http://www.asyura2.com/15/senkyo195/msg/200.html
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村山富市さんはいい人だと思うし好きな人柄でもある。
欧米支配層に媚びた「安倍談話」とは比べものにならないほど優れた「村山談話」を発したことも高く評価している。「村山談話」がなければ、アジア諸国とりわけ近隣諸国の関係は現在とは比べものにならないほどすさみ厳しいものになっていたと思う。
(彼の一存ではなく自民党や官僚機構と歴史的課題の波長がちょうど合った:保守政治家であればできない“汚れ仕事”を村山氏にやってもらったとも解釈できる)
護憲という原則については、かつて、旧社会党がどこよりも純化したかたちで保持していた。
革命政党である“はずの”共産党は、経過的戦術的には護憲を主張しても、原則は改憲(ないし憲法破棄)であり、自分たちがうち立てた政権(権力)を防衛するために軍事組織(軍隊)が必要だと考える政治勢力である。
自社さ連立で旧社会党が政権に取り込まれたことで、護憲の旗を掲げる主要政党は消滅してしまった。そして、社民党に衣替えをした旧社会党は、その存在意義が曖昧になり、党勢及び議員数を衰退させていった。
村山元首相は、政治的原則を投げ捨てたことを、「僕が総理を辞めた後に批判があったが、甘んじて受けた。それでも僕は間違ったことをしているとは思わないと言ってきた。社会党が本当に政権を取るつもりがあるなら、そんな原則に固執するのでは政権は取れない。大多数の国民の意思を尊重しない政治はない。だから屈しなかった」と総括しているが、二重三重に誤った政治論である。
まず、自社さ連立政権は、旧社会党が政権を取ったわけではない。多数派ではなかった自民党が政権与党に復帰する戦術として与党内でもめていた旧社会党を利用しただけである。
老獪な自民党のすごさは、社会党に較べると代議士数で圧倒的に多数でありながら、首班を少数政党の旧社会党に譲ったことである。
自民党幹部の卓抜した仕掛けで村山氏をはじめとする社会党執行部は、政権を取った気になり、村山さんのインタビューにあるように原理原則さえ平気で投げ捨てるに至った。
次に、政権に参加するために原理を投げ捨てるのは、政党の自己否定であるとともに支持者(旧社会党に投票した人たち)に対する最大の裏切りである。
さらに、村山さんは、自衛隊への国民の支持が8割ということを念頭に、「大多数の国民の意思を尊重しない政治はない」と説明しているが、立憲主義や護憲主義を標榜するなら、たとえ99%の支持があるとしても、違憲の政策は憲法を改正したのちに実施されなければならないと主張しなければならない。
97年の消費税増税(3%を5%に)も、村山政権が表明した政策である。
89年の消費税導入に対して強固に反対したことで参議院選挙に大勝利した政党が、財務省官僚にたぶらかされたにしても、まったく正反対の消費税増税策に転向してしまった。
村山さんがどれほど意識されているかはわからないが、現在に至るデフレ基調の不況は、97年の消費税増税によってもたらされたものである。その意味で、村山さんも重大な政治責任から免れることはできない。
政権を目指さない政党は存在意義がないという人も多いが、少しはましな世の中にしたいと思うのなら、政権を取ることなぞ考えず、個別政策ごとに対案や賛否を明らかにし、自分たちの政策を実現するよう迫るほうがずっと効率的で間違いも少ない。
中国やロシアを含めてだが、資本制経済世界のなかで生きている国家が選択できる政策の幅は極めて狭い。
誤った政策が多い現状の日本では変更ができる政策も山ほどあるが、理念主義的にこうあって欲しいと思っていることのなかで実現できるものは数が少ない。それどころか、良かれと思って実施した政策が、思わぬ結果をもたらし、狙いとは正反対の状況を生み出すことさえ多々ある。
(89年の消費税導入、97年及び14年の消費税増税もそうなった例の一つである。官僚は日本国あっての官僚だから、従米政策は別だが、間違っている政策でも日本のためになるといちおう判断して立案されている)
村山さんは、首相になった直後、やめたいと申し出た石原官房副長官に職にとどまるようお願いしたら、石原さんから「憲法の問題と、自衛隊の問題と、安保条約の問題。政権を担う以上、これに対する見解をはっきりしてもらわないとできません」と言われたという。
