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パリ同時多発テロの後、国連の安全保障理事会は過激派組織「イスラム国(IS)」による一連のテロを非難し、ISとの戦いのために「あらゆる必要な手段を取る」ことを求める決議を全会一致で可決した。しかし、ISとの戦いについて、どうもイメージがわかない。ISとはどのような組織なのか。国際社会は何と戦っているのだろうか。国連決議ではISの支配地域の根絶も求めているが、それが簡単にはいかないことは、2014年9月から米国が主導する有志連合による空爆が始まって1年以上を経て次第に明らかになってきている。
中東や欧米からくる若者3万人を合わせて10万人以上いるとされる戦闘員を擁し、シリアとイラクにまたがる25万平方キロメートルを支配し、そこに1000万人以上の人口を抱える。住民から税金を徴収し、シリア東部デルゾールの油田を支配し、闇取引で莫大な収入を得ている。ISがアルカイダと大きく異なるのは、領土と領民を持っているということである。
ISとの戦いを考える時、すでに「組織」という枠を越えたISの実体と特性を直視しなければならない。ISはイラク戦争後、反米聖戦を掲げたヨルダン人のアブムスアブ・ザルカーウィーが創設した「タウヒードとジハード」として始まり、2004年秋にアルカイダに合流して、「イラク・アルカイダ」となった。「タウヒードとジハード」や「イラク・アルカイダ」には、占領米軍に対する「反米ジハード」のために、中東や欧米からムジャーヒディン(イスラム戦士)が集まった。
イラク戦争後に噴き出した暴力には2種類あった
イラク戦争のバクダッド陥落後、私は1年半の間、毎月のようにイラクに通った。当時、イラクで噴き出した暴力に、2つのパターンがあることに気付いた。自動車爆弾を使った自爆テロと、スンニ派地域で繰り返される米軍に対する軍事攻撃である。反米攻撃を行っている武装組織の関係者と接触し、米軍への攻撃を行っているのは、スンニ派部族が担った軍や共和国防衛隊の元将兵たちだということが分かった。
私が接触した反米武装組織のリーダーは、旧イラク軍の特殊部隊員だった。「米軍車両を待ち伏せ攻撃すると、米軍の武装ヘリの援軍が7分間で現場に到着するから、その前に現場から逃げる必要がある」と語った。「ヒット・エンド・ラン(撃っては逃げる)」方式のゲリラ戦術である。別の関係者は、旧イラク軍が放置した武器庫から押収したミサイルを改良して、米軍ヘリを撃墜する話をしてくれた。
私は当時、スンニ派地域を回って人々の話を聞きながら、米軍に対する民衆の怒りが広がっているのを取材した。そのような怒りに押されて、イラク戦争では戦わずに米軍に首都を明け渡したイラク軍や共和国防衛隊の主力が、米軍の占領と対テロ戦争の継続に反発し、「祖国防衛」のために米軍攻撃を始めたことが分かってきた。
大規模テロは本当にアルカイダの仕業だったのか
それに対して、自爆テロは、全く別の様相だった。新生イラクの警察署や軍の新兵登録の列、シーア派地区を標的とし、主な標的は米軍ではなかった。2003年8月にバグダッドにある国連イラク事務所がトラック爆弾で破壊され、執務中のデメロ国連事務総長特別代表ら少なくとも20人が死亡し、同月末にもシーア派聖地ナジャフで、金曜礼拝に行ったシーア派のイスラム革命最高評議会を率いるハキーム師を含む120人以上が死ぬ大規模爆弾テロがあった。
このような標的を決めて仕留めるようなテロは、情報収集、準備、実施はすべてプロの仕業である。国連事務所の中にも、シーア派モスクの中にも協力者を置き、標的の行動を監視して綿密なテロ実施計画を立てて初めて可能となる。当時は、それぞれアルカイダが関わっていると疑われた。確かに大規模で、世界を驚かせるような爆弾テロは、アルカイダを想起させる。
しかし、テロを行っているのがアルカイダだと考えると、大きな謎が生まれる。フセイン体制下ではイラクに浸透することができなかったアルカイダが、2003年4月の体制崩壊からわずか4か月しかたっていないのに、土地勘がないにもかかわらず、大規模なテロの情報収集や準備、仕掛けができるはずがないからである。
