http://www.asyura2.com/15/jisin21/msg/630.html
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http://lala.hateblo.jp/entry/2016/09/26/221622
日本の歴史上一番大きな津波、実は沖縄で起きていた!
その沖縄近海で本日 震度5弱。
嫌な感じです。
沖縄近海で地震、鹿児島・沖永良部島で震度5弱
http://www.yomiuri.co.jp/national/20160926-OYT1T50046.html
26日午後2時20分頃、沖縄本島近海を震源とする地震があり、鹿児島県・沖永良部島の知名町で震度5弱を観測した。
気象庁によると、震源の深さは44キロ、地震の規模を示すマグニチュードは5・6と推定される。
同庁は、「今後1週間程度は、同じ規模の地震が起こりやすい」と注意を呼び掛けている。
主な各地の震度は次の通り。
▽震度4 鹿児島県瀬戸内町、和泊町、与論町
▽震度3 同県奄美市、沖縄県名護市など
沖永良部島に設置されている地震計の震動記録
震央から地震計までの距離:7.74km(震度 3相当)
地震計の震動記録を、15倍にピッチを早めて人の耳で聴こえるようにしてみました。
動画中の上3つの波形が、東西、南北、上下方向毎の地震の震動、下が地震のスペクトル。15倍にピッチを上げてるため動画4秒が実際の1分になります。
音声は、東西波形が左チャンネル、南北波形が右チャンネルのステレオ音になってます。
地震スペクトル(独自に作成)
地震計の位置 :北緯27.3340度, 東経128.5743度
日本の歴史上一番大きな津波、実は沖縄で起きていた!
http://we-love.okinawa/column/11477/
石垣島では、海岸よりもずっと内陸の高台に、津波で打ち上げられたという大きな「津波石」と呼ばれる石があちこちにあるそうです。今も残る爪痕だと思いますが、私が石垣島に行ったときは全く知りもしませんでしたし、ただの岩だと思って通り過ぎていたに違いありません。過去の教訓として、知っておかなければいけないことだと改めて思いました。
最大のものが大浜崎原公園の西北隅にある津波大石で、高さ7.5〜8m、推定重量700トン、表面にはみどり石、テーブルサンゴなどサンゴ礁に寄生生物跡が残されているそうです。
水納島の巨岩、明和の大津波と時期一致 2000年9月7日 11:56
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-112802-storytopic-86.html
多良間村の水納島北側にある岩が年代測定によって、1771年に八重山・宮古両諸島を襲った「明和の大津波」で陸に打ち上げられたものであることが、琉球大理学部の加藤祐三教授によって確認された。これまで陸に打ち上げられた岩の年代測定で、同津波の時期と完全に一致したのは三例あるが、水納島では初めて。加藤教授は「古文書には津波後の水納島の様子について、人家もなく石や砂が上がっていたとの記述があるが、これを証明できた」と話している。
この岩は海岸から約300メートル陸側で標高七メートルの丘の上にあり、高さは二メートル、推定重量は約30トン。昨年8月、公開講座の「地学巡検」で島を訪れた加藤教授らが岩を発見。「同島には、海岸や陸上に津波で動いたとみられる岩がいくつかあるが、津波の威力を確認するために丘の上にあるものを選んだ」と同教授。
岩は比較的新しいサンゴでできたもので、食い込んだヒメジャコを採取し年代測定。その結果、1650年-1770年ごろに陸に打ち上げられたことが分かった。
明和の大津波で打ち上げられたとみられる岩は八重山・宮古両諸島に多数存在するが、年代測定で津波の時期と完全に一致したのは石垣島、多良間島の計三例だけだという。加藤教授は「標高七メートルの位置にこの岩が打ち上げられたことは、それより低い5、6メートルの居住地域が波で洗われたことを意味している」と語った。
同教授は8日から長野市で開かれる第17回歴史地震研究会でこの結果を発表する。
沖縄の歴史地震
http://seis.sci.u-ryukyu.ac.jp/hazard/large-eq/history.html
西暦 (和暦) |
震源地 | 地域 | マグニチュード | 主な被害(球?-??は球陽・巻-通し番号を示す) | ||
緯度 | 経度 | 深さ | ||||
1625 寛永2年 |
石垣島 | 石垣島桴海村津波に襲われ全村流潰(八重山島年来記) | ||||
1664 寛文4年 |
27.9 | 128.3 | 沖縄鳥島 | 付近の海底より噴火。津波を伴う。死者1人(球6-352) | ||
1665.3 寛文5年 |
沖縄本島 | 地震甚だ大にして山岳尽く響く(球6-355) | ||||
1667 寛文7年 |
