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訪日中国人、日本の子供の優しさに考えさせられる・・「この子たちの祖先があの…」―中国ネット
http://www.asyura2.com/15/china6/msg/693.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 8 月 11 日 13:48:00: igsppGRN/E9PQ
 

訪日中国人、日本の子供の優しさに考えさせられる・・「この子たちの祖先があの…」―中国ネット
http://www.focus-asia.com/socioeconomy/photonews/425981/
2015年08月11日


日本の鳩山由紀夫元首相が9日、黒竜江省ハルビン市で開催されたフォーラムにメッセージを寄せた。同日付中国新聞網によると、メッセージは「中国と日本の若者が国境にこだわらず、互いに行き来する関係を築くことを願っている。実際に日本を訪れ、見てみてほしい」との内容だった。

円安の影響もあって訪日中国人が増える中、鳩山氏の言葉のように実際に旅行で日本を訪れ、日本人の友好的な様子に感じ入った中国人も少なくないようだ。ある中国人が最近、インターネット上に日本の水族館を訪れた際、出会った日本人の子供について考えたことをつづっている。内容はこんな感じだった。

日本に旅行した私たちは、ある水族館を訪れた。館内には見たこともないような色とりどりの魚たちがいっぱい。見て回っていると、魚にあげるための餌を持った人をあちこちで見かけた。でも私たちはどこでその餌を売っているのか分からず、ただ、人々が楽しそうに餌付けする様子を見ていた。すると、ある男の子が私の手に1粒、餌を置いた。私に「投げてみて」というのだ。私は急いで英語でお礼を言い、こんなことを考えた。

この人たちの祖先があの殺人鬼、“日本鬼子”なのか? その子孫たちはこんなにも礼儀正しく、善良な人々なのか? この問いに答えは要らない。私たちに必要なのは、もっともっと深く考えることだ。

(編集翻訳 恩田有紀)

 

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コメント
 
1. 2015年8月11日 23:29:36 : b5JdkWvGxs
優しいのは縄文系日本人

日本鬼子は朝鮮からの渡来人系日本人なのさ


2. 大和狼 2015年8月12日 00:26:19 : 4bXKnGQAUaNEQ : Py8dDhOmqQ
↑また中川隆。
××なんとかなのさ。って言い方キモいから止めろ。

出てくるだけで日本がけがれるわ。

南京はもぬけの空だった。
優しい日本兵は置き去りにされた中国人の子供にミルクを飲ませていた。

台湾の女の子が当時の新聞写真を台湾の図書館で発掘した。

http://brief-comment.com/blog/china/46860/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=post-46860

プロパガンダにしてはおもしろ過ぎる。
なあ、中川。


3. 2015年8月12日 07:36:15 : b5JdkWvGxs

それが日本軍のヤラセプロパガンダなんだよ。 真実はこっち:

仏典の地獄を偏執的狂人の妄想から生まれた怪奇残酷趣味のフィクションにすぎないと考えるのなら、これはどう思われるか。…

「村民を銃剣で追い立てて並ばせ、機銃掃射で薙ぎ倒す。

泣き叫ぶ乳幼児や子供たちを銃剣で突き殺し、

妊婦の腹を切り裂いて胎児を放り出す。

死体の山に石油をかけて焼き尽くす。

木に縛り付けて鞭打っては冷水をかけ、凍死させる。殴り殺す。蹴り殺す。死体を野犬に食わせる。

背中に石を結わえて水中に投げ込む。

輪姦し、その女の赤ん坊を銃剣に刺して肩に担ぎ、軍歌を歌って歩き回る。

赤ん坊を投げ殺す。踏み殺す。巨大な石を担がせて圧死させる。

鞭で殴って焼けた棒を押しつけ、冷水をかけて極寒の場に捨てて凍死させる。

婦女子を狩り集めて輪姦し、腹を裂いて内蔵をえぐりだす。

生き埋めにする。眼をえぐる。耳を切る。鼻を削ぐ。首を切り、その数を競う。生きながら解剖する。銃剣で突き刺し、崖から落とす。等々」

 これはフィクションではない。「正義」を掲げた日本軍が中国でやったことである。といっても、ここでは戦争の是非を論じようというわけではない。地獄は決してフィクションなどではなく、スーパーリアリズムの世界だと言いたかったのである。我々の心の内側にある畑が荒れ果てたとき、地獄はどこにでも出現する。地獄の発生は倫理や道徳では抑えられない。かつて倫理や道徳が声高に叫ばれていた時期に、戦争が絶えたことはなかった。いや、むしろ、戦争は倫理や道徳の意図的操作によって遂行されたと言ってもよい。これは歴史の教えるところである。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/yowa/yowa7.html


南京にいた日本兵たちの人間墜落と性的異常行為は限界がありませんでした。ちょうど退屈凌ぎに殺人コンテストが考案された様に、兵士たちはセックスの十分な供給に飽きると様々な気晴らしの強姦ゲームを創造しました。

おそらく日本兵が気晴らしにした最も残忍な作法の中に、女性の膣の突き刺し刑があります。

南京の通りには足を広げ、開口部に木の棒や小枝や雑草を突き刺されて倒れている女性の死体がありました。南京女性の拷問に使用され、耐え難い苦痛を与えたこの方法は考えただけでも精神が麻痺してしまうぐらい痛ましいものがあります。若い女性を強姦した日本兵は彼女にビールボトルを突き刺して射殺し、別の所ではゴルフクラブを突き刺された強姦犠牲者が発見されました。

