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スバル「インプレッサ スポーツ」(「Wikipedia」より/Tokumeigakarinoaoshima)
スバル、バカ売れで納車3カ月待ち…異端経営&連続最高益を支える「トヨタとの約束」
http://biz-journal.jp/2016/01/post_13129.html
2016.01.02 文=編集部 Business Journal
「スバル」で知られる富士重工業の株価は12月2日に5223円の上場来高値をつけた。吉永泰之氏は2011年6月に社長に就任したが、同社の株価安値は402円(11年11月24日)だった。その後は右肩上がりの上昇を続け、4年間で13倍に高騰した。新規上場したIT企業などではなく、1960年に上場した重厚長大産業の典型である自動車メーカーの株価が、空前絶後の大化けをしたことになる。
「小さくても存在感のある会社を目指す」。吉永泰之は同業他社と違うことばかりをする業界の異端社長である。独自の技術で「オンリーワン」商品を開発して、トヨタ自動車など大手メーカーとの違いを際立たせることに成功した。
業績は絶好調だ。16年3月期中間期決算の売上高、利益とも過去最高を記録。連結売上高は前年同期比22.2%増の1兆6015億円、本業の儲けを示す営業利益は同53.6%増の2851億円、純利益は同70.9%増の1932億円だった。
全世界の販売台数も過去最高の同9.4%増の47.2万台。海外の販売台数は北米市場を中心にレガシィなどが引き続き好調で、同12.7%増の40.6万台だった。国内販売は同7%減の6.7万台にとどまった。
この結果を踏まえて通期の業績見通しを上方修正した。連結売上高を3兆2100億円(期初計画3兆300億円)、営業利益を5500億円(同5030億円)、純利益を4140億円(同3370億円)へと大幅に引き上げた。最終利益は前年同期比58%増となる。
株主にも利益を還元する。これまで自己資本比率が50%を超えるまでは配当性向を20%とする方針を掲げてきた。9月末で自己資本比率が50.2%に達したことで、配当性向を30%に引き上げた。年間配当金を144円と15年3月期実績の68円から大幅に増額する。
■北米市場
北米市場が業績を牽引している。15年の北米市場は全体で3%程度成長し、年間販売台数は1700万台が見込まれているが、スバル車の伸びが際立っている。16年3月中間期の北米の販売台数は同16.4%増の31.7万台。北米が世界販売台数の67%を占める。
北米での通期販売計画を62.4万台(同60万台)に引き上げた。20年度までの中期経営計画を掲げていた北米における年間販売台数60万台を本年度に超えるのは確実。5年前倒しで販売目標を達成する。
北米販売の半分程度を占めるのは、4輪駆動SUV(スポーツ多目的車)のアウトバック(日本名はレガシィ)とフォレスター。受注から納車まで2カ月半〜3カ月程度かかっている。販売に供給が追いついていないため増産体制をとる。米国工場の生産能力は現在、年間20万台だが、16年夏から年39.4万台に倍増する。増産が軌道に乗れば5年連続で過去最高を更新する。
吉永氏は昨年11月26日、早稲田大学で講演した。日本自動車工業会が主催し、メーカーのトップが大学に出向いて車の魅力を伝える「出張授業」の一環だ。吉永氏は世界販売が好調なことに触れ「このままいけば来年度は100万台になる」と述べた。講演後、報道陣に囲まれた吉永氏は「数値目標を掲げないが100万台の販売を続けられるだけの力をつけた」と自信をのぞかせた。
■苦難の歴史
富士重工の前身は第二次世界大戦時の航空機会社、中島飛行機である。戦後、中島飛行機は解体。1953年に富士重工業に生まれ変わった。
苦難の連続だった。メインバンクの旧日本興業銀行の銀行管理の下、日産自動車グループに組み込まれた。興銀はみずほフィナンシャルグループに統合、日産は仏ルノーの傘下に入った。2000年に日産は富士重工の株を米ゼネラル・モーターズ(GM)に売却。GMの業績悪化に伴い05年10月、GMは富士重工株をトヨタ自動車に売却した。現在、トヨタが16.4%の株式を保有する筆頭株主だ。
トヨタとの提携交渉の窓口を務めたのが、当時執行役員に昇格し戦略本部副本部長兼経営企画部長に就いていた吉永氏だった。「トヨタにならないでください」。トヨタ名誉会長(当時)の豊田章一郎氏や社長(同)の渡辺捷昭氏ら首脳陣からこう言われたことを、吉永氏は今でも鮮明に覚えている。「スバルはトヨタ化するな。個性を失ってはいけない」とあえて助言してくれたと吉永氏は理解した。
個性を失えば競争優位性も喪失する。スバルはトヨタにはならない。これがスバルのクルマづくりの絶対のポリシーとなった。
■規模を追わない
トヨタとの提携後、社長(当時)の森郁夫氏と吉永氏が二人三脚で取り組んできた構造転換の大きな柱が、米国市場へのシフトだった。
転換点は09年。主力車レガシィを全面改良したのを皮切りに、車体を米国市場に適した大型サイズに切り替えた。それまでの日本仕様では米国ユーザーの支持は得られないと判断した。レガシィ、インプレッサ、フォレスターの主力3車種で米国サイズのクルマが出揃ったことで、米国市場での販売が加速した。
「大きすぎて日本では売れなくなる」。社内にあった反対論はまさにその通りで、国内販売は落ち込みを続けたが、それでもお釣りがくる果実を米国市場でつかんだ。吉永氏は横綱相撲はとらない。リーマン・ショック時に富士重工のみが米国で前年比プラスとなったのは、「スバリスト」と呼ばれる趣味性の高いユーザーの熱烈な支持を得ていたからだ。
冬の時代が長かった富士重工には、好業績を追い風に社内外に高揚感が漂う。快進撃は「米国一本足打法」の成果であるが、それは同時に高いリスクを背負っていることを意味する。
個性的なクルマを少量生産するビジネスモデルを掲げる富士重工は、利益率を重視して規模を追わない。売上高営業利益率は17.8%(15年9月中間期)と世界の自動車メーカーのなかではトップクラスだ。
アキレス腱は国内市場。国内市場のテコ入れが不可欠だ。成功しすぎた後のスバルの舵取りは楽ではない。それだけに、吉永氏の社長としての力量が試されている。
(文=編集部)
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