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記者団を案内する東電職員。半面マスクとゴーグル、ヘルメットで移動した
記者が見てきた福島第1原発 あの日から1781日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160201-00000057-nksports-soci
日刊スポーツ 2月1日(月)10時6分配信
東京電力福島第1原発事故から来月で5年となるのを前に、東京電力が日本記者クラブに原発構内を公開した。日刊スポーツからは文化社会部の清水優記者(40)が参加し現在の構内を見てきた。構内は、原子炉建屋周辺を除いて、がれきの撤去が進み、放射線量も一定程度、低減され、作業環境は改善されたという。一方で、建屋付近は高線量のまま。原子炉内で溶け落ちた燃料デブリの取り出し方法は、いまだに決まっていない。
窓のない白い巨大な建物と白や薄いグレーの無数の大型タンクが、青空の下で整然と並ぶ。道路脇には、無数の白いコンテナが積まれていた。爆発で散乱したがれきは見当たらない。ケーブルやホースも道路脇に束ねられ、未舗装部の一部は新しいコンクリートで固められている。
見た目の印象は、灰色と白と直線の無機質な空間。敷地のすぐ外で、事故によって荒れ果ててしまった町とは、比べものにならないほど、片付いていた。
1月25日。楢葉町のJヴィレッジからバスに乗り、構内に入った。入退域管理棟でバスを降りて線量計を受け取り、普段着のまま、構内を少し歩いた。
東電職員によると、がれき撤去と除染を進め、コンクリートなどで覆う「フェーシング作業」により、構内の線量が低下。1〜4号機の建屋周辺以外のほとんどで、顔全体を覆う全面マスクが不要なエリアになったといい、半面マスク姿の作業員たちともすれ違った。構内には、作業員の大型休憩所や食堂もできた。30〜40年かかるとされる廃炉に向け、作業環境は改善されているのだという。
再びバスに乗って、敷地中心部の免震重要棟へ移動。会議室で防護服に着替え、口と鼻を覆う半面マスクと透明なサングラスのようなゴーグルを着け、原子炉建屋へ向かった。
バスで1〜4号機建屋を間近に見渡せる高台まで行き、外に出た。放射線量は毎時70マイクロシーベルト。100メートルもない距離から見る建屋。今もグニャグニャになった鉄骨やがれきがのぞく3号機建屋以外は、一見、何もなかったかのように静かに立っていた。
再びバスに乗り込み、建屋の前の道路を通る。片付いて見えるが、バスの中の線量計は220マイクロシーベルト。2号機と3号機近くのモニタリングポストは毎時350マイクロシーベルトを示していた。4号機の前でバスを降りたところで線量は30マイクロシーベルト。「意外と低い」と思いかけたが、本来あってはならない数値だ。建屋脇や排気筒にはいまだ、がれきが残った部分がある。線量が高すぎて、片付けられないのだという。
牛乳ビンが倒れたら、まずビンを立て、机や床にこぼれた牛乳を拭き取る。こぼれた分を一定程度、拭き取った結果は「作業環境の改善」に表れつつあるようだ。だが、廃炉の核心部分である原子炉内で溶け落ちた燃料デブリの取り出し方法は、いまだ決まっていない。ビンは倒れたままだ。
私たちの取材に同行してくれた東電職員に聞いた。「いつ終わるんですか」。職員は半面マスクの中から答えた。「今、いつ終わると言っても、あてになりませんから」。【清水優】
◆燃料デブリ 事故によって冷却できなくなった原子炉燃料が溶け落ち、制御棒などと一緒に冷えて固まったもの。
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