神の「神産み」で生まれたからです。人間では有りません)。
(スサノオの親には、イザナギ・イザナミの2神が生んだ説と、イザナギが単独で生んだ説がありますが、話が面倒なので省略します)。
スサノオは、地上世界の主宰神ですが、地上で人間活動をする人間の「種」を作り終えるまでが、その使命です。
つまり、(現界で人間活動をするところの)大国主とか大歳とかの祖神(オヤガミ)を作り終えると、その使命を果たして、「根の堅し国」へ転勤しました。
根の堅し国は、たとえると、現界の控え室とか管理室のようなもので、「黄泉の国」とは異なります。
また、地上世界の総監督は神産霊神ですが、イザナミやスサノオが助監督の位置づけだと思います。
ちなみに、大国主の窮地のときには、神産霊神が救済のために登場しています。
J 卑弥呼の呉系倭人(説)。
呉系倭人と言いますと、北九州の卑弥呼は、(魏略では)「呉の太伯の後裔」の説が有ります。
(また、別に、同じ魏略では『昔、夏后少康の子』とも書かれているので、「越系倭人」かも知れません)。
ただし、三国志では『自ら大夫と称す』、『夏后少康の子』とあるので、越系倭人の説になります。
また、(呉越戦争後の、あるいは楚越戦争後の)古代の半島人の大半は、呉系倭人(呉系韓人)と思われます。
日本と特に関係の深かった半島南岸東部の「加羅」には、呉系倭人や越系倭人が混在していたと言われています。
(ただし、「加羅」は越系倭人で、「安羅」は呉系倭人を意味する、という説も有ります)。
ちなみに、(「金官加羅」を創った濊族(ワイゾク)と考えられるところの)スサノオには、呉系倭人のほかに(新羅方面にいたとされる)越系倭人の血が混じっているかも知れません。
つまり、スサノオが『母に会いたい、母の国に生きたい』、と言った背景には、出雲(越系倭人)が隠されていると思います。
★ どう思われますか。
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