http://www.asyura2.com/15/senkyo186/msg/411.html
Tweet |
結局、日本の安全保障をどうするのか?
一番重要な論点が抜け落ちている安保法制論議
2015.6.9(火) 筆坂 秀世
日米安保を肯定して集団的自衛権の行使を否定する矛盾
衆議院憲法調査会で3人の憲法学者が安保法制について「違憲」だと意見表明したことが、大きな問題になっている。なかでも自民党推薦の長谷部恭男早大教授まで「違憲」だと述べたことが、与党に衝撃を与えている。
3人の意見の概略は、次のようなものである。
「従来の憲法解釈はガラス細工で、ぎりぎり保っていた。安保法制は踏み越えてしまっている」(笹田栄司早大教授・維新の党推薦)
「海外に戦争に行くのは集団的自衛権で、憲法9条違反。閣議決定で、政府が積み上げてきたものが、論理的に吹っ飛んだ」(小林節慶大名誉教授・民主党推薦)
「個別的自衛権のみ許されるという論理で、なぜ集団的自衛権が許されるのか。どこまで武力行使が許されるかも不明確で、立憲主義にもとる」(長谷部恭男早大教授)
3人の意見に共通していることは何か。私の勝手な推測だが、恐らく自衛隊は合憲であるという立場であろう。また、これまで歴代内閣が積み上げてきた憲法解釈も「ギリギリ合憲」だという立場であろう。だが、集団的自衛権の行使は憲法上認められないということであろう。
では、日米安保条約についてはどう評価しているのだろうか。新聞報道で見る限り、不明であるが、恐らく肯定的に見ているのではないだろうか。3人の学者を推薦した自民党、民主党、維新の党も日米安保条約を肯定している政党である。
言うまでもなく日米安保条約というのは、日本とアメリカの軍事同盟である。2国間で軍事同盟体制を作り上げながら、集団的自衛権の行使は一切認められないというのは、最大の矛盾ではないのか。
日米安保は米国の集団的自衛権行使が前提
“日本がどこかから攻撃されたら、アメリカが助けてくれる。それが日米安保だ”と国民は理解しているのではないか。アメリカは、自らは攻撃されていないのに、同盟国である日本が攻撃されたため集団的自衛権を行使して、日本を助けるわけである。
ただし条約上は、アメリカが自動的に日本を助ける義務があるわけではない。あくまでもアメリカの判断である。
第5条は、「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危機に対処するように行動することを宣言する」と規定しているだけである。集団的自衛権を行使するかどうかは、あくまでもアメリカ大統領や議会の政治判断に委ねられているに過ぎない。
とはいえアメリカが集団的自衛権を行使して日本を助ける蓋然性は小さくはない。そうでなければ日弁安保体制は成り立たない。日本がアメリカに広大な基地用地を提供し、「思いやり予算」まで提供して日米安保体制を成立させているのは、アメリカの集団的自衛権の行使を期待してのことなのである。
憲法9条があるからだとはいえ、“相手国には集団的自衛権の行使を求め、自国は拒否する”という仕組みは、もともと大きな矛盾をはらんできたのである。さらに厳密に言えば、基地を提供すること自体が、国際的には集団的自衛権の行使と見なされることもある。
安倍首相の祖父である岸信介首相(当時)や法制局長官は、次のように国会で答弁していた。
「一切の集団的自衛権を持たない、こう憲法上持たないということは私は言い過ぎだと、かように考えています。・・・他国に基地を貸して、そして自国のそれと協同して自国を守るというようなことは、当然従来集団的自衛権として解釈されている点でございまして、そういうものはもちろん日本として持っている」(1960年3月31日、参院予算委、岸首相)
「基地の提供あるいは経済援助というものは、日本の憲法上禁止されておるところではない。仮にこれを集団的自衛権と呼ぼうとも、そういうものは禁止されておらない。集団的自衛権という言葉によって憲法違反だとか、憲法違反でないという問題ではない」(1960年4月20日、衆院安保特別委、林修三内閣法制局長官)
問題は、集団的自衛権の行使をどこまで認めるかということであった。
