from 911/USAレポート』第708回 「トランプ現象を誰が支えているのか?」 ■ 冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ (冷泉彰彦さんからのお知らせ) もう一つのメルマガ、「冷泉彰彦のプリンストン通信」(まぐまぐ発行) http://www.mag2.com/m/0001628903.html (「プリンストン通信」で検索)のご紹介。 JMMと併せて、この『冷泉彰彦のプリンストン通信』(毎週火曜日朝発行)も定期 的にお読みいただければ幸いです。購読料は税込み月額864円で、初月無料。登録 いただいた時点で、月初からのバックナンバーが自動配信されます。 直近2回の内容を簡単にご紹介しておきます。 第098号(2015/01/12)「(短信・短評)北朝鮮の『水爆』実験/竹田圭吾氏死去/ スター・ウォーズ、レイのキャラが象徴するフェミニズム3.0/創生とか、活躍と いう言葉の<逃げ>を憂う」「トランプの<アンチ銃規制>とブルームバーグ」「フ ラッシュバック70(第80回)」「Q&Aコーナー」 第099号(2015/01/19)「(短信・短評)サウジ国営石油の上場は成功するか?/降 雪と鉄道の運行障害」「大雪でも出勤という消耗の構造」「フラッシュバック70 (第81回)」「Q&Aコーナー」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 『from 911/USAレポート』 第708回 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 長い予備選レースの「緒戦」となるアイオワ州党員集会が約1週間に迫っていま す。依然として共和党ではドナルド・トランプが勢いを維持しており、今週は他でも ないサラ・ペイリン氏がトランプへの支持を表明して、選挙戦の陣営に加わるという ニュースが、更にその勢いを後押ししているようです。 一方で、この22日の金曜日には、「ホワイト・ジェノサイド」という物騒な名前 の「ネオナチ」グループのツイートを、トランプが誤って「リツイート」したという 事件がありました。ライバルのジェブ・ブッシュをバカにした内容が「面白くて」つ いついリツイートしたということのようですが、その後、東海岸ではこの冬最大の 「スノー・ストーム」を迎える準備に追われる中で、このニュースもウヤムヤになっ ています。 そんなわけで、「もしかすると」この「ネオナチ」リツイートという事件を契機 に、トランプ人気という「憑き物」が有権者の間から「ふっと剥がれ落ちる」という ことも、多少はあるかもしれません。ですが、現時点ではトランプの勢いは止まって いません。全国の共和党内での支持率は35%近辺であり、10%台のクルーズ、ル ビオの両候補を大きく引き離しています。アイオワでも、長い間トップだったクルー ズを引きずり下ろして、トップを取る構えです。 この「トランプ人気」ですが、昨年2015年の8月に顕在化して以来、その原因 については様々な分析がされてきました。ですが、その有権者の心情の「核」にある のは何なのか、なかなか分かりにくい現象であったのも事実です。「反エスタブリッ シュメント」の心情が核にあるという解説も多いのですが、単なる「権力へのアンチ 」というのであれば、過去にも現在にも他に色々なものがあるわけです。 左派で言えばバーニー・サンダースの位置というのは、確かに「反権力」でしょう し、右派で言えば、それこそペイリンが主導した「ティーパーティー」というのも 「反権力」でした。ですが、トランプ現象というのは、この2つのものとは「何かが 決定的に違う」のです。決定的に品がないとか、決定的に差別的だという意味であり ません。また、あの「激しいまでの単純化」ということについても、一般的には「判 断力の低い」「メディア・リテラシーの低い」「手持ちの情報の少ない」有権者向け の「ポーズ」だという解説も多いのですが、どうもそうでもなさそうです。 私は、どうやらこの「トランプ現象」というのは、「都市の賃金労働者によるミド ルクラス崩壊への怒り」と見るのが正しい、現時点ではそのように思えてなりませ ん。賃金労働者ということでは、自営業主体の「ティーパーティー」とは一線を画し ますし、「再分配を要求していない」ということでは、民主党左派とも全く違いま す。ただひたすらに、「ミドルクラスの崩壊」ということに怒っている、それが「ト ランプ現象」のコアにある心情ではないでしょうか。 トランプの主張は極端な排外主義で知られますが、同時に「ユニバーサルな医療保 険の実現」であるとか「国内雇用の復権」つまり「アメリカの雇用をグレイトにす る」「中国や日本から雇用を奪い返す」という主張もしています。中国はともかく、 日本がアメリカの雇用を奪っているというのは、現在の産業構造や国際分業において は適切な指摘ではなく、むしろ80年代に戻ったようなレトロ感があるのですが、そ れはともかく、興味深い態度であるとは言えます。 この「ミドルクラスの消滅」というのは、ウラを返せばアメリカの「格差社会化」 が進んでいるということです。富裕層は益々富裕になり、その一方で貧困層が拡大す る、そして分厚かったはずの中間層は薄くなりつつあるというのです。 この点に関しては、昨年2015年の12月9日更新の『CNNマネー』(電子 版)にタミ・ルーバイという記者が「ピュー研究所」の最新の調査結果を元に、分か りやすい記事を書いていました。