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(回答先: 戦後70年を経た日本の安全保障体制と、これからの道(私論)[岡本行夫氏] 投稿者 あっしら 日時 2015 年 5 月 12 日 17:24:27)
「21世紀構想懇談会」第三回議事要旨の全文は別に投稿させていただく。
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(3)ついで、岡本行夫委員から「戦後70年を経た日本の安全保障体制と、これからの道(私論)」というテーマの下、概要以下の発表があった。
私はどこの組織にも属していない一私人であるが、それでも「私案」と書いたのは、率直な自分の考えを述べたかったからである。安全保障面に限った話をする。
自衛隊は、警察予備隊から育ち、効率的かつ有効な部隊になり、日本の防衛力として、そして抑止力として大変立派な役割を果たしている。今日そのような状態を実現できている経緯については、皆さんもよくご存じなので、私のメモには記していない。
今、田中理事長からこれまでの流れをご説明いただいたが、日本が憲法9条の下で世界に冠たる平和国家として辿ってきた足跡は、国民として誇りに思って然るべきである。ただ、安全保障については、率直に言って、合意形成が他の行政分野に比べて難しいこともあって、あるべき方向について国民的なコンセンサスを作るのが必ずしも容易ではなかった。その間に、国際的なニーズと日本が行い得ることが一部乖離してきたことも否定できないと思う。その意味で、このメモに記したのは、日本の防衛体制というものが、現在どういう地点にあって、そして、これからどうあるべきかということについてである。メモの要点だけをご説明する。
最初に「基本認識」であるが、1(1)に記したことは、理論的に考えても、国を守る上で選択肢というのは、「非武装中立」か「武装中立」か「同盟」しかなく、消去法からいって、結局、その中で日米安保同盟しかないという結論である。「集団安全保障」というのは、耳に心地良い言葉だが、現在のアジアにおいては、軍事的にも政治的にも成立し得る基盤が存在していないので、選択肢の中に入らないという前提である。
「日本の戦略環境」に記したのは、この東アジア地域は、兵員数で見てトップ5か国のうち3か国が集中しているという、世界で最も軍事的な集積度の高い地域であることだ。その中で、日本の防衛費は、極めて軽い防衛費負担でやってこれた。対GDP比で言えば世界の100位以下という水準である。それでも我々がどこからも攻撃される心配なくやってこられたのは、憲法9条の故ではない。日米安保という防衛体制をとってきたからである。
次に「防衛力の考え方」について。国家の防衛力の水準は、その国の直面する脅威の水準を客観的に分析して、それに対応できる防衛力を持つことが本来の姿だ。それを「所要防衛力」と呼ぶ。ところが日本の場合、周辺諸国の軍事費の膨張があまりにも大きく、それに対応して日本の防衛予算を組み立てることが実際上不可能であったので、「所要防衛力」の考えを捨てて、「基盤的防衛力」という考え方に51大綱で転換したわけである。「基盤的防衛力」というのは、要するに、日本がこのサイズの国家として独立を保全していくために平常的に持つべき防衛力という考え方である。よって、日本の周りの脅威がいかに増加しようと、日本だけは淡々と「基盤的防衛力」という考え方の下に、主として予算上の考慮によって防衛力の規模を決めてきたのである。北岡座長代理が22大綱と25大綱の両方に関わってこられたので、ここで私が一々申し上げることもないが、現在の大綱の考え方というのは大変機能的であるし、実際的でもあると思うが、根っこは依然として「基盤的防衛力」の考え方なので、まわりの脅威に対応した大きな防衛力の伸長は望めないという枠組みである。
