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都内で開幕した「2015国際ロボット展」で、機械メーカー「クボタ」開発の最新アシストスーツ「ラクベスト」を着用してぶどうを摘み取る同社従業員(2015年12月2日撮影)〔AFPBB News〕
15年後に消えている職業、華やかになる職業 時代の先を読む目を養おう
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45850
2016.1.25 伊東 乾 JBpress
いまミュンヘンで原稿を書いていますが、こちらドイツで聞いたとこによると、「2030年に存在する職業の65%は2015年時点には存在しない」という試算があるそうです。
つまり、いま小学生程度の子供が15年後に大学を卒業した時、就職先として存在する職種の大半は、現在はまだ影も形もない仕事である可能性があるという。
これは「温故知新」、15年後を考えるというのですから15年前を振り返るとよく分かるように思います。そこで最初は「デジタルな例」から、新しく生まれた仕事、消えていった仕事を考えてみましょう。
2000〜2001年頃、世界はどのようであったでしょう?
いわゆる「IT革命」は一段落ついて、それまではITインフラ自体がビジネスの対象だったのが「これからはITを使ってビジネスする時代」なんて言っていた。まさに隔世の感があります。
私はちょうどこの時期、東京大学に新設された情報部局に音楽教授として招聘され、副業として情報処理やら起業家育成やらと関わり始めましたので、昨日のことのようによく覚えています。
少し前まで大半が文字コンテンツのナローバンドだったネットワークが「これからはブロードバンドで、ピア2ピアの音声動画配信が可能になる時代が来る!」なんてことでソニーと実証実験などさせてもらいました。
しかし、現実に配信された初期の音声動画で最も多く視聴された1つは、ワールドトレードセンターに突っ込んで行く飛行機とそれが崩落して行く9.11同時多発テロの映像記録コンテンツだった・・・。
すべて歴史になりつつあり、光陰矢のごとしと思わないわけにはいきません。
当然ながら当時は「スマートホン」なんてものは存在しない。ツイッターやフェイスブックのようなソーシャルメディアもなければ、ビッグデータなんて言葉もなく、スマートグリッドもなければクラウドコンピューティングという概念だって夢想だにされていない。
こうしたツールに関連する、あらゆる仕事は2001年時点で考えられてもいないし、またここ15年の間に生まれ、消えていった職種だって山のようにあります。
メモリー1つ考えても2000年時点ではまだ各種のフロッピーディスクが現役の媒体として使われており、初期化その他手間をかけていたものです。
USBメモリーを最初に使ったときの驚きは忘れられません。ただ挿せばいいだけ。何と革命的なんだろうと感激したのもつかの間、いまやすっかり当たり前になってしまいました。
東京大学作曲指揮研究室は音声動画コンテンツを大量に扱いますが、これだって2007〜2008年頃まではデジタルビデオテープが中核的メディアで、ノンリニア編集の途中でときおりカムコーダのローラーにテープを巻き込んでしまったり、頭出しに手間がかかったり、無駄な時間を費やしたものです。
ここでも、初めてSDカードベースで録画データをコンピューターに読み込んだときの驚きは忘れられません。いままでの面倒は何だったのだろう?という思いに加え、過去の膨大な資料アーカイブをどうしたら移譲できるかな・・・と気が遠くなりました。
あれから数年、いまだ全く移し変えなどはできていません。
ともあれ、社会やビジネスを乗せているテクノロジー・インフラストラクチャーの世代が変わると、旧世代の職種は急速にニーズを失い、新しく台頭したメディアやサービスに即した職業がどんどん生まれてくる。これは間違いのないところでしょう。
■いまあるどんな職業が滅び去るのか?
消えていった職業は「デジタルな例」ばかりではありません。
私は少年時代、1970年代初頭から都下・村山貯水池の近くで育ちました。緑の多いところで、隣接する狭山丘陵はのちのち映画「となりのトトロ」の舞台(のひとつ)となりましたが、実際ああいう森で遊びながら子供時代を過ごせたのは幸運だったと今でも思います。
アニメーション映画「となりのトトロ」は1953年頃の設定で、オート三輪や交換手がつなぐ電話など、いまでは完全に姿を消した道具が多数描かれています。
私が生まれ育った頃、生家のあった東京都中野区は畑だらけ、農家は牛を飼っており、3歳の私は肥溜めに嵌って「靴屋のアベさんのお姉ちゃん」に救い出してもらったような牧歌的な風土でした。
トイレは汲み取り式でバキュームカーが巡回し、朝は牛乳配達の自転車がガラス瓶の音をガチャガチャ立てて通り過ぎ、「都立家政」の商店街は肉屋も魚屋も果物屋もみんな自営、八百屋の店先には水を張った桶にモヤシが泳がせてあったものでした。
こういう風景、もうほとんど目にすることはなくなりました。
私が子供の頃、電車に乗ると言えば窓口で割り方しっかりした厚い紙の切符を買って、改札口で切符切りの人にはさみを入れてもらうのが当たり前、切符切りの人は黒い鋼の鋏をリズムをとってカチカチ鳴らし、駅前には靴磨きとか傷痍軍人とか、これまた今の若い人には想像しにくい人々の群れがいたものでした。
例えばこの「切符」が分かりやすいと思います。そもそも切符を売る「自動販売機」などというものが普及していなかった。
それが1970年代、いつの間にか自動化されるようになり、私が中学高校生だった70年代後半〜80年代初頭は、自販機で買った切符に人間がはさみを入れる、定期券なら同じ改札の人に見てもらうという、今思えば実に過渡期的で折衷的な時代でありました。
やがて1990年代に入ると自動改札化は急速に普及、定期券やプリペイドカードの読み取りもワンタッチ化なども進んで、都市部ではすっかり当たり前のものになってしまいました。
ところが、雇用の確保など様々な理由から自動改札の導入が進んでいない県もあるという。例えば2015年11月7日宮崎県に初めて自動改札が導入されたという報道がありました。
まだ福井、鳥取、島根、徳島、愛媛などの県には自動改札機は導入されていないそうです。ということは、これらの地域では今でも「切符切り」という職掌が残っている可能性があるわけですね。
本稿を書いている時点で実のところ全く分からないのですが、もし切符を切ってもらえるのなら、そのためだけにでも休みに出かけたいくらいです。
つまり、観光の対象になるくらい希少な存在であって、社会的にはとうに終わっている職業ということになるでしょう。
「となりのトトロ」に登場する「電話の交換手」という仕事だって、もしかしたら今でもほんの少しは残っているのかもしれません。地球上全体でなら必ず、そういう役割の人はいると思います。
しかし絶滅寸前の存在、佐渡島のトキや、古典的なオーケストレーションに通暁した作曲家・演奏家(私たちのことですが)のようなもので、じきに一桁からゼロに漸近して行くだけ、希少生物と言うよりほとんど終わっていると自覚した方がよいでしょう。
ではいったいどういう職業が「消えて」行くのか?