ルーバイ記者によれば、まず「ミドルクラス」の定 義として、平均所得の「3分の2から2倍のゾーン」という設定を採用した場合に、 2014年には「3人世帯」の場合は年収41900ドル(約494万円)から、1 25600ドル(約1482万円)だというのです。 この定義を採用すると、アメリカの「ミドルクラス」は1971年には全世帯の6 1%であったのが、2014年には49.9%になっているのだそうです。明らかに 「ミドルクラスの縮小」が起きているわけですが、この「世帯数比」ということです と、それほど事態は深刻ではないように見えます。 一方で、「年収が平均の2倍超」の「アッパークラス」に関して言えば、同じ43 年間の間に年収の平均は47%伸びているのに対して、「ミドルクラス」は34%、 「ロウアークラス」は28%しか伸びていないのです。この数字も何となく「そんな もの」という感覚で受け止めることができるかもしれません。 ですが、この「掛け合わせ」つまり金額ベースでの「アッパークラス全体」と「ミ ドルクラス全体」について、アメリカの全世帯収入におけるシェアを見てみると衝撃 的な数字が出てきます。1971年には米国の全世帯収入の62%であったミドルク ラスの収入は、2014年には43%に落ち込み、反対にアッパークラスの金額ベー スでのトータル収入は、全体の29%から49%に大きく伸びています。2014年 には、米国全体の世帯収入において、アッパークラスのシェアはミドルクラスのシェ アを超えているのです。ちなみに、ロウアークラスについては10%から9%へと微 減にとどまっていますが、これもその分だけ数が増えているというように見れば全く いい数字ではありません。 これは収入ベースですが、資産のベースではもっと顕著な差が出てきます。同じ 「ピュー研究所」の別の統計になるのですが、2013年のミドルクラスの資産総額 平均は98100ドル(約1158万円)で、1983年から2013年の30年間 の間に2.2%しか伸びていないし、ロウアークラスの場合は11500ドルから9 500ドルに減っているのです。ですが、アッパークラスの場合、2013年の資産 総額平均は650100ドル(約7671万円)で30年間で201%、つまり倍増 しているといいます。 アメリカでは明らかに格差が拡大しています。それも非常に顕著な形で進行してい ると言っていいでしょう。 格差の原因は明らかです。一つの言い方としては、アメリカは完全に「先進国型」 の社会になって行ったということができます。製造業の場合、国内には高度な企画・ 研究・開発など知的な高付加価値の職種だけが残り、大量生産の機能は国外に出して いるわけです。一部残っている純粋な製造工程ということでも、宇宙航空関連や高付 加価値の半導体、あるいはバイオ製品など先端産業が主です。また、非製造業でも金 融や情報産業など高度で知的な産業がGDPを牽引していると言えます。 ただ、アメリカが技術力で世界のトップに躍り出たのは1950年代です。その時 代から一度は日本の挑戦を受けて「双子の赤字」に苦しんだ80年代までの期間は、 先進国でありながら製造業の巨大な雇用を抱えていたわけです。ということは、アメ リカの世界における地位が変わったのではなく、製造業を中心とした産業のあり方が 変わったということが言えます。 2つの変化があると思います。まず1つは、モノを製造する場合に非常に高度の集 約を行って大量生産をする、そして低コストで高パフォーマンスの製品を供給すると いうビジネスモデルの変化です。その場合に、製造拠点は「より低コストで、より高 品質で、より大量の生産が安定的に可能」というロケーションになっていくわけで す。製造プロセスの空洞化というのは、このような仕事の進め方の変化、モノの作り 方の変化の中で生まれたということです。 もう1つは、ハードからソフトへのシフトです。目に見えるモノを作ることで多く の雇用を生み出していた80年代以前とは違って、現代のアメリカで生み出される付 加価値の相当の部分はソフトです。例えばコンピュータのソフト・アプリであり、デ ジタル・コンテンツであり、金融や技術がらみの情報であったりするわけです。こう したビジネスは、知的に高度な労働を要求し、その多くは高給になります。 現在の「トランプ現象」を支えている層というのは、こうした「変化」について 「どうしても承服できない」として怒っているのです。ですから、全くのファンタジ ーでしかない「日本から雇用を奪い返せ」とか「アップル製品はアメリカで作らせ ろ」といった主張に飛びつくのです。 では、この「ミドルクラスの崩壊」あるいは「格差の拡大」という問題について、 他の候補たち、あるいは既存のアメリカの政治勢力はどのように考えているのでしょ うか? 例えばオバマ大統領の場合は、本籍は左派ですから「格差には再分配で」という姿 勢を取るはずですが、「医療保険改革」という新しい政策を実行に移した以外は、意 外に「再分配」には消極的でした。特に2008年に当選して、09年に大統領に就 任したという時期が、リーマン・ショック後の「最悪の時期」でしたから、特に「全 体の景気」が回復するのを「妨害しない」ということに腐心していたと言っていいで しょう。とにもかくにも、その結果として、2009年の最悪期には10%を超えて いた失業率が、昨年12月には5%まで下がったわけです。 このオバマの姿勢に対して、右からの批判が2010年以降の「ティーパーティ ー」であり、その批判の核にあったのは「景気刺激策などで税金をバラまいても効果 がない一方で、国家債務だけは積み上げた」ことへの怒りでした。