http://www.asyura2.com/15/senkyo195/msg/201.html
Tweet |
(回答先: 村山富市元首相「原則に固執しては政権取れず」:国策の変更は政権を取らずに可能:原則を投げ捨てるなら解党が正道←共産党も 投稿者 あっしら 日時 2015 年 10 月 20 日 05:10:17)
[政 その瞬間]自衛隊は憲法の認めるものだ(94年7月村山首相) 政権維持へ決意の大転換
1994年6月、自民、新党さきがけと連立を組んだ社会党から委員長の村山富市が首相に就いた。「自衛隊は憲法違反」「非武装中立」という党是は80年代からトーンを下げてきたが、政策転換まで踏み切ってはいなかった。
7月18日、国会で所信表明に臨んだ村山は「日米安保体制を堅持しつつ……」。20日の衆院代表質問では「自衛隊は合憲か違憲か」と迫る新生党党首の羽田孜に対し、「自衛隊は憲法の認めるものだ」と明言。議場は一瞬静まり、直後に拍手とヤジで騒然となった。21日も参院で非武装中立を「役割を終えた」と言い、連日、党の歴史的転換となる発言を繰り返した。
案の定、秋の臨時党大会で激しく突き上げられたが、村山が党内で左派に足場を置いていたのが逆に幸いした。政権を支えるため決定的な対立を避け、路線転換が追認された。
実は、村山は内閣発足の前に決断していた。首相就任にあたり、官房副長官の石原信雄が退任を申し出た。石原は竹下内閣から歴代首相に仕えた官邸実務のエキスパート。引き留められると、留任条件に「憲法と自衛隊と安保条約の問題だけは腹を決めてほしい」をあげた。村山は「腹は決めている」と答えた。
村山政権は被爆者援護法の制定、「植民地支配と侵略」の反省とおわびを明記した戦後50年談話など、社会党ならではの実績もあげた。それでも基本政策の大転換は党の衰退を招き、95年参院選で大敗。96年の衆院選前に分裂し民主党に多くの議員が流れた。
村山の首相辞任後は党名を社民党に変更し、2006年の党大会で「(自衛隊は)明らかに違憲状態」と原点回帰した。党勢回復は遠く、いまは衆参で計5議席の小所帯だ。
=肩書は当時、敬称略
(飯塚遼)
◆「政 その瞬間」は政治が大きく動いた場面を検証し、象徴する言葉とともに人間模様を描きます。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------
やむなしの声、圧倒的に強く
村山富市元首相 首相になる前に党大会をやって、党として認めた上で(政策転換を)やったらよかった。突然で余裕がなかった。幹部には相談した。賛否両論あったが、やむを得ないという意見が圧倒的に強かった。左派の非難を浴び、憲法学者からこっぴどく批判されることもあった。
[日経新聞10月1日朝刊P.14]
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK195掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。