そのようなテロを実施できるのは、フセイン体制を支えていた「ムハーバラート(総合情報部)」と呼ばれる情報機関しか考えられなかった。ムハーバラートとは対外工作と国内治安維持の両方を担う治安情報機関・秘密警察である。周辺国から情報機関が浸透してくるのを防ぎ、逆に周辺国にはスパイを送って情報を収集し、時には暗殺やテロといった破壊工作を仕掛け、国内では反体制組織を監視し、軍や部族の不穏な動きに目を光らせる。
体制を支えた情報機関
フセイン大統領は軍人出身ではなく、アラブ社会主義を掲げたバース党の情報部門の責任者から政敵を排除して権力を握った人物であり、軍を信用せず、体制を支えていたのはムハーバラートだった。米国はイラク戦争後、ムハーバラートを含むすべての治安情報機関を排除し、職員を公職から追放した。その結果、フセイン体制の治安を維持していた治安情報機関が、米占領体制と、その後のシーア派主導体制の治安をかく乱する側に回ったのである。
ムハーバラートは占領米軍を相手に軍事作戦を行うような軍人的な発想ではなく、テロと破壊活動によって占領体制をかく乱する手法をとる。私は元ムハーバラートの職員で、キューバのイラク大使館での勤務経験がある「アブバラ」というコード名の人物にインタビューしたことがある。その人物は、フセイン体制の崩壊後、スンニ派地域の故郷に戻り、地元の警官幹部として働いていた。ムハーバラートの職員は表向きのIDや職務を持ち、家族でさえ、ムハーバラートで働いていることを知らないので、戦後、故郷の警察で職を得ることに問題はなかった。
アブバラが戻った故郷の州に駐留した米軍司令官がヒスパニックだったことから、キューバ勤務時代に修得したスペイン語を使って、地元の州知事の通訳をするようになった。さらに当時、占領米軍の下で、米国際開発局(USAID)からイラク復興事業を請け負っている非政府組織 「リサーチ・ トライアングル国際研究所」(RTI)に協力するコンサルタントとしても州議会議員の選出のために働いていた。
アブバラは、イラク警察とRTIコントラクターの2枚のIDカードを見せながら、「私の古い人生は終わり、新しい人生が始まった。どちらも国と社会の安定のために裏方として働くのは同じだ」と語った。旧体制では独裁制のために働いていた治安情報機関の人間が、戦後は米軍のもとで、イラクの民主化のために働くというのは、あまりに都合が良いようにも思えるが、どのような体制の下でも体制維持のために働くムハーバラートのテクノクラートとしての特性を示している。
「国」を倣い、アルカイダから脱皮してISへ
アブバラのような例は、全くの例外である。フセイン体制下のムハーバラートは、米軍によって新生イラク体制から排除されたために、反米聖戦を行うイラク・アルカイダと協力して、米占領体制をかく乱する側に回った。そのように考えれば、現在のISと戦う上でも、単純に「過激派組織」として対処するようなやり方では通用しないことが見えてくるだろう。
「イラク・アルカイダ」は、2006年に「イラク・イスラム国」と名称を変え、国防、内務、財政、教育などの大臣を指名して、「国」に倣ったイスラム体制をとった。「イラク・イスラム国」は2011年にシリア内戦が始まった後、2013年にシリア内戦に参加して「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」と名称を変え、2014年にモスルを制圧して、カリフ制の「イスラム国(IS)」を宣言した。
ISが掲げる「カリフ制再興」の考え方はイスラム政治運動の中で綿々と流れているが、それが戦後のイラクで実現したのは、延々と「過激派組織」として反米ジハードを行ってきたアルカイダ的発想ではなく、イラクのムハーバラートのように国を担ってきた「インテリジェンス=情報機関」的な発想と言えないだろうか。