次に「日米安保体制」である。日米安保体制というのは、日本の「盾」と米国の「矛」の組み合わせにより日本を防衛し、極東の平和と安定を確保するものである。安保体制は、抑止力の確保を最大の目標とする。抑止力とは、他国が攻めてきた時にどれくらい叩き返すことができる実力を持っているかということではないと私は思っている。そうではなくて、周辺諸国に、「自分たちが日本に手を出した時には、日米安保条約が発動される、そして、自分たちは米国からの報復を受ける、日米の共同行動に直面しなければならなくなる」と思わせるということである。つまり抑止力とは、周辺諸国に与える印象、いわゆるパーセプションである。いくら日米安保条約というものがあっても、米国は日本のために自分たちの兵力を損傷させてまで戦ってくることはあるまいと周辺諸国が思ってしまえば、その途端に、安保体制は張子の虎になる。そういう意味で、安保体制は常に発動されるものだと周辺諸国に思わせ続けるための日米の日頃からの安保協力と、安全保障の面に限らない政治的、あるいは、国民交流の面まで含めた緊密な日米関係が必要なのである。その良好な日米関係が抑止力の根幹を成していると私は思う。
安保体制には、いろいろな課題もある。「柱は1本か2本か」、あるいは、「日米の非対称」とこのメモに書いたような問題もある。「1本か2本か」というのは、例えば、FSX(次期支援戦闘機)問題というのがなぜあれだけ揉めてしまったかということにも関係してくる。当時の日本の考え方は、「小規模限定侵略は独力対処」ということだった。ソ連軍が攻め込んでくれば、航空自衛隊の戦闘機が超低空で海面すれすれで飛んで行って、離れたところからソ連艦隊に空対艦ミサイルを発射して、そして、そのあとは直ちに反転上昇して新しい任務につくという大変苛酷な運用・性能が要求されていた。しかし米国にしてみれば、「いや、小規模限定侵略といっても、米軍は最初から出勤するのだ。その時に上空にいるのはソ連ではなく米国の警戒管制機で、制空権も米軍がとっているだろう。だから、日本の戦闘機は海上すれすれなどという極端な運用要求を満たさなくても良いはずだ。だから、米国の既存の戦闘機であるF16やF18を使えば良いではないか」ということになる。結局は共同開発ということで決着がついたが、日本は独立国家として「独力対処」とは言いたいところであるが、日米安保体制が先ず存在していることは前提として忘れてはならない。
もう一つ、沖縄の基地負担ということも、日米安保体制上、解決しなければいけない重要な課題である。ご承知のとおり、面積で言って、米軍基地の74%が沖縄に集中している。この74%というのが象徴的にも実体的にも沖縄県民に重くのしかかっている。74%という数字を減らさなければならない。どうしたら減るか。沖縄の基地を減らしただけでは、分子も分母も減るわけだから、74%という数字はあまり減らない。沖縄の基地を減らし、そして本土の基地を増やして、初めて74%という数字が目立って減るのである。
普天間飛行場の移設については、私は今の段階では辺野古移設が最善であり、このままいくべきだと思うが、普天間が移設された後も、沖縄に残る諸施設。これをできるだけ本土が負担できるかどうかということだ。これが本土側のわがまま、いわゆるNIMBY(Not In My Backyard)、つまり「俺のところにだけは持ってくるな」という態度のために、容易に実現しない。全国の知事の中で「自分のところで受け入れても良い」と言ったのは当時の橋下徹大阪府知事だけであり、あとは皆さん「とんでもない」という反応であった。「沖縄の負担軽減」を掛け声として言うのは良いが、本当に本土側が沖縄のことを思いやっているのかどうか。それが問われている。
それから、いま深刻なのは、中国が日米の分断に動いていることである。特に70周年の今年、中国は「反ファシスト戦線」で世界がもう一度結束しようと呼びかけている。つまり日本というファシストに対して戦った近代的な価値を信奉していた中国、北米、欧州、豪州、そういった国々がもう一回まとまろうというもので、取りも直さず日米の分断策である。これは日本として対応が必要とされる深刻な事態である。