石原氏が提示した問題は、質(対米従属国として基本政策)はともかく、数としては微々たるものである。政権を担うとなれば、田中角栄元首相ほどの理念と政策立案能力がない限り、より多くの政策事項について自民党政権(官僚機構)の代理人として振る舞うしかなくなる。
今日この頃では、共産党が旧社会党と同じ轍を踏もうとしている。
共産党は民主党の方が自民党よりましと判断しているようだが、これまでの民主党を顧みれば、そんな保証はまったくないとわかる。
共産党からの選挙協力申し出に対する反応でもわかるように理念主義的で青二才の民主党にはできないワザだが、自民党は、共産党がキャスティングボートを握るほど議席を増やせば、政権を維持するために、共産党であっても連立を厭わないだろう。
ただし、労組に依存し自民党の政治に反対することだけで存在意義を保ってきた社会党とは違い、体系的な政策を提示できる共産党には慎重な対応が必要だから、首班を出させるようなことはしない。
「安保法制」を廃案にするという大義があるにしろ、そんなことをやるはずもない民主党主力の政権を樹立させるため、自衛隊もOK、日米安保体制もOK、場合によっては交戦権も行使するなどとこれまでの理念と原則を投げ捨てると言ってはばからない志位共産党は、完全にトチ狂っている。
一般国民にとって、政党や政治家は、利用する対象であって、支持したり入れあげたりする対象ではない。
理念と原則をしっかり確立し、どうやれば“権力好き”の政党や政治家を効率的に利用できるのかを考えることから、「権力を取らずに世界を変える」道が始まる。
政権を取って、雁字搦めになり、責任の重圧に押しつぶされるのは愚である。
投票行為を通じて政権を取らせるのではなく望ましい政策を実行させるのだという考えに転換しなければならない。
【付記】
日経新聞の記者に“誤解”があるようなので簡単に...
インタビューアーが、「96年1月に党名を「社会民主党」に変更し、2006年の党大会で「(自衛隊は)明らかに違憲状態」とする「社民党宣言」を採択しました。再び自衛隊違憲論に傾斜しています」というのは誤りである。
社民党の前党首福島瑞穂さんは、今年5月、BS日テレで放送されている「深層NEWS」で安全保障政策をめぐって櫻井よし子さんと対論をしており、自衛隊=違憲論を捨て去り、自衛隊の活動範囲を抑制するために憲法第9条を維持する護憲の立場だと表明している。
「深層NEWS」でのやりとりを簡単に紹介する。
読売新聞所属の玉井キャスターが「自衛隊は違憲だと思ってらっしゃるのか?」と福島氏にふると、福島氏は「社民党宣言は、自衛隊は違憲か合憲かという議論ではなく、自衛隊が周辺事態とかで海外派兵しているのは違憲ということです」、「正当防衛、緊急避難として個別的自衛権は認めるが、集団的自衛権の行使で他国防衛を理由に外国で武力行使をすることは認められない」と自衛隊や自衛権の行使に関する考えを示し、玉井氏の「それだったら憲法を改正したほうがいいのでは?」と問いかけると、「憲法第9条があることで自衛隊の海外派兵は行われなかった。自衛隊の活動を抑制するために憲法を守る必要がある」と答えている。
※参照投稿
「左派(共産党・社民党)と親米派が共有する「戦術的護憲論」:共産党・社民党も安倍政権と同類:米国改憲要求説は捏造か錯覚」
http://www.asyura2.com/15/senkyo186/msg/714.html
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村山富市元首相「原則に固執しては政権取れず」
(10月18日付朝刊 日曜に考える・政界面関連インタビュー)
2015/10/18 3:30
1994年6月、社会党は55年体制で対決してきた自民党と連立を組み、村山富市委員長が首相に就任した。村山氏は国会で「日米安全保障体制は不可欠」「自衛隊は合憲」「『非武装中立』は政治的役割を終えた」と表明し、社会党の基本政策を大転換する発言を重ねた。政権運営を考えて現実路線に踏み出した経緯などを村山氏に聞いた。
――野党時代が長く、閣僚経験もないまま、いきなり首相になりました。一番悩んだことは。
「総理になった直後、官房副長官の石原信雄さんが僕のところに挨拶に来て『私も長いので、もうちょっと無理だから辞めさせてもらいたい』という話があった。それで『僕もなりたくてなったわけではない。あんた、そげな男が総理大臣になったのに、見捨ててここを去りますか』と引き留めた」
