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(回答先: シーア派指導者処刑はサウジの「国内対策」だった(サウジ・イラン断交(前編))/川上泰徳 投稿者 仁王像 日時 2016 年 1 月 10 日 20:30:33)
本当の危機は断交ではなく、ISを利する民衆感情の悪化【サウジ・イラン断交(後編)】/川上泰徳
2016年01月09日(土)11時24分
http://www.newsweekjapan.jp/kawakami/2016/01/is.php
(以下、抜粋)
「メッカ大モスク占拠事件」以来の集団処刑
サウジ内務省にとって今回47人の「テロリスト」を一挙に処刑したことは、歴史的な重要性を持っている。サウジの新聞は、今回の「テロリスト」の集団処刑は、1979年に起きた「メッカ大モスク占拠事件」に関係した63人の実行犯が処刑されて以来の規模だと解説していた。
集団処刑を公表した内務省の声明文では、処刑された47人の名前のリストの後に、死刑の理由となった犯罪について17項目が列挙されていた。2003年5月のイラク戦争終結後から2006年2月までに起こったテロ事件である。爆弾テロ、治安部隊や軍の施設への襲撃、外国大使館・領事館の襲撃、石油施設への破壊活動、外国人誘拐と斬首などが挙げられている。すべてがアルカイダによるとされたテロ事件である。その筆頭はリヤドの外国人住宅地3か所の連続自爆テロで、40人近い住民が死んだ事件である。
この声明を見れば、今回の集団処刑は、サウジにとって最悪のテロが続いたイラク戦争後の危機の3年間に内務省として決着をつける意味があったことが分かる。私はリヤドでの外国人住宅地爆弾テロの1か月後にリヤドに入り、爆発現場の1つに入った。爆弾を積んだ車が、高い塀で囲まれた外国人住宅の中央の広場まで進入し、爆発した。広場に面した周囲の住宅の外壁がすべて吹き飛んだ破壊の光景はすさまじいものだった。
過激思想を唱えることも死刑理由に
今回の47人の「テロリスト」の集団処刑は、アルカイダによる最悪のテロが続いた、その時期の清算なのである。その47人の中に、【サウジ・イラン断交(前編)】で取り上げた、アルカイダを支持する宗教者として2004年に逮捕され、死刑判決を受けていたファーリス・ザハラーニ師が含まれていた。
声明の中で、ザハラーニ師の死刑理由を示すとみられるのは、17項目のうち最後の項目だ。「暴力を扇動し、混乱を引き起こし、テロ行為をまき散らし、外国でテロ活動を行うよう(人々を)そそのかし、そのような活動への支持を表明し、公共のルールを犯している」とある。具体的なテロ事件ではなく、そのようなテロ行為やテロ組織を支持するなどの過激思想を唱える行為が死刑の対象であることを明示したものである。
ところが、声明の中には、今回、国際的に大きな反響を呼んだシーア派宗教者ニムル師の死刑理由にあたる部分は見当たらない。…
死刑が執行された中で、ニムル師は時期的にも、関係した事件も異なり、他のスンニ派の死刑囚の中では全く異質である。もし、内務省が、ニムル師の処刑が国際的に大きな反響を呼ぶことを予想しているならば、声明の中で何かの予防線を張っておいたはずであるが、それはない。サウジ内務省が今回の集団処刑でニムル師の処刑を本筋とはみなしていなかったと、私が考える理由である。内務省はニムル師をシーア派として処刑したのではなく、ザハラーニ師と同様に「暴力を扇動し、混乱を引き起こす」人物(=宗教者)として同類に置いたと理解すべきだろう。
過去の清算ではなく、新たな治安の危機への対応
今年の年頭に10年前のテロに関わったアルカイダの死刑囚を集団処刑したことは、単に過去の清算ではなく、2015年にISによるテロが頻発したことと無関係ではないはずだ。内務省は治安の新しい危機に対応するために、歴史的ともいえる集団処刑を決断したのである。新しい危機とは何かを解くカギは、内務省がジハード(聖戦)を呼びかけたザハラーニ師と共に、「アラブの春」を称揚したニムル師を処刑したことにあるのではないかと考える。
