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小保方晴子の“白いワンピース”に感じた才能――「第二の瀬戸内寂聴になれる」発言の行方
http://www.cyzowoman.com/2016/05/post_20221.html
2016.05.26 サイゾーウーマン
羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。
<今回の芸能人>
「『第二の瀬戸内寂聴になれる』というお手紙もございました」小保方晴子
「婦人公論」(中央公論新社、6月14号より)
寂庵を訪れ、瀬戸内センセイに励ましてもらったのはベッキーではなく、小保方晴子氏だった。
小保方氏の手記『あの日』(講談社)を読んだ寂聴の呼びかけで、今回の訪問が実現。寂聴は小保方氏への報道を「公のいじめ」とし、自身もバッシングを受けた過去について語った。『女子大生・曲愛玲』で新潮同人雑誌賞を受賞した寂聴は、受賞後第一作として、『花芯』(新潮社)を発表。夫の上司と恋に落ちる女性の話だが、文中に“子宮”という言葉が頻繁に使われたことで、「子宮作家」と酷評され、その後5年、文芸誌から干されてしまう。それだけに、小保方氏の気持ちがわかるそうだ。
ここで根本的な疑問に突き当たる。それは、寂聴と小保方氏が受けたバッシングが、同じ種類のものなのかということである。個人的には『花芯』を読んでも、特に“子宮”を強調しているようには感じられないが、それは「現代の感覚から言えば」という前提が付く。『花芯』が発表されたのが1956年であることを考えると、男性評論家にとって、妻の奔放な性愛は許しがたく映った可能性は捨てきれない。寂聴は先を行きすぎたのである。
それに対し、小保方氏のしたことは何だったのか。生命科学の博士号を持つ知人に、小保方氏が「したこと」が、どんな意味を持つのか解説してもらった。
・論文のコピーアンドペーストについては、論文の結果に該当する部分で行えば問題だが、そうでない部分であれば、それを断罪する規定はないので、問題はない。ただし、常識的にはしない。
・論文中の実験写真が、自分の博士論文からの流用だったことについて、本人は「うっかり」ミスをしたと思っているようだが、科学の世界ではあり得ない間違い。
・小保方氏の論文では、STAPが作成できないことから疑惑が持たれたが、だからといってSTAP細胞がないとは言い切れない。しかし、小保方氏本人が作成できていないとなると、ねつ造と言われても仕方がない。
・ハーバード大学がSTAP細胞の特許を出願したことにより、「小保方氏は正しかった」と見る人がいるが、ハーバードはまったく別のやり方。小保方氏のやり方を信じた研究者に、時間と金の無駄をさせたという意味で、科学界への貢献度はマイナス。
・一連の行動は、科学者として信頼をなくすものだが、その背景には、成果を要求して先走る上司、派手な論文を好む傾向がある「ネイチャー」、えこひいきにも思えるような女性優遇など、科学界の構造的な問題も含まれている。
寂聴へのバッシングが先を行きすぎた“不運”ゆえなら、小保方さんへのそれは稚拙なのに祭り上げられてしまった、つまり“幸運”からのバッシングであり、両者は異なるのだ。しかし、寂聴と小保方氏には共通点を見つけることができる。それは“小説”である。
博士号取得者の知人は「小保方氏が書いたのは、論文ではなく小説」と表現した。研究者も小説家も、自説をもとに結論まで突き進む。小説も論文も評価する側が気にするのは、「論理の破たんがないか」である(論文通りに実験をして結果が出たら採択するわけではない。小説も同様で、殺人事件を描いた小説の審査で、実際に殺人をする必要はない。ストーリーや登場人物の心情に無理がないかがポイントになる)。論文と小説の違いは、論文では実験結果という“証拠”が必要なことだろう。
寂聴は小保方氏のことを「持って生まれた文才がある」と評価し、小説を書くことをすすめた。寂聴が認めた文才以外で、私が小保方氏に小説家としての才能を感じるのは、「第二の瀬戸内寂聴になれるというお手紙もございました」という小保方氏の発言である。
「第二の〇〇」という表現は、それだけ偉大な才能の持ち主という意味であるので、「〇〇」には当然ビッグネームが入る。ゆえに、それを口にするのは、それ相応の“証拠”がなければ、相手に対して失礼である。小保方氏の『あの日』はベストセラーを記録したが、小説はまだ書いていない。“証拠”がないのに、「第二の瀬戸内寂聴」とは大きく出たが、これこそが彼女の“才能”なのではないかと思うのだ。
出典は失念したが、直木賞作家・桜庭一樹氏は、作家の才能について、「調子に乗ること」と述べていた。編集者から「できる! やれる!」と言われたら、うまく踊らされることが大事という意味だが、これってまさに小保方氏のことではないか。
寂聴は小保方氏を「あなたは必ず蘇る」と予言したが、私もそう思う。小保方氏は袖と太ももまで透けるミニのレーシーな白いワンピースに白い靴で、寂庵を訪れた。お寺という場所や、畳に正座する可能性があることを考えると、透けた素材やミニのワンピースはTPOにそぐわず、全身真っ白のいでたちは、まるで花嫁さんのようである。
花嫁さんといえば、結婚式の“主役”。小保方氏が意識しているかどうかは別として、小保方氏からは「私が中心」という“主役意識”を感じずにいられない。自分が主役だと信じている人は、決してへこたれない。思わぬ形で、小保方氏が降臨する日は近い。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。最新刊は『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)。
ブログ「もさ子の女たるもの」
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