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(回答先: 安倍首相の覚悟のなさを批判した佐伯啓思 天木直人(新党憲法9条) 投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 6 月 08 日 01:05:05)
佐伯啓思氏とは価値観を共有しないが、論理展開には面白く参考になるものもある。
天木氏と佐伯氏という価値観が大きく異なるひとが共通して安倍首相に覚悟がないと見えるのは、実際に、今夏の成立を期す新安保法制に関して安倍首相に覚悟なぞないからである。
自らが法案を上程し米国に対しても今夏の成立を約束していながらおかしな話だが、新安保法制を“骨抜き”にし、できれば神棚に飾って見せているだけで実際には使わないようにしたいと思っているのだから、法案について支離滅裂な言動が飛び交ったり、安倍首相に覚悟がないと見えるのは当然である。
安倍首相にどれほどの戦略があるかはわからないが、安倍政権の安保政策のシナリオを書いている人たちは、米国支配層からしつこく強く要求され続けてきた「米国の戦争に日本も集団的自衛権の行使で参加」を異様で倒錯した手法だが、かたちだけ法律を作り、実質的には“回避”できるようにしようと思いながら、今般の新安保法制を作り上げたはずである。
(末尾に転載する佐伯氏のコラムにもあるが、民主党政権なら別だが、小泉政権時代に合意された日米関係の強化という流れから“強固で安定した”安倍政権が逃げることは難しい)
ざっくり言えば、NHKとタイアップして「米国の戦争には巻き込まれない」という安倍首相の国会答弁がウソであるとわかるようにしたり、新安保法制がこれまで以上に違憲であることを承知しているので自らが国会に呼んだ憲法学者に違憲と言わせてしまったり、9.11以降錯乱的な軍事行動に出ている米国の尻馬に乗って自衛隊を海外に派兵することもできれば御免被りたいと考えているのが安倍政権の安保政策ブレーンである。
だからこそ、小泉政権や第一次安倍政権で内閣法制局長官を務めたり安保政策の実務を担ったりした人まで動員し、新安保法制の違憲性や危険性を世に訴えているのである。
(こんな歪な策は、安倍政権が続く間はいいとしても、政権が変われば危険極まりないものになる)
末尾に転載するが、天木氏が紹介したコラムのなかで、佐伯氏は、「アメリカの価値観は、ただ自由や民主主義や法の支配を説くだけではなく、それらの価値の普遍性と世界性を主張し、そのためには先制攻撃も辞さない強力な軍事力の行使が正義にかなうとする。簡単にいえば、アメリカ流儀の自由や民主主義によってアメリカが世界秩序を編成すべきだ、という。これがアメリカの価値観であろう。これはこれでたいへんな覚悟のいることだ。そんな覚悟が日本にあるのだろうか。その前に、果たしてこの種の価値観を日本は共有しているのであろうか。」と書いているが、アメリカ(近代世界)の支配層は、己らの経済的利益により適う世界にするために必要な軍事行動を正当化するダシとして、自由や民主主義や法の支配といった価値の普遍性と世界性を空虚に使っているだけである。
佐伯氏は、恥ずかしいことに、言われるままに米国支配層の目的と手段を逆立ちさせて理解しているのである。
そうであることは、中南米諸国や東南アジア諸国そして中東諸国の戦後史を顧みればわかる。民主的基盤を持つものであっても己らに不都合な政権は、その国の軍事機構や治安機構の一部と結託して潰し、専制的政権を樹立させ軍事的経済的支援によって維持した。
日本の経済支配層も経済的利益で米国支配層と類似的な立場に近づいてきたが、それでも、愚劣なものでしかない米国の価値観と行動様式を共有することはできない。
ただ、経済的利益や日米安保体制(最強の米軍が国内に駐留)という前提条件を踏まえて国家社会と国民の“安寧”を考えると、米国の政策や行動を批判することは控えなければならない。
なにより、米国中心の連合国占領下に生まれた「日本国憲法」を改正しない限り、軍事力の行使で“正義”を実現するような政策を国策とすることはできない。
安倍首相を支持する気はないが、安倍首相の苦悩(どこまでかはわからないが、本人もそこそこ理解しているはず)は理解できる。
異様でみっともない「新安保法制劇」を演じなくても済むよう、日米安保条約を廃棄できる政治的条件をつくりだすことが現在の日本において最も重要な政治テーマである。
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(異論のススメ)日米同盟の意味 日本にあるか、米国の覚悟 佐伯啓思
2015年6月5日05時00分
55年前の今頃は、デモ隊が国会を取り巻いて連日騒然としていた。いわゆる60年安保で、5月20日未明に岸内閣による日米新安保条約の衆議院での採決がなされ、6月19日の自然成立を待つという流れの中にあった。安倍首相は、当時まだ5歳であったが、祖父の岸首相の家で「アンポハンタイ」などとはしゃいでいた、という。私も小学5年生で、連日学校で「アンポハンタイごっこ」をやっていた。上が「安保」とくれば下は自動的に「反対」の2文字へ接続したものである。