自営業者を主とし た納税者の反乱という言い方もできると思います。 一方で左からの批判は「占拠デモ」運動でしたが、その内容は「ウォール街の高給 取りを支援するのであれば、そのカネを自分たちに回せ」あるいは「若者の雇用機会 をもっと拡大せよ」というものでした。こうした運動は、現在の大統領選でいえばバ ーニー・サンダース候補の陣営が継承しており、ヒラリー・クリントンの陣営も大き くその影響を受けています。 ということは、「過去にミドルクラスとしてアメリカの繁栄を自分のものとして享 受した」一方で「現在はその地位からこぼれ落ちそうになっている」層、つまり中高 年の賃金労働者であって、現在は失職しているか、意に反して低賃金に甘んじている か、リタイアしている中で年金生活の先細りに不安を持っている、そんな有権者ゾー ンの受け皿になる対立軸なり政治勢力というのは存在しなかったのです。 そこへ「トランプ旋風」が湧き起こって、この人達の怒りを「シンクロさせる対象 」が生まれたというわけです。ということは、例えばトランプの「不法移民は強制退 去」というのは、そのまま額面通りのメッセージではなく「かつてアメリカを支えて きた自分たちが冷遇されているのに、違法行為として入国した人々のことを、オバマ やジェブは心配している」という怒りの表現だというように見る事ができます。 また、「シリアのISIS支配エリアは絨毯爆撃してしまえ」というのも、本当に 民間人犠牲を伴う無謀な作戦を行えというのではなく、「世界の警察官としてアメリ カが紛争解決に決定的な関与をする力があり、その繁栄を自分たちも享受していた時 代に戻してくれ」という「無いものねだり」のファンタジーの表現だと言うことがで きます。 そう考えると、トランプ人気というのは、この「過去の栄光、そして自分たちの名 誉と雇用と老後の保障」が失われていることへの「怒り」とシンクロする現象が回っ ている限りは、続いていく可能性があります。 一時、私は「トランプ現象は『ふわっとした民意』」であって、その「ふわっとし た感覚」というのは、些細なことで「吹き飛ぶ」のではないかと思っていましたが、 どうやら違うようです。この「確かな怒りとのシンクロ」というのが、この現象のキ ーであり、その部分が「切れ」ない限り、「吹き飛ぶ」ことはなさそうです。 では、そのトランプは仮に共和党ジャックに成功したとして、本選で勝てるのでし ょうか? それは難しいと思います。「過去と現在のアメリカへの怒り」という心情 は、全国レベルでは決して多数派にはならないからです。まず、オバマ支持層のよう に「緩やかな景気回復と、格差社会の中でのトリクルダウン」で何とかして行くのが 「成熟国家アメリカの現在」だという層は相当に多数派として存在します。 また、保守陣営の中では「小さな政府論」で財政規律を維持するのがアメリカの将 来の繁栄を保証するという立場は、依然として保守本流です。そうした立場から見れ ば、トランプの支持層というのは、やはり異端であり、そして少数です。 今回の「トランプ+ペイリン」コンビの成立は、その意味で「もしかしたら共和党 分裂?」という変動の契機になるかもしれないと言われていますが、それはそうした 意味です。 いずれにしても、当面は「旋風」は続くでしょうが、例えば年初以来の株安、ある いはその原因とも言われる原油安が更に進行して、アメリカの景気が大きく揺らぐよ うな局面になったらどうでしょうか? 私はそこで、より多くの人が不安感から「ト ランプのポピュリズムに共鳴」するようになるとは思えないのです。仮に具体的な景 気低迷への不安があるのであれば、政治経済の「本当の改革を行う」実務家、そして 「オバマ路線への変更」を具体的に提言できる人物に支持が集まるでしょう。 トランプのような「個人的な怒りを極端な右派ポピュリズムに乗ることで解消する 」という、ある意味では「切羽詰まったものとは違う」イデオロギー運動というの は、景気低迷という具体的な恐怖に対する答えにはならないからです。 ------------------------------------------------------------------ 冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ) 作家(米国ニュージャージー州在住) 1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。 著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空 気」「場の空気」』『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』『チェンジはどこへ 消えたか〜オーラをなくしたオバマの試練』。訳書に『チャター』がある。 最新作 は『場違いな人〜「空気」と「目線」に悩まないコミュニケーション』(大和書房)。 またNHKBS『クールジャパン』の準レギュラーを務める。 ◆"from 911/USAレポート"『10周年メモリアル特別編集版』◆ 「FROM911、USAレポート 10年の記録」 App Storeにて配信中 詳しくはこちら ≫ http://itunes.apple.com/jp/app/id460233679?mt=8
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