つまり、内務省は、ザハラーニ師が唱えた「サウジ体制を拒否し、暴力に訴えるアルカイダのテロ」を抑え込むだけでなく、ニムル師が唱えた「アラブ春の若者たちのデモに象徴されるような集団活動」を抑え込むことを意識したという読みである。普通の市民にサウジ王国を批判するような考え方や情報が発信されることに厳罰を下したのである。
スンニ派にも広がる政府批判のデモ
ニュースから、サウジで「アラブの春」のシーア派だけでなく、スンニ派の若者の間でも政府批判のデモが起こっているということが分かった。インターネットサイトを見ると、リヤドやリヤドの北部のカシム州の州都ブレイダなどで街頭での小規模なデモが続いている。女性も参加するデモや、プラカードだけを持った無言のデモなどがインターネットの動画サイトで掲示されている。治安部隊はデモも弾圧し、女性や若者が拘束されているという情報もあった。
保守地域で起こるイスラム的改革要求
欧米や日本では「アラブの春」を民主化の動きとしか理解していないが、その本質は、腐敗した強権体制に対して、若者たちが立ち上がった世直しの動きである。それは、エジプト革命で当初、世界が注目した「4月6日運動」のような若者組織が、民主化を実現する選挙にはほとんど関心を示さず、革命継続を唱えてデモを繰り返したことでも分かる。
「アラブの春」の第1のスローガンは社会に広がった腐敗や格差を是正する「公正・正義」だった。公正を実現するために、若者運動の中からは方策は出てこなかった。20年、30年前なら世俗派イデオロギーの社会主義が世直しのイデオロギーとして出てきたかもしれないが、アラブ世界でも社会主義は過去のものである。
選挙を制したイスラム的な世直し
代わりに、「正しいイスラムの実現」としてイスラム的な世直しを掲げたイスラム穏健派のムスリム同胞団系政党がチュニジアでもエジプトでも選挙で勝利した。2012年のエジプトの大統領選挙で、同胞団系候補と軍出身の候補の決選投票となった時、若者たちの多数は同胞団系候補を支持した。
「アラブの春」後に、イスラム穏健派の政権が成立する一方で、エジプト、チュニジア、リビアなどいたるところで台頭したのが、サラフィー主義と呼ばれるイスラム厳格派である。若者たちがサラフィー運動の担い手となった。世直しを求める若者たちの意思が、より厳格な形でのイスラムの実現を求めるサラフィー主義に向かう契機となっている。さらに、サラフィー主義が戦闘化したISもまた、「アラブの春」の流れのなかで、若者たちの反乱として位置づけられねばならない。「アラブの春」は終わったのではなく、ISという危険な形で続いている、という認識である。
国内世論対策としての外交断絶
ジュベイル外相は抗議して、外交関係断絶という厳しい措置を発表した。
しかし、イランの対応はというと、最高指導者ハメネイ師やロハニ大統領が「イスラムにも人間の道にも反する」と非難し、著名な宗教者か次々と非難の声明を挙げたが、反サウジ運動に国民をけしかけるような激しいトーンではなかった。民衆の抗議デモは起こったが、イラン政府は治安部隊を出してデモを抑えようとして、デモ隊の40人以上を拘束している。
両国の国交断絶の動きは、中東でスンニ派の盟主サウジとシーア派の盟主イランが、覇を競うというような意味づけではなく、サウジが、自国がイランの攻撃を受けているということを殊更に強調して、厳しいIS対策をとるための国内の引き締めを図ったということである。つまり、国内世論向けの対応である。イランの方には長年続いてきた国連や米国の制裁解除を目前にして、サウジとの関係を荒立てることには何の利益もない。
サウジとイランの国交断絶は外交的にはほとんど実質的な意味はないが、それが空騒ぎであっても、民衆の感情に火をつけ、結果的にシーア派憎悪を強調するISを利することになる。
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