この5月末から集団的自衛権の行使にかかわる法的整備が国会審議されている。55年前に比べれば、国民的な関心は低調であり、国会周辺も静かなものである。われわれの防衛や安全保障についての意識は果たして成熟したのだろうか。
「集団的自衛権は保持するものの行使はできない」などという姑息(こそく)な従来の内閣解釈を改め、一定限度内での集団的自衛権の行使を可能とする安倍首相の方針は、私にはまずは当然に見える。日米安保体制は相互的な防衛体制であるから、集団的自衛権を日本側が行使できない、という方が異常であった。
戦後世界は、決して日本国憲法が想定しているような「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という状態ではない。ますます世界各地で緊張が生じているのである。では日本の防衛はどうするのか。他国との安全保障の枠組みを前提とする以上、集団的自衛権の行使を可能として相互協力体制を強化することは、当然といわねばならない。
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ところが、ここには実はきわめて大事なことがある。われわれは、ずっと日米安保体制とは、日本が米軍に基地を提供する代わりに、日本の防衛を米軍に委ねるという相互的防衛体制だと考えてきた。だが、この意味での日米安保体制は21世紀にはいって大きく変質してきた。
ひとつの転機は小泉・ブッシュ政権時代の2005年に示された「日米同盟・未来のための変革と再編」であり、ここで、日米同盟とは「世界における課題に効果的に対処する」ために、日米が協力して「共通の戦略的目標を追求する」とされたのだった。これは、従来の日米安保体制の大きな変質であり、今回の安倍首相の集団的自衛権行使にかかわる方針転換もその延長上にある。2005年にはこの方針転換はすでに打ち出されており、しかも当時はほとんど論争にさえならなかった。
アメリカが「世界の課題に対処する」という方針を打ち出した背後には、いうまでもなく、対テロ戦争やイラク戦争があった。テロとの戦いは世界中を舞台とする。そのために日本との「同盟」を効果的に使用しようという。そして、当時、小泉政権は日米関係の強化のためにアメリカの意図を全面的に受け入れたわけである。
しかし、実はその伏線はもともとの安保条約にあった。いわば日米安保体制のはらむ二重の性格である。1951年の日米安保条約にも米軍は「極東における国際の平和と安全の維持に寄与し…」とあり、60年の新安保条約にも「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため…」とある。ここには、冷戦の開始とともに、日本の基地を日本防衛のみならず、対共産主義の前線基地とする、というアメリカの戦略が見て取れる。
しかし、われわれは、日米安保条約とは、あくまで米軍による日本の防衛と理解してきた。その結果、アメリカは常に世界戦略の中に日米同盟を位置づけ、日本はそれをもっぱら日本の防衛と理解する、という二重構造ができあがった。
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そして冷戦が終わった。すると、アメリカの「世界戦略」は、対テロ戦争や中東の不安定化、中国の大国化などを契機に、文字通り「世界化」してしまったのである。では日本はどうすべきなのか。
安倍首相はひとつの方向を打ち出した。日本は、可能な範囲でできるだけアメリカの「世界戦略」に協力すべきだという。「積極的平和主義」である。テロ組織や軍事大国化する中国やロシアなど「国際社会」への挑戦者とは積極的に対峙(たいじ)すべきだという。従来、われわれが安住してきた「一国平和主義」からの脱却である。
しかし気になることがある。それは、安倍首相が日米同盟の基礎は、日米両国の価値観の共有にある、と述べている点だ。本当にそうであろうか。アメリカの価値観は、ただ自由や民主主義や法の支配を説くだけではなく、それらの価値の普遍性と世界性を主張し、そのためには先制攻撃も辞さない強力な軍事力の行使が正義にかなうとする。
簡単にいえば、アメリカ流儀の自由や民主主義によってアメリカが世界秩序を編成すべきだ、という。これがアメリカの価値観であろう。これはこれでたいへんな覚悟のいることだ。そんな覚悟が日本にあるのだろうか。その前に、果たしてこの種の価値観を日本は共有しているのであろうか。
安倍首相が提起した問題はたいへんに大きい。日米同盟の意味をわれわれは改めて問い直さなければならない。そのためには、そもそもこれまで、日本独自の「世界観」も「戦略」もわれわれは持ち得なかった、という反省から始めなければならない。さもなければ、日本はただアメリカの戦略上の持ち駒となってしまいかねないであろう。
◇
さえきけいし 1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に「反・幸福論」など
◆原則、第1金曜に掲載します。
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