宮古島 | 宮古島で大地震。干田1210坪が約3尺沈下して水田となる。(球6-409) | ||||
1667 寛文7年 |
石垣島 | 石垣島で大地震。島の所々が崩れる。 大川村の井戸に女性埋まる(八重山島年来記)。 |
||||
1686.5 貞亨3年 |
宮古島 | 石垣が崩れる。 | ||||
1687.10.20 貞亨4年 |
13.2s | 76.5w | 30 | ペルーCallao沖 | 9.0 (NOAA) | 午前2時、与那覇城郡の海岸で潮位異常。(球8-542) |
1696.6.1 元禄9年 |
宮古島 | 宮古島で大地震。(球8-606) | ||||
1706 寛永3年 |
宮古島 | 宮古島で大地震。死者あり。 | ||||
1714 正徳4年 |
石垣島 | 黒島村迎里に津波襲来?。幼児1名死亡(八重山島年来記)。 | ||||
1760.5.15 宝暦10年 |
沖縄本島 | 首里城周辺で倒壊。(球15-1201) | ||||
1768.7.22 明和5年 |
26.2? | 127.5? | 沖縄本島南西沖 | 7.5〜8.0? | 王城、寺、王陵、極楽陵の石垣 崩れる。 慶良間島内の座間味・阿佐で津波被害。(球15-1248) |
|
1771.4.24 明和8年 |
24.0 | 124.3 | 八重山・宮古諸島 (八重山地震津波) |
7.4(理科年表) 8.5(津波より推定) |
八重山諸島と宮古諸島で津波被害。 津波による死者12000人 (球16-1286) |
|
1771.8.30 明和8年 |
石垣島 | 八重山島南風原、仲間村で地震。地鳴り、湧水。(球16-1288) | ||||
1791.5.13 寛政3年 |
沖縄本島付近 | 8.0〜8.2? | 津波。那覇、渡久地で1.5〜2m 与那原で11m |
|||
1836.4.22 天保7年 |
宮古島 | 数十回の地震。7日の地震で宮古島の石垣が崩れる。 | ||||
1842.4.16 天保13年 |
宮古島 | 宮古島で数十回の地震。石塀崩れる。 (球21-1804) | ||||
1858.9 安政5年 |
沖縄本島 | 8月から12月まで度々地震。 (球22-2038) | ||||
1868.8.13 慶応4年 |
18.3s | 70.6w | チリ北部Arica沖 | 9.5 (NOAA) | 那覇港で異常潮位 (球22-2210) | |
1868 明治1年 |
宮古島 | 石垣が崩れる。 | ||||
1882 明治15年 |
沖縄本島周辺 | 那覇・首里で石垣が崩れる。 | ||||
1898.9.1 明治31年 |
24.5 | 124.75 | 多良間島沖 | 7 | 宮古、石垣島で家屋半壊2、 山崩れ、石垣の倒壊。 |
|
1909.8.29 明治42年 |
26 | 128 | 沖縄本島東方沖 | 6.2 | 死者2、負傷者13、家屋全半壊106 | |
1910.7.24 明治43年 |
台湾東方沖 | 石垣島で強震、大小の被害あり | ||||
1911.6.15 明治44年 |
28.0 | 130.0 | やや深い | 喜界島近海 | 8.0 | 那覇で石垣崩壊496ヶ所。死者1名、負傷者11名。 全壊1 |
1915.1.6 大正4年 |
25.1 | 123.3 | 150 | 石垣島北方沖 | 7.4 | 石垣島で石垣崩壊105ヶ所 |
1920.6.5 大正9年 |
23.81 | 122.08 | 35 | 台湾東方沖 | 7.7(Mw) | |
1926.6.29 昭和元年 |
27.3 | 126.8 | 130km | 沖縄島北西沖 | 7.5 | 那覇で震度4、石垣崩壊多数。 |
1938.6.10 昭和13年 |
25.3 | 125.2 | 40km | 宮古島北北西沖 | 7.2(気象庁) 7.7(Ms) |
宮古島平良港へ1.5mの津波。 地震動による死者2。 |
1947.9.27 昭和22年 |
24.7 | 123.2 | 95km | 石垣島北西沖 | 7.4 | 石垣島で死者1、西表島で死者4。 石垣崩壊。 |
1958.3.11 昭和33年 |
24.6 | 124.3 | 77km | 石垣島北東沖 | 7.2 | 石垣島で死者1、宮古島で死者1。 家屋破損、ブロック塀倒壊。 |
1960.5.23 昭和35年 |
38.0s | 73.5w | 浅い | チリ沖(チリ地震) | 9.5 | 沖縄本島中北部、石垣島、宮古島 に津波襲来。 死者3。家屋全壊28、半壊109、床上浸水602、床下浸水813 |
1966.3.13 昭和41年 |
24.2 | 122.6 | 42km | 台湾東方沖 | 7.8(気象庁) 7.5(Mw) |
与那国島で死者2、家屋全壊1。 |
700トンもの岩をも押し流す、日本の歴史上一番大きな津波が起きていた沖縄辺野古に、米軍基地を建設予定ですが、津波が来たら大丈夫なのだろうか?