「石原さんが僕に最初に言ったのは『総理をやるにあたって、これだけは腹を決めてもらわないといけない。それでなければ私も務まりません』だった。何かと聞くと『憲法の問題と、自衛隊の問題と、安保条約の問題。政権を担う以上、これに対する見解をはっきりしてもらわないとできません』と言った」
「僕は『腹は決めているから心配しないでください』と伝えた。国政を担当する以上、党の立場より国政を担当する立場を考える必要がある。だから僕は僕なりに判断して決断したいという風に話した。そしたら石原さんは『それなら結構です。私もやらせてもらいます』と。石原さんは全部をわきまえて、けじめをちゃんとつける人ですから。やっぱりさすがだと思いました」
■大統領は安心した顔に
――55年体制の中で、社会党は「日米安保条約破棄、自衛隊解消」との将来目標を掲げていましたが、村山内閣で「安保条約堅持、自衛隊合憲」と大転換しました。
「今直ちに打倒だ、反対だ、と言って向き合っていくのでは話にならない。内閣では(日本政府の外交・防衛政策を)維持して、その過程で話し合いを十分にし、改善すべき点は改善していくことが必要ではないかと思った」
「だから総理になった直後、クリントン米大統領と話したときに言った。『外交問題については国と国との約束事があり、政権が代わったから直ちに約束を破棄するということはできません。僕にはその意志はない。だが不都合な点があれば率直な話し合いをしていくのは当然のことだ』と。大統領は安心したような顔をしていた。それまでは日米安保は破棄すると言っておったんだし。そんなもんだと思いますね。それは僕がずっと考えていたことだ」
――「非武装・中立」を掲げてきた社会党にとっては衝撃的でした。
「自衛隊については違憲だ、違憲だと盛んに言ってきたけれど、もう国民の8割は自衛隊はいいじゃないかと支持している。しかも日本は個別的自衛権はあるが集団的自衛権は認めていないという原則をしっかり守って、海外には出て行かないということを前提とするなら、今の自衛隊の存在というのは認めてもいいのではないかと判断した」
――結局、党も、村山首相の国会答弁を追認する形で「日米安保堅持・自衛隊合憲」への基本方針の転換を決定しました。
「僕が総理になる前に党大会をやって、党として(政策転換を)認めたうえでやったらよかった。だが(自社さ政権の誕生は)突然のことでしょ。党で諮って決める余裕がなかった。幹部連中には相談しました。賛否両論あったが、やむを得ないなという意見の方が圧倒的に強かった」
「党内では左の方から『けしからん』とだいぶ非難を浴びた。憲法学者だって批判した者がおる。『自衛隊合憲だなんて風上にも置けん政治家だ』と、こっぴどく批判されることもある。だけどそういう憲法学者も今はあまり言わない。もう半分認めちゃったからね」
■大衆の意向無視して存在しえず
――96年1月に党名を「社会民主党」に変更し、2006年の党大会で「(自衛隊は)明らかに違憲状態」とする「社民党宣言」を採択しました。再び自衛隊違憲論に傾斜しています。
「僕が総理を辞めた後に批判があったが、甘んじて受けた。それでも僕は間違ったことをしているとは思わないと言ってきた。社会党が本当に政権を取るつもりがあるなら、そんな原則に固執するのでは政権は取れない。大多数の国民の意思を尊重しない政治はない。だから屈しなかった」
「現実的に政権を担ったからやむを得ないというのではなく、党自体が方向を変えていく必要があった。原理原則に縛られてやるような党では大衆政党になれない。理念はしっかりと持つべきだが、弾力的に幅を持った形で考えていくことがなければ、政党の活動にはならない。学者の集団で議論だけで勉強するならいいが政党なのだから。しかも大衆政党という性格を持っているから、大衆の意向を無視しての存在はないという考え方をずっと持っていた」
(聞き手は飯塚遼)
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO92525360W5A001C1I10000/
- 自衛隊は憲法の認めるものだ(94年7月村山首相) 政権維持へ決意の大転換:やむなしの声、圧倒的に強く あっしら 2015/10/20 05:15:49
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