情報機関は軍と同様に、非常に専門的な訓練と経験を必要とし、厳格なイスラムの実施を唱える大時代的な過激派組織が、一朝一夕で手に入れることが出来るものではない。ISが、25万平方キロ以上の地域を支配しつつ、高度で洗練されたメディア戦略を駆使し、巧妙な軍事作戦を多方面で展開しているのは、高度なインテリジェンス機能を有しているからと考えるしかない。そうでなければ、ISの「国」など一瞬にして瓦解してしまうだろう。
ISはカリフ国を宣言した後、イラクとシリアの支配地域で次々と地元の部族を集めて、忠誠をとりつけ、それをインターネット動画サイトYouTubeで公開している。逆にシリア政権軍についた部族を数百人規模で殺したとの報告もある。旧フセイン体制でも、忠誠を誓う部族のメンバーを重用し、道路整備などの便宜を供与したが、背けば残虐に力でねじ伏せた。ISによる「アメとムチ」の部族対策には、サダム・フセイン時代の情報機関の蓄積を感じるのである。
独誌が特集した元情報将校の機密文書
今年4月、ドイツのシュピーゲル誌に、ISの戦略を立案していたのはイラクの旧フセイン政権の元情報将校だった、という特集記事が出た。「ハジバクル」と呼ばれた元将校が2014年1月、シリア北部のタルリファトで自由シリア軍に家を襲撃されて殺害されたが、その自宅から31ページの機密文書を入手し、そこにISの戦略が記されていたという。
同誌で紹介されている内容は、まず各地にイスラムを広める宗教センターを開き、そこに集まってくる人を使って、その土地の有力者や有力家族のメンバーや資金源などの情報を徹底的に収集し、イスラムの教えに反している行動などの弱みも押さえる。イスラムの有力者と近づき、時には脅したり、誘拐したり、暗殺したりして、地域を支配していく。そんな情報機関ならではの方法が詳述されていたという。
この話はイラクの旧情報機関の地域支配のノウハウが、ISの地域支配として生きているということを示すとともに、そのディテールが興味深い。シュピーゲル誌の記事からは、イラク戦争後に米占領体制を失敗させるためにテロを始めた旧政権の治安情報機関メンバーが、いまISの中で支配地域を維持する役割を果たしているという流れが見える。
冷徹なリアリストとしての情報機関
ただし、ISの情報機能を元フセイン体制の治安情報機関が担っていると言っても、ISを支配しているということは意味しない。情報機関にとっては国が民主制か、独裁制か、カリフ制か、は関係ないことである。ISにはカリフ制を唱えて、厳格なイスラム法に基づいて統治しようと考える支配的組織または集団がいて、元イラク情報機関のメンバーは、その支配的意思を実現するために、民衆や部族を支配する地域対策などで役割を担っていると考えるべきだろう。彼らは冷徹な現実主義者であり、イスラムの実現さえ信じてもいないかもしれない。
ISはなぜ、残酷なイメージを誇張し、それをインターネットで発信するのか。あえて欧米を敵に回すような宣伝手法をとるのか。それもまた、ISの戦略であろう。90年代には米国による封じ込め策の下にありながら、度々米国を挑発し、緊張状態を作りながら、国内を引き締めた旧フセイン体制の常套手段が連想される。空爆だけで根絶されることはないという計算や、米欧が空爆に結束すればするほど、イスラム世界との亀裂が広がるとの計算もあるだろう。
米欧にとってISとの戦いは、米国の無謀なイラク戦争が生んだ「反米過激派」という怪物との戦いであり、それを支える情報機関というフセイン体制の亡霊との戦いでもある。しかし、怪物や亡霊が暗躍するのは、イラクやシリアのスンニ派の民衆の怒りや絶望をエネルギーとしているからである。米欧やロシアの空爆の激化が、IS支配地域にいる民衆の絶望を深めることになれば、さらなる泥沼へと進むだけとなろう。
http://www.newsweekjapan.jp/kawakami/2015/12/post-4.php
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