逆に言えばどういう仕事であれば、時が流れてもタフに生き残れるのか。もっとはっきり書けば、どういう底力を身につけていれば2030年もリストラされずにすみ、どんな表層的な能力しか持っていなかったら、あっと言う間に窓際から窓の外に追出されてしまうのでしょう?
■ロボティクスから考える「未来のリストラ」
このところミュンヘンで、先端的なロボットの専門家の皆さんの話をずっと聞いています。スターウオーズに登場するC3POみたいなヒューマノイド型もありますが、圧倒的多数はR2D2よりも機械機械した「産業用ロボット」で、タイヤやマシンハンドで決められた作業を的確に行うよう作られています。
「オートメーション化が可能な単純肉体労働」は未来のリストラ第1の候補でしょう。経営側の視点に立つなら、現存する仕事のフローの中で、機械化した方が確実に高速で歩留まりも上がる部分はオートメーション化していくでしょうし、被用者側に立つなら、単純作業しかできない労働力の切り売りは、先々しんどいことになる。
では工場の生産ラインで考えるとして、従来の「工作機械」と「産業用ロボット」と何が違うかと考えれば「センサー」と「インテリジェンス」が決定的な差を生んでいると直ちに分かります。
産業革命の初期から、オートメーションに対抗して「機械破壊(ラッダイト)」などの運動が繰り返されてきました。熟練工の身分を保証せよ、というわけです。
この熟練工の仕事をあえて3つに分けてみましょう。1つは作業そのもの、米粒に般若心経を書くマニピュレーションのような部分、第2は、その米粒をしっかり持って、凹凸に即して筆を運んだり米粒を支えたりするセンシングの部分、第3は「その他」としておきましょう。
やや無理やりな区分ですが第1と第2の区分はより基礎的な「オートメーション」の部分と「センサー」とを便宜的に分けているもので、実はロボティクスにおいては一体です。
しかしイノベーションの観点からは両者を分けておく方が見通しがよい。と言うのは、現在存在しない、新しいセンサー技術が発展すれば、それによって既存のオートメーションが世代交代し、雇用に変化が出るからです。
初期の自動改札は、磁気記憶素材を塗りこんだ紙の切符を飲み込んで処理していた。この「吸い込んで、情報を読み込み、アウトプットを吐き出す」というメカニズムはもう何十年か前から確立されているものです。
しかし、センサー技術が発達すると、非接触型カードで様々な情報が読み取れ、さらにネットワーク化によって、より高度なサービスを改札で顧客に提供できるようになっていく。
こうなると「自動改札機」ではなく、実質機能として「改札係りの人」にある意味先祖帰りするような「改札ロボット」のイノベーションが進むことになります。
20世紀前半、電話交換の自動化は長らく各国関連産業界の夢とされてきましたが、現実には日本のエンジニア(猪瀬博)が米国のプラットホーム(AT&Tベル研究所)の環境を得てこれを実現しました。
電話が自動交換できるようになると、旧来の通話線がすべて、そのまま知的情報通信のツールに読み替えられることになります。そこで最初に取り組まれた応用の1つが「交通信号のネットワーク化」でした。
従来、信号機は「スタンドアロン」で赤青黄色の表示を変化させていた。鉄道の踏み切りも、ダイヤに即して遮断機の上げ下げを、元来は人力で行っていた。
その中で、まず力作業が自動化(電化と言った方がいいかもしれません)され、次いでインテリジェントな部分が追いついてきて、2次的、3次的なイノベーションが進むことで雇用が変化していくわけです。
現在急速に進む少子高齢化で2030年には「医療ロボット」「介護ロボット」が著しい進展を見せているはずです。
手弁当で作った日本の介護保険制度、最初はほとんどすべてが人力だったわけですが、ケアでもリハビリでも「オートメーション化」→「センサや人工知能のアプリケーションによる世代交代」で、いまある仕事の多くが変質、ないしは消滅していくのは間違いありません。
では、どうすればその「トレンド」の先を読むことができるでしょう?
これは逆に、「どのような範疇であれば、イノベーションの手が届かないか」つまり、人間にしかできない「仕事の領分」がどこにあるかを考えると、様々な論点があぶり出されてくることになります。
オートメーションやセンサー、機械の手、機械の頭ではカバーできない人間様のテリトリーはどこにあるのか?
長くなりましたので、次回引き続きこのあたりを考えてみたいと思います。
(つづく)
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