それから最後に「国際平和協力活動への貢献」を記した。なぜ国際協力しなければいけないのか。3(1)@、Aは当たり前の話である。Bは、やはりそろばん勘定から言っても、日本は安全保障面で協力しておいた方が安くつくという意味である。例えば、民主党政権の時に、インド洋で給油活動していた海上自衛隊の補給艦を撤収した。100億円未満の予算で行っていたものだが、撤収したことに国際社会の失望は大きかった。それで、「給油活動の代わりに、日本はアフガニスタンにもっと支援をいたします。アフガニスタンの警察官の給与を負担します」と言わざるを得なくなった。それが総額5000億円にもなっているわけである。安全保障上の協力のほうがずっと安くついたのである。
次に集団的自衛権の問題。これは、なにもおどろおどろしいものではなく、法制局が長年に亘って続けてきた解釈を正しいものに修正したというに過ぎない。
それから、「日本が目指すべき道」を最後に記した。陸上自衛隊については、機動化する。例えば、米海兵隊のように、機動的に世界の平和貢献に対処できるようにしたらどうか。海上自衛隊については、これまで護衛艦を削りに削ってきたが、増加する周辺の脅威を考えれば、51大綱の水準の60隻に戻すべきではないか。潜水艦は16隻から22隻になったが、これは鉛筆をなめて潜水艦の退役年齢を延ばしただけであるので、やはり中長期的にはあと4隻位は持つべきではないか。空自については迎撃能力の増強。
この項の最後に、「過度の財政介入の抑制」と書いた。これは、例えば、いま自衛隊の定員数は防衛大綱によって決まっているのに、財政上の理由によって「充足率」というものをかけられて、本来24万7千名いるはずの自衛隊員が、実員としては21万人しか存在していないという問題だ。これはやはりおかしなことだと私は思っている。
そして、「積極的平和主義の具体化」。日本としてこれがこれから進むべき道だと思う。ただ、そう言うは易いけれども、実際には、日本はこれまで米国を始めとする国際社会から国際平和構築のために多くの要請を受けてきたが、多くを断ってきた。断った理由は、「集団的自衛権に抵触する」とか、「憲法上の問題」といったものは実は少なかった。多くの場合、「自衛隊は危険なところには派遣しない」ということで、国際社会からの要請に応えなかったのである。今回の安保法制は正しい方向の措置だと思うが、ただ、「危険なところには自衛隊は派遣しない」という政治意識を変えられるかどうか。つまり、リスクを分担するためにはやはり日本も覚悟をもって国際平和協力に臨まなければいけないというところまで踏み込めるかどうか。それが鍵だと思う。
もうひとつ、「海洋アジアでの連携強化」、つまり日本は海洋アジアのリーダーたるべきだということも記した。
最後に安保法制に絡んでエピソードを一つご紹介したい。2001年の9.11の直後、アルカイダが世界中の米軍を攻撃するという情報が駆け巡り、第7艦隊が一時的に硫黄島周辺に退避したことがある。その時に米軍は海上自衛隊に警護を頼んできた。しかし、海上自衛隊は応えられない。根拠となる法律もない。結局、防衛庁設置法の「調査・研究」という名目で護衛艦を出した。そういう解釈を用いてでも米軍を警護すべきであるという、当時の海幕の大変勇気ある決断であった。そしてこの自衛隊の護衛艦と第7艦隊が東京湾を並走して南下していく映像は米国のテレビで繰り返し放映され、日本に対する大きな感謝という米国民感情につながったのである。正にあのようなことが日米安保を堅固なものにしていく。今度は新安保法制によって、そういうことが堂々とできるようになった。これから日本の安全保障の体制は良い方向に向かっていくと思う。
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※岡本氏の説明を受けた参加委員からの発言(岡本氏のプレゼンに関わる部分のみ抽出)
