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火山地震104熊本地震と16世紀末の中央構造線連鎖地震 (保立道久)
http://www.asyura2.com/15/jisin21/msg/358.html
投稿者 晴れ間 日時 2016 年 4 月 17 日 21:18:10: FhUYgDFvAt2/E kLCC6orU
 


http://blogos.com/article/172160/


 4月14日〜16日の熊本地震が大分に及んだということは、地震学者・火山学者の一部でも、中央構造線が何らかの形で動いて誘発されているのではないかという意見があるようである。ここでは3,11東北沖海溝大地震との関係で、歴史地震学を少し学んだものとして、情報提供をしてみたい。

 3,11東北沖海溝大地震に続く地殻変動は数十年は続くといわれ、列島北半の弓状弧は東にずれていっている(地震時に牡鹿半島は一挙に5,3メートル東に移動したといいい、その後も一年に10センチほどずれているといわれる)。

 首都直下地震において警戒するべきは、この地殻変動によってM7に及ぶ地震が誘発されるのではないかということである。首都圏は3,11の直接的な影響の下で地震が誘発される可能性が強い地域であるという(平田直『首都直下地震』岩波新書)。関東は世界的にみてもきわめて地震が多いところであるが、そこに3,11の影響の下に発生する地震が加わることが怖いというのである。

 しかし、熊本地震は3,11の直接的な影響の下で誘発されたものではない。そこではいくつものプレートの複合した動きとプレート運動それ自体とは区別される列島の地殻の重みと運動が関わってくる。広い意味で誘発地震であるといっても、そこで考えるべき要素はさらに複雑になり、多くなる。

 列島を成り立たせるプレートとしては、西から押してくるアムールプレートと南から押してくるフィリピン海プレート、そしてそれらの下に沈み込む太平洋プレートの複合的なプレート運動があることはいうまでもない。そして列島の地殻の重みと運動を象徴するのが列島の中央を貫通する中央構造線である。

 もし、今回の熊本地震が中央構造線の動きに関係しているとすると、素人考えであるが、そこには列島北半の弓状弧が東北沖海溝大地震によって東に引かれたことが、列島の中央の緊張を強め、中央構造線の動きを誘発したというようなことが考えられるのではないかだろうか。列島には弓を垂直にそらせる方向に巨大な力が働いており、それが列島の軸説である中央構造線を緊張させているのではないかということになる。
 
 これに関連して、歴史地震学の側で想起するのは、寒川旭氏が「日本列島最大の地震活動期」として注目した1586年の中央構造線添いの一連の大地震である。寒川『日本人はどんな大地震を経験してきたか』(平凡社新書)で説明すると、まず1586年1月18日に中部地方の養老ー桑名ー四日市断層帯などの三つの大断層が動いた。これは745年に聖武の紫香楽宮をおそった地震と同構造のものである。

 そして、翌年1596年9月1日に別符湾で大地震が発生し(M7.0 )、続いて四国の中央構造線断層帯、さらに9月5日に有名な京都の伏見地震(M7.0)が発生した。これらは、すべて中央構造線沿いの断層帯に震源が動いた地震である。とくに後者は連続的に九州から京都までが地震に襲われるという怖いもので、これが秀吉の政治に大きな影響をあたえたことはいうまでもない。

 以上が、熊本地震の状況について、とりあえず点検したことであるが、今回の場合に怖いのは、(16世紀末と違って)九州の西から東に阿蘇をこえて震源が動いていることで、熊本から大分へ震源が動き連鎖するという規模は半端でない。

 もちろん、678年の久留米の東の水縄断層を震源とした筑紫大地震では地震は大分の日田に及んだ。この断層は水縄山地とその北の筑紫平野を作り出した大断層であり、その全長は二〇`はあるが、このとき長さ九`の断裂が地上を走ったことが『日本書紀』に記録されており、実際、この地域には、七世紀後半の地震によって噴出した砂層が何カ所も確認されている。『豊後国風土記』によると、日田郡五馬山(現在の栄村五馬市付近 の山)の稜線が崩れて温泉が噴きだし、その内の一つは直径三bほどの湯口をもつ間歇泉で「慍湯」(いかりゆ)と呼ばれたというのが、それを示す記事である。
 
 ただ、熊本から阿蘇をこえて大分に震源が動くというのは、これまで例がないのではないか。九州内部で熊本から大分というのは、間に阿蘇があるだけに心配なことである。また、これが16世紀末期のように四国にまで及ぶと、伊方原発の問題がクローズアップされる。また南へ影響が広がれば川内原発である。最悪の場合には、進退きわまるということであろう。

 東北沖海溝大地震についての地震学界の警告を無視し、多大な人命をうしなわせた、この間の政治に対して怒るのは当然のことである。彼らは、敗戦後、高度成長期にかけてつづいた「大地の平和」に依存して、ものをしらずに原発を設置してきた「平和ボケ」そのものである。

