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(回答先: 結局、日本の安全保障をどうするのか? 一番重要な論点が抜け落ちている安保法制論議 投稿者 rei 日時 2015 年 6 月 09 日 12:45:28)
私が決して日中友好パーティーに出席しない理由
政治家には任せられない日中関係の改善
2015.6.9(火) 柯 隆
北京の天安門広場と人民大会堂(写真:Google)
3000人の日本の観光業界関係者が日本の政治家のセッティングによって大挙して中国を訪問し、北京の人民大会堂で習近平国家主席の演説に耳を傾けた。
このような日中間の大規模な交流活動は初めての試みではない。約30年前の1984年にも3000人の日本の若者が中国を訪問し、行程の最後に北京で大交歓会が行われた。
こうした公的な訪中団は、パトカーに先導されるバスに乗って移動する。バスが通るとすべての交通信号が青になる。人民大会堂では、日本ではありえないほど大掛かりな宴会が用意され、参加者はお決まりの中華料理を堪能する。そして、「さすが5000年の歴史を有する中国はスケールが違う」と感嘆するのである。
主催者は、大規模な交流会が日中友好を推進するのだと主張する。しかし、筆者は常々「これで日中友好と言えるのか」と疑問に思っている。
個人的な経験から言えば、その国のことを本当に理解したければ、パトカーに先導される専用車ではなく、現地の人と同じようにバスや地下鉄を利用するべきである。そもそもそちらのほうがよほど楽しい。食事も人民大会堂のようなところではなく、町の食堂や居酒屋のようなところで食べたほうがよい。
かつて、筆者の知り合いの中国の副大臣が日本にやって来たとき、午前中だけ自由時間ができたのでどこかに連れていってほしいと頼まれた。筆者には日本のパトカーを動員する力などまったくないので、一緒に地下鉄に乗り新宿に連れていってあげた。ぶらぶら散策しただけだったが、副大臣は別れ際に「楽しかった。公式訪問はもううんざりだ」と漏らした。おそらく本音なのだろう。
経営者は政治家よりも現地の従業員と会うべき
日本人は世界でもっとも「形式」を重視する民族の1つと言えるかもしれない。政治家のみならず財界人も中国を視察する際、それ相応の地位の相手に会いたがる。
中国の高官は日本人のこういう心理を熟知しているので、人民大会堂のような訪問者を圧倒する場所で来訪者を接待する。
筆者は人民大会堂の中華料理を口にしたことがないが、食べてみたいとは思わない。そこで食べても、おいしいとは感じられないに違いないからだ。アットホームな雰囲気のほうが何倍もおいしいに決まっている。
何よりもおかしいのは、日本からの訪問団がいつも中国の指導者と人民大会堂のような場所で最後に記念写真を撮ることである。一緒に写真に写ることが中国訪問の一番の目的であり、生涯大切にすべきものになっているようだ。多くの日本の政治家と財界人は、このような記念写真を人に見せて、大いに自慢するのだろう。
しかし筆者に言わせれば、このような中国訪問は決して本当の日中友好ではない。
筆者は、中国を何十回、何百回と訪問したことのある日本の政治家や財界人に会うことがある。彼らと会話していつもびっくりするのは、彼らが中国についてまったくと言っていいほど理解していないことである。
何度も中国を訪れたことがあるのに、なぜ中国人の生活や物事の見方、考え方を知らないのか。その理由にある日、ふと気がついた。彼らは中国に行くと、いつもパトカーが先導するバスのなかから外の景色を眺めているだけである。人民大会堂は何十回、何百回と見に行っていても、普通の中国人の生活はまったく知らないのだ。
だから筆者が日本の財界の皆さんにいつもアドバイスするのは、中国に行ったら、偉い政治家に会うよりも、自社が雇用している中国人従業員に会うべきだということである。
彼らの多くは日本語が堪能だ。彼らとの対話は、業績を改善するための大きなカギとなる。
中国の指導者と記念写真を撮るよりも、自社の中国人従業員と記念写真を撮るべきであろう。その写真は必ずや彼らの愛社精神を強化することになる。彼らはその写真を家族に見せて「この人はうちの会社の本社の社長だよ」と説明するだろう。そのとき、どれだけのプライドを感じるか、想像してみるべきである。
本当の友人同士は「友好」を叫ばない
日中関係の改善を妨げているのは、歴史認識をめぐる対立と領土・領海の問題のためだと言われている。その指摘は間違っているとは言えないが、正しくもない。
国交正常化以来の半世紀の日中関係を振り返ったとき、両国民にとって最も残念なのは、いつも政治に翻弄されて国民感情が悪化し、ときには互いに敵視してしまうことである。
どこの国の政治家も、意味のないスローガンを叫んで国民を先導しようとする。特に違和感を感じるのは、日中の指導者がよく口にする「日中友好」「世世代代友好」「一衣帯水」「同文同種」といったスローガンだ。「日中友好」という言葉の意味はきわめて曖昧だ。そもそも本当の友人同士であれば、会うたびに友好を叫んだりしない。「我々は友人である」とわざわざ口にした瞬間、もう友人ではないのである。
だから筆者は、「日中友好」を謳う集いやパーティーに招待されても参加しない。なぜなら、そういった集いには実質的に意味がないからである。立食パーティーの料理はありきたりのものでおいしくないし、主催者や政治家の挨拶は無味乾燥なものばかりである。
さらに指摘しておきたいのは、政治家や日中友好の活動家のなかには、日中関係を食い物にする者が少なくないことである。個人的には、日中友好を職業にしている活動家や政治家をいつも警戒している。
政治家の片棒を担いではいけない
習近平国家主席は、人民大会堂に集まった日本人に「民間主導の日中友好を推進する」と述べたと言われている。この方向性は極めて正しいと言えよう。
政治主導では日中関係は正常化しない。草の根の民間主導による交流が重要である。国民が政治に翻弄される必要はない。日中関係を改善するには、国民が政治とは適当な距離を置くべきであろう。
いま求められているのは、日本も中国も大人の関係を築く努力をすることである。政治家が日中関係を悪用しようとするとき、それを抑制する民意が必要である。
もしも将来、日中が対立し、戦争に突入したとしたら、それは両国政治家の「無恥」と、両国民の「無知」が招いた結果と言えるだろう。政治家の無恥を抑制するには、両国民の高い知性が求められる。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43962
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