また12月22日にTongjmenの門近郊で強姦された理髪店の妻は膣にかんしゃく玉を突っ込まれて、爆破して殺害されました。

そして犠牲者は女性だけに限られた訳ではありませんでした。中国人男性はよく男色の相手にされたり、笑う日本兵たちの前で恥ずかしい性芝居を演じるように強制されました。ある男性は雪上に転がる女性死体との性行為を強いられ、それに拒絶して殺害されました。また日本兵は禁欲主義を誓っていた男性に性交際を強制して喜ぶこともしました。男性に変装して南京の門を通過しようとした中国人女性が股の間を掴みながら一人一人チェックしている日本近衛兵に真実の性を暴かれてしまい、集団暴行を受けている時に、たまたま現場近くにいた仏教僧は危険を冒して止めに入り、不幸にさらされました。日本兵たちは彼に強姦したばかりのその女性との性交際を強制し、それを拒んだ僧侶はその場で去勢されて出血多量のために死に陥れられました。

さらに最も卑劣な性的拷問手段の中には家族に対する退廃があります。

日本兵は中国人男性に対して、父親は娘を、兄弟は姉妹を、息子は母親を強姦させる近親相姦を強制して、加虐的な喜びを味わいました。

中国軍大隊の司令官だったGuo Qiは、街が陥落して息詰まっていた3カ月の間に、少なくとも4、5回は日本兵が母親を犯すように息子へ強制して、拒んだ者はその場で殺されているのを見たり、聞いたりしました。

この報告書は、ある中国人男性が母親を強姦することを拒んでサーベルで突き殺され、直後にその母親も自殺したことについて報告したドイツ人外交官の証言で実証されています。

家族の中には、この様な行為を強いられるぐらいなら率直に死に応じる者もいました。ある一家は揚子江を横断しようとしたところで二人の日本兵に止められ、点検を求められました。ボード上で若い女性や少女たちを見つけた日本兵たちは両親や夫の目の前で女性の強姦を始め、これでも十分にひどい行為にかかわらず、兵士たちが次に要求したことは一家をさらに困惑させました。彼らはこの一家の年老いた男性にも同様に女性たちを強姦させようとしました。一家は従うよりも川へ身を投げて溺れ死ぬことを決意しました。


日本兵に捕らえられた女性たちは強姦された直後に殺され、生きる望みはほとんどありませんでした。

女性たちは様々な方法を用いて強姦から逃れようとしました。中には、すすを顔に擦り付けて老いて見せたり、病気にかかっているように見せたり、頭髪を剃って男性を偽ったりして変装する女性たちもいました。(ある利口な若い女性は金陵大学の安全地帯までの道のりを老婆に変装し、杖を持って足をひきずりながら、背中に借りた6才の子供を負ぶって歩いてきました。)また4日前に死んだ子供を生んだと日本兵に告げて病気を装ったり、中国人捕虜の助言を受けて指を喉に突っ込んで何回か嘔吐して見せた女性もいました。(彼女を捕らえた日本兵は慌てて建物から追い出しました。)中には人混みの中を屈んで進み、壁を敏捷によじ登って日本兵からの追撃を逃れた女性や、三階の日本兵を妨害して、庭の中国人男性が支える竹棒を滑り落ちて、辛うじて暴行から逃れた少女もいました。

しかし、あがいた女性は一度、捕らえられると、日本兵に抵抗しようとした見せしめのために拷問にかけられました。日本兵に挑んだ者たちは、よく目玉をえぐり抜かれていたり、鼻や耳や胸を削がれている状態で後に発見されました。


金子安次
「昼間のうちにいい女に目をつけておいて、夜襲いに行く兵士もいた。頑強に拒んだ女性には膣に棒を押し込み、子宮を切り裂き、油をつけた綿を押し込み燃やしたこともしばしばあった。」

 金子さんの話によると、民間人に対する殺戮と性的虐待は日常的に行われていて、これに加担しなかった日本兵は、少なくとも金子さんの知る限り、ほとんどいないという。

子供は、慣例のごとく両親の目の前で殺された。


子供の前で母親を犯す。赤ん坊を火にくべる。または子供の前で親を焼き殺す。

生きたまま生体実験を行う。 慰安と称して女性の膣にガソリンを含んだ布を押し込み、火をつける。


日本兵が南京の居住民に与えた数々の拷問は人間の理解できる範囲を越えています。下記の例はそのほんの一部分です。

(生き埋め殺人)日本兵は機能的に埋葬活動を実施することで大量虐殺の効率化を図りました。中国人捕虜たちはそれぞれグループに分けられ、まず第一グループが自分自身の墓穴を掘らせられ、第二グループが第一グループを埋め、続いて第三グループが第二グループを埋めて行くという具合に強いられました。犠牲者たちの中には胸や首から下部分を埋められて、刀で徐々に切り刻まれたり、馬や戦車で下敷きにされたりして、さらに大きな苦しみを受けた者たちもいました。

(切断)日本兵は犠牲者たちのはらわたを抜き出したり、斬首したり、手足を切断しただけでなく、さらにひどい種類の残酷な拷問を行ないました。

街の至る所で捕虜たちが板に釘付けにされて戦車にひき殺されたり、木や電柱にくくりつけられて肉体を切り刻まれたり、銃剣の練習台にされて虐殺される光景があり、明らかな事実の中には、100人以上の男性が銃殺される前に目玉をえぐり出されたり、耳や鼻を削ぎ落とされたということがありました。また200名を越える中国兵や市民の集団が裸で柱や学校の戸に縛られ、zhuiziという特別の針で口や喉や目を含む何百カ所という肉体部分を突き刺されることもありました。

(火による殺害)日本兵は犠牲者たちを集めて一気に焼き殺しました。江口の日本兵は中国人捕虜を10人単位でまとめて縛り、ガソリンをかけて火が点けられている窪地へ落とし込みました。太平路でも大量な数に上る店員が火刑を宣告され、ロープでまとめて縛られて炎の中へ投げ込まれました。さらに中国人暴徒たちを建物の最上階