http://www.asyura2.com/15/senkyo194/msg/145.html
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「今の日本政府は、歴史の検証に耐えられず、正当な政治的責任を負う覚悟の無い人間に乗っ取られている」
http://sun.ap.teacup.com/souun/18478.html
2015/10/2 晴耕雨読
山崎 雅弘氏のツイートより。https://twitter.com/mas__yamazaki
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憲法解釈変更、公文書残さず 揺らぐ「法の番人」(毎日)http://bit.ly/1FJhPv3
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「他界した小松氏や横畠氏が、解釈変更に深く関与していることは間違いない。だが、非公式の折衝や協議は記録に残らず、プロセスは水面下に沈んでいる」
「公文書管理制度に詳しい瀬畑源・長野県短大助教は『公文書管理法は将来にわたる国民への説明責任を理念とし、公文書を「民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」とする。意思決定の過程は必ず記録し、歴史的検証に耐え得る文書として残す必要がある。今回のような大きな政策転換にかかわる時にはなおさらだ』と指摘する」
当然。
内閣法制局は、集団的自衛権行使を可能とした憲法9条の解釈変更の審査に、後ろめたい気があるのだろうか(南日本新聞)http://bit.ly/1LleTaL
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「公文書にすれば、情報公開制度によって、十分な検討をしたのか国民から疑念を持たれる、と懸念した可能性がある」
国民への背任。
三日間、社会の流れと離れている間にいろんな出来事があった模様だが、内閣法制局が「安保法案成立の経過を公文書に残さない」という問題は、この国が倫理的に崩壊する過程にある現実を示している。
今の日本政府は、歴史の検証に耐えられず、正当な政治的責任を負う覚悟の無い人間に乗っ取られている。
「過去の歴史を都合良く書き換えることに抵抗がない人間」は、重要な政治的決定の記録を残さないという「歴史への背信行為」にも全然抵抗がない。
所属集団のためなら嘘をついても不都合な記録を消しても許される。
むしろ推奨される。
国家ぐるみでそれをやって国を破滅に導いた戦前戦中に回帰している。
閣議決定時の内閣法制局での検討文書不作成、参議院特別委での採決と議事録の不存在。
成立過程のいくつもの段階で「記録無し」なのに、日本の戦後70年の政策が壊され、主体的に戦争へ参加できる体制へと転換された。
歴史に対する責任を承知の上で指紋と足跡を消す行為は「泥棒」のそれと変わらない。
保阪正康さん「昭和史に学ぶことのできる私たちは気づくべきです。もうニヒリズムが許される時代ではない。僕らはニヒリズムに陥ってはいけない。それが最低限の志です」(毎日)http://bit.ly/1KRtiWu
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「長い間『自分の役目は歴史の検証。政治的主義主張はあえて掲げない』と自らに課してきた人だ」
「それなのになぜ今、安倍晋三政権が成立させた安全保障関連法に対し、旗幟を鮮明にするのだろうか」
「保阪さんの答えは明快だった。『安保関連法案を黙って見過ごしたら、僕はこれまで何のために昭和史を検証してきたのか』」
「安倍政権は歴史をねじ曲げ、時の内閣の一存で憲法を骨抜きにし、戦後70年かけて先達が築き上げてきたものをむちゃくちゃにしようとしている。これだけは許してはいけない」
「歴史修正主義は世界中に見られるが、それが権力と一体化したのは日本だけ。歴史修正主義は今や安倍首相や閣僚の中にまで深く入り込んでいる」
保阪正康さん(長年の愛読者なのに『戦前回帰』で阪の字を間違うという痛恨の大失敗! 本当に申し訳ありませんでした!)の「これまで何のために昭和史を検証してきたのか」という問いは、大日本帝国やナチスドイツの研究者に対しても向けられた重い言葉だと思う。
結果が確定してから反対しても遅い。
>内田樹 僕も政治的発言について脅迫を受けたことが二度あります。大学へ街宣車を乗り付けるぞ、通学する学生たちに何があるかわからないぞ言われました。僕たちがたいせつにしている弱いものに攻撃を向けてくる人間の卑劣さには軽蔑と怒り以外のものを感じません。
私も親や友人から「嫌がらせや脅迫はないの?」と時折聞かれるが、本人認証が要るほどの有名人でもないので、ツイッターの「鼻くそを相手になすりつけるようなリプ」くらいで済んでいる。
今後何かあっても書く内容や言う内容を変える予定は全然ない。
これですね。
そのうち何かで使うつもりで保存していました(笑 @KazuhiroSoda よく意味がわからないというのが率直なところだ。#菅官房長官語で答える
日本のような国では特に、脅迫者が「弱くて折れそうな相手」をまず脅し、それをもって周囲の「個人として思考が独立していない多数」を萎縮させる手法が一定の効果を持つ。
3人を見せしめにして、周囲の97人を黙らせる。
しかし97人が萎縮せずに個人として黙らなければ、脅迫者の目論見は失敗する。
エジプト革命の立役者ガマール・ナセル(後の大統領)は、1954年10月26日、アレクサンドリアで演説中に右派勢力に狙撃された。
だが弾は彼の身体を外れ、ナセルは演説を続けて聴衆にこう訴えた。
「私が殺されても、諸君の一人一人がナセルになればいいのだ!」
歴史には同種の例がいくつもある。
マララ・ユスフザイさんの国連でのスピーチ(2015年9月25日)http://bit.ly/1MIjrVS
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彼女がイスラム過激派に銃撃されたのは15歳の時だったが、彼女は黙らないし活動をやめない。
民主主義や権利獲得の実現は「脅されても黙らない」という険しい道を避けて通れない。
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