辺野古での津波想定。20メートル以上。
http://seis.sci.u-ryukyu.ac.jp/hazard/tsunami-okinawaIs/tsunami20110512.htm
これまで琉球海溝には巨大地震を発生しうる場所である固着域がなく、巨大地震は起こらない場所とされてきました。しかし最近の研究から、沖縄本島南東沖の琉球海溝に固着域があり、琉球海溝でも巨大地震が発生するかもしれないことが分かってきています。そこで、この固着域が動いた場合に沖縄本島を襲う津波がどのくらいになるのか計算しました。
固着域の幅は約50kmと推定しています。固着域の長さは不明ですが、琉球海溝に沿って延びていると仮定して、長さ200kmと設定しました。すべり量は20mとしています(M8.5)。
予想される津波は沖縄本島の東海岸全域で最大波高が15m以上となります。湾奥など局所的に20m以上となる場所もあります。海溝と反対側の那覇、北谷、名護港でも8〜10m程度の津波が押し寄せます。
沖縄の場合、海溝から陸までの距離が約100kmと、東北地方(日本海溝までの距離が約200km)と比べて約半分です。すると津波の到達時間も東北地方の約半分の15分程度です。
ちなみにこの断層モデルは一つのモデルであって、実際にはもっと海溝軸方向に長く伸びている可能性もあります。また断層がもっと陸側まで延びている可能性もあります。この計算結果はあくまでも一例です。今のところ、沖縄本島付近の琉球海溝で過去にこれほどの巨大地震・津波が発生したかどうかは分かっていません。しかし沖縄では古い文献による地震津波の記録が約300年前以降しかなく、それ以前に津波が押し寄せたかどうかは分かりません。そう考えると、地質調査等から過去の津波を調べる事が必要になってきます。
また、固着域の分布もまだ分かっていません。海底地殻変動観測で固着域が琉球海溝に沿ってどのように分布しているのかを調べることが重要になってきます。
1970年以降に発生した、沖縄・琉球海溝近辺の有感地震の震源マップ。
琉球海溝の連動地震
東京大学地震研究所地震火山災害部門の都司嘉宣准教授によると、津波の復元から887年の仁和地震(東海・東南海・南海連動型)をスマトラ沖地震(2004年)と同様の M9クラスの超巨大地震と推定している。
また、歴史文献などの記録がない琉球海溝のプレート境界で発生する推定M9クラスの超巨大地震が、数千年に一度発生する可能性が、2006年に琉球大学と名古屋大学の研究者から示唆されている2007年から2009年にかけて琉球大学、名古屋大学、台湾中央研究院らの合同による海底地殻変動観測が行われ、その成果によれば、測定用の海底局が沖縄本島から北西方向へ年間7cm移動していることから、推測される固着域(アスペリティ)は幅約30-50kmでプレート間カップリング領域が形成されていることが判明した。
名古屋大学大学院環境学研究科の古本宗充教授の論文によると、東海・東南海・南海の南海トラフから奄美群島沖の南西諸島海溝までの全長約 1000 km の断層が連動して破壊されることで、2004年のスマトラ島沖地震に匹敵するM9クラスの超巨大地震が発生する可能性がある。これは、御前崎(静岡県)、室戸岬(高知県)、喜界島(鹿児島県)の3つの海岸にある南海地震のものと推定されるものより大きな平均1700年(直近は約1700年前)の4隆起がある隆起地形が根拠になっている。
海岸から500メートル離れた松島基地の戦闘機が津波に流され
海岸から1キロ離れた仙台航空基地の海上保安庁の飛行機が津波で流されたのは記憶に新しい。
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