○米国との関係については、安全保障においては、米国が圧倒的に日本に関与してきたということは明白である。経済面では、時期によって違うと考える。1950年代においては、日本の経済復興にとり、米国が自らの市場を日本産品に対して相当オープンにしてくれたということはとても大きいことであったと思う。当時、日本の繊維産業にとって最大の買い手は米国であった。また、日本は1955年にGATTに入る際、英国や豪州は絶対に日本など入れないと反対していたが、これに対し、「日本を入れなければだめだ」と言ってくれたのが米国であった。この点でも、1950年代における日本の経済復興に米国が果たした経済的役割は大きいと思う。ただ、その後は日米間の経済関係はひたすら経済摩擦であり、米国が日本に対して言っていたのは、「自分のところをクローズにしたままで、製品を売ってばかりいるのはダメだ。」ということであった。
(後略)
○日米関係の非対称性については、安全保障の面においては、日米両国は望遠鏡の真逆からお互いに見合っているようなところがあった。米国は世界中に30か国以上の同盟国と地位協定を有しており日本はそのうちの一つである、ということを考えれば、これは仕方がないことである。したがって、日本が米国に対して有している関心に比べて、米国議会が日本に対して持っている関心が相対的に低いことも仕方がないことである。
しかし、それ以上に重要なことは、両国の指導者がどのように相手を見るのかということである。オバマ政権が誕生する時に、クリントン国務長官は上院外交委員会の証言で、まず日本に言及した。そして最初に訪問した外国も日本であった。米国の国民に、米国政府が日本を大事にしているということが強く伝わった。しかし、日本の民主党の悪口を言うわけではないが、日本はその後日米関係を育てる努力をしてこなかった。そしてクリントン国務長官はその3年後、「アジアでは三つの大国がお互いに協力し合っていかなければいけない。すなわち、米国、中国、インドである。」と宣言し、米国民の目から日本が抜け落ちてしまう構図を示してしまった。つまり、非対称性というのは、日本にも責任があるのである。日本の努力によって日米関係は更に緊密にできるのである。
○(前略)
また、岡本委員の発表に関し、日米安保が中国からどう見えていたかという点は複雑であり、必ずしも一貫して敵対していたということではなく、キッシンジャーの「瓶のフタ」論にあるように、それはそれで評価をされてきた。中国自身が、日米同盟、あるいは日米安保が東アジアの安定に寄与していたと認識していた部分もあった。色々な議論はあるが、そうした意味で、戦後の変容、あるいは日本の中国との関わりの中にも、ODAの話にしても、日米安保の話にしても、多様な戦後の姿を見出すことが出来る。
○(前略)
岡本委員の日米安保条約に対する指摘はそのとおりである。他方、今の中東の構図がますます複雑になり混乱を極めている大きな原因は米国における中東の安全保障のあり方、米国の各国との同盟友好関係のあり方において、オバマ政権の政策が安定していないことがある。伝統的な同盟国であるイスラエル、サウジアラビア、トルコはいずれも違った次元において、米国の中東における安全保障を支えてきた要因であるが、イランの核武装を阻止するという命題のもとに米国がイランとの急接近を図っている現実もある。アラブの一部では、イラン・アメリカ同盟という言葉を用いるメディアや識者もいるくらいである。こういう米国の中東政策における揺らぎは、東アジアにおける日本、韓国、豪州との米国の同盟関係を考える場合にも比較の参考になる。イランに相当するのは中国となるかと思うが、中国の拡張主義、膨張主義といったものを考えた場合に、米国と日本の関係について、楽観視ばかりできるとはいえない。手入れしなければならないのが日米関係であるとすれば、米国の中東との不安定な関係を見た場合、どのような手の入れ方が米国にとっても、日本にとっても更に必要なのか、といった点についても比較して見ることが重要であろう。
○(前略)
岡本委員から発言があった、「70年間平和を得られたのは憲法9条が存在していたからではなく日米安保体制のためである」、及び、「米国にとって日本は多数の同盟国の一つであるが日本にとって米国は唯一の同盟国」、といった観点から、(中国等の台頭がある中で)今後の日本と世界を考えていく必要がある。
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