いまの国会での議論を見ていると野党側の追及は、集団的自衛権の行使は一切してはならないという前提に立っているが、だとすれば日米安保体制との矛盾をどう説明するのか、説得力ある論理を聞きたいものである。
「違憲の軍隊」なら、災害救助も憲法違反なのか
共産党は、安保法制は違憲だと言う。それはそうであろう。同党は、自衛隊そのものを「違憲の軍隊」と位置付けているからだ。だとすれば議論の必要もなくなる。存在そのものが憲法違反なのだから、その「違憲の軍隊」が何をしたとしても憲法違反だということになる。武力行使と一体化するかしないか、戦闘地域に行くか行かないか、などという議論をする意味がそもそもないのである。
災害救助だって憲法違反ということになってしまうのが、共産党の立場なのだ。つまり自衛隊を解体しない限り違憲状態はなくならない。もちろん日米安保条約も違憲の条約ということになる。自衛隊もない、在日米軍もいなくなる、まったく軍事的空白を生み出そうというのが、共産党の主張なのである。
なぜあえてこういうことを指摘するのかと言えば、もちろん嫌がらせではない。安保法制の議論というのは、日本の安全保障をどうするのかということが問われている問題だからだ。
欠落している一番大事な議論、日本の安全保障をどうするのか?
いまの国会論戦を見ていると、この一番大事な安全保障論が欠落している。
法案のあれこれを捉えて憲法違反だと主張することも結構だが、もっと大事なことは日本の安全保障だ。「戦争法案」などとレッテルを張るだけではなく、それぞれの党が、そのことを明らかにして論戦に挑まないと意味がない。
違憲論にしても、それぞれの党がどこまで違憲であり、どこまで合憲だと考えているのかを明らかにすべきである。自衛隊は違憲か合憲か。日米安保は違憲か合憲か。現行の周辺事態法は違憲か合憲か。PKO活動は違憲か合憲か・・・etc。野党間でも、実はばらばらである。
共産党の場合には「すべて違憲」という立場のはずだ。だとすれば無防備主義を堂々と主張すべきなのである。
民主党の場合は、大勢は集団的自衛権の行使を容認しているはずだ。では、どこまでなら容認するのか、そのことを明確にすべきである。
政府・自民党も「切れ目のない安全保障体制」などという抽象的な言辞ではなく、もっと具体的に語るべきだ。安全保障論をもっとぶつけ合ってほしいものだ。
政府も、もっと率直に語るべき
政府の説明も、十分なものではまったくない。ホルムズ海峡の話ばかりが出てくるが、日本にとって喫緊の課題はそんなところにはない。
例えば尖閣諸島だ。中国の無法が続いている。アメリカは「安保の適用範囲」だと言うが、だからといって、いざというときにアメリカが日本と共に中国と戦う保証はない。だからこそ集団的自衛権の行使で大きく一歩を踏み出そうというのが、安倍首相の思惑だと思う。日本が集団的自衛権の行使で一歩踏み出せば、アメリカもいざというときに集団的自衛権を行使する確率が高まるということだ。そのことを率直に語るべきである。
イラクなどに派遣された自衛隊員56人が帰国後自殺していたことが、明らかにされている。衝撃的な数字だ。原因はいろいろあるだろうから、なんとも断定することはできない。ただ考えてほしいことがある。自衛隊員の派遣に大義があったかどうかである。
あくまでも一般論だが、大義があれば、隊員が真に意義を感じていたなら、また違った結果になったのではないか、と思うからだ。安保法制が、どういう結論になろうとも自衛隊員の大義なき派遣だけはやめてもらいたい。これは政治家の大きな責任である。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43986
- 私が決して日中友好パーティーに出席しない理由 政治家には任せられない日中関係の改善 rei 2015/6/09 13:13:39
(0)
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK186掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。