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(2009年8月3日ミクシイ日記再録)
http://mixi.jp/edit_diary.pl?id=1244418449
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori-rekishiokangaeru/archives/53692494.html
コラソン・アキノ元大統領について、誰も書かない事が有るので、私が書く事にします。
フィリピン革命から間も無い1986年11月、故・アキノ大統領が、日本を訪れた際の事です。
この際の宮中晩餐会で、アキノ大統領が行なったスピーチを、私は、たまたま、生放送で見て居ました。そして、その時、彼女が語った言葉に、震えるほどの驚きを覚えた事を、私は、今も良く覚えて居ます。
彼女は、昭和天皇に対する答礼のスピーチの中で、日露戦争(1904−1905)の事を語り出したのです。
今、そのスピーチの全文をインターネットで探しましたが、どうしても見つかりません。そこで、記憶で書きますが、アキノ大統領は、その生放送されたスピーチの中で、日露戦争における日本の勝利を絶賛して、この様な事を語ったのです。
「私たち(フィリピン人)は、日本の勝利を見て、そうだ、自分たちにも出来るのだ、と確信したのです。そして、独立の為に、立ち上がったのです。」
それは、本当に、日本の近代史に対する最大級の賞賛でした。日露戦争における日本の勝利が、アジアに大きな驚きと刺激を与えた事は周知の事ですが、アキノ大統領は、それが、フィリピンにおいても同じであった事を語り、独立を求める当時のフィリピン人達が、日本の勝利に歓喜し、日本を尊敬した事を、驚くほど率直な言葉で語ったのです。東南アジアの元首が、日露戦争における日本の戦いに対して、公の場で、この様な熱烈な賞賛の言葉を放つ事があろうとは、想像だにした事が無かった私は、本当に驚いた事を覚えて居ます。
(この時、アキノ大統領は、Yes,we canと言った気がします)
その翌日だったと記憶しますが、私は、新聞で、こんな事を読んだと記憶します。
この晩餐会の直前、昭和天皇とアキノ大統領は、別室で対面し、歓談して居たのだそうです。そこで、昭和天皇と同大統領は、非常に話がはずんだと言ふ事ですが、その時、昭和天皇が、不意に、「先の戦争では、大変な御迷惑をお掛けしました。」と言って、アキノ大統領に謝罪の言葉を口にした、と言ふのです。昭和天皇のその言葉に、アキノ大統領は、大変、驚いたと言ふ事です。と言ふのは、そんな事を語るのが晩餐会の目的でもなければ、外交儀礼上も、そうした事は語らない事に成って居たからだと読んだ記憶が有りますが、とにかく、アキノ大統領は、大変驚いたのだそうです。そして、「陛下、そんな事をおっしゃる必要は無いのです」と言って、昭和天皇の言葉を制止しようとしたと、私は、読んで居ます。(何処かの国々とは大違いですね)ところが、昭和天皇は、その言葉をやめずに、更に、アキノ大統領に、そうした言葉を言ひ続けたと、私は、読んだ記憶を持って居ます。(記憶なので、完全に正しいかどうか分かりません。当時の新聞を見れば確かめられると思ふので、調べられる人は調べてみて下さい。)その私的な談話の後で、晩餐会は開かれ、アキノ大統領は、日露戦争の勝利に言及して、日本の近代史を絶賛して居るのです。
ここから先は、私の想像です。
私は、アキノ大統領は、当初、全く別のスピーチをする予定だったのではないか?と、私は思ふのです。
それが、晩餐会の直前、昭和天皇の口から聞いたその言葉に、アキノ大統領は、感動したのだと思ひます。そして、その感動から、急遽、全く別のスピーチをしたのではなかったか?昭和天皇の言葉に対する真の答礼として、日露戦争の勝利を引き合いにして日本の近代史を絶賛し、「フィリピンの建国者たちは、日露戦争の日本の勝利を見て、自分たちにも出来るのだと、思ったのです」と、言ったのではなかったか?私は、今も、そう思ふのです。
しかも、アキノ大統領は、昭和天皇のその言葉を聞きながら、それを言質として利用する様な事は全くして居ません。彼女は、人間として、正直で、善良な人だったのだと、私は、思ひます。
(チェコのハヴェル(Havel)大統領と較べたく成ります)
心より御冥福をお祈りします。
平成21年(2009年)8月3日(月)
西岡昌紀
(転送・転載は自由です)
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http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=916634&media_id=2
<アキノ元大統領死去>長男が「母の遺志」と国葬を拒否
(毎日新聞 - 08月01日 19:43)
【マニラ矢野純一】アキノ元大統領の長男ノイノイ・アキノ上院議員は1日、「母の遺志」として、国葬を拒否することを明らかにした。
同氏は「母は以前から普通の市民に戻ったとして、国葬を拒否することを決めていた」と説明。政府側からの接触も一切無いという。
遺体は同日午後、マニラ首都圏のカトリック系の学校施設内に移され、5日に予定されている埋葬まで、弔問を受け付ける。故人の遺志で、マニラ首都圏の霊園内にある夫のベニグノ・アキノ元上院議員の墓の隣に埋葬するという。
一方、訪米中のアロヨ大統領は「国家の宝だった」と哀悼の意を表明、フィリピン政府は1日から10日間、喪に服すると発表した。
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