 政治は先を読めない無知な人間が行ってはならないことであり、安全を旨として進むべきものである。もちろん、事態は相当の確率で無事に収まることを期待したいが、しかし、政治は、人にこういう危ない橋を渡らせる権利はないものである。

 以下、昨日のブログの最後に書いたことを再度引用しておきます。


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 政治家の一部には、3,11を忘れているかのような言動がありますが、地殻の運動は目に見えない場所で、厳しく続いていることを忘れることはできません。残念なことに、国家の内部にもそれを忘れたかのような動きがあります。3,11の被災地の窮状を放置したまま党利党略に走る様子には怒りがこみあげます。そのような国家や政府は無用の長物ですが、私は、それとは区別された民族、その大地と、そこに居住する人びとに対する祖国愛は歴史家にとって必須のものであると考えています。
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コメント
 
1. 2016年4月17日 22:15:10 : ugYQujz7IY : S@E140oB0wc[8]
愚者は歴史に学ばない。愚者は金に転ぶ。

2. 2016年4月17日 22:24:40 : SKLssvmpSU : bqq1LCfyCG0[33]
>熊本から阿蘇をこえて大分に震源が動く

活断層が、阿蘇を越えて大分にまで及び大分の活断層と繋がっていることを否定するものではないが、大分を震源地とする1回だけの地震では、それが偶然に起きた大分の活断層での地震であるといえないこともなかろう。今後の地震のおき方で決まってくるものと考えられる。


3. 2016年4月18日 04:38:07 : KzvqvqZdMU : OureYyu9fng[196]
科学的な学説は、党派性、政治性から離れていることが大切であって、
そうでないなら、眉に唾をつけて聞くしかないのだ。
 原発を、敵対政党攻撃の為の道具にしたりする「学説」なるもんは
あたまから信用できない。地震も、そういうことであって、すべて政治性を
もってなにするなら国民の信用を無くすであろう


[32初期非表示理由]:担当:アラシコメント多数のため全部削除
4. taked4700[5268] dGFrZWQ0NzAw 2016年4月19日 10:56:55 : TGWxiu6a8U : 3UUpNNb26MU[8]
>歴史地震学の側で想起するのは、寒川旭氏が「日本列島最大の地震活動期」として注目した1586年の中央構造線添いの一連の大地震である。寒川『日本人はどんな大地震を経験してきたか』(平凡社新書)で説明すると、まず1586年1月18日に中部地方の養老ー桑名ー四日市断層帯などの三つの大断層が動いた。これは745年に聖武の紫香楽宮をおそった地震と同構造のものである。

ということは、中央構造線が動いた地震が16世紀にあったということですね。自分はうかつにも有史以来今回の熊本地震が最初かと思っていました。

寒川旭氏の「地震の日本史」は読んだのですが、中央構造線の関連については、111ページに次のような記述があるだけだったように思います。

「1596年9月1日の別府湾の地震と9月5日の伏見地震との間に、四国の中央構造線活断層も活動した可能性が高いと考えられている。この場合、九州北部から近畿西部にかけて、大きな断層がドミノ倒しのように、次々と活動したことになる。四国の中央構造線断層帯が、この時に活動したことを実証する文字記録はまだ得られていない。一方、徳島県教育委員会による黒谷川古城遺跡(板野町)や、徳島県埋蔵文化センターにおる丸山遺跡(三野町現三好市)・大柿遺跡(三好郡東みよし町)で、16世紀から17世紀前半頃に限定される液状化跡が見つかっており、中央構造線断層帯の活動を示すと考えられる。」

>1586年の中央構造線添いの一連の大地震

についてはよく分かりませんが、少なくとも、その一つは1月18日天正地震のことですね。

中央構造線で起こった地震では、ウィキの「地震の年表」によると次のものがあるそうです。

1596年・・以下の3つは連動型地震の可能性がある。
9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震)- M 7.0、寺社倒壊等。同年同月に発生した一連の内陸地震のさきがけとなる。四国を走る中央構造線断層帯での地震と考えられている。
9月4日(文禄5年閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M 7.0〜7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだとされている。大分県を走る別府・万年山断層帯(べっぷ・はねやま だんそうたい)での正断層型地震と考えられている。
9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震、文禄の大地震) - M 7 1⁄2±1⁄4、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。淡路島〜神戸〜大阪北を走る六甲・淡路島断層帯での地震と考えられている。

上の地震がもし起こるとすると、伊方原発はかなり危ないですね。


5. 2016年4月20日 22:43:20 : G68ZRbmkUs : nFGgqL1f9Uk[12]

25年後の元和5年(1619)には、肥後一帯で大地震が発生。このために八代麦島城は甚大の被害を受けている。

要するに、400年前、愛媛、大分、熊本に連動する大地震が起こっている。

大分ー八代とくれば、今回の地震と同様だ。次は伊予(愛媛)に波及することは容易に想像がつく。

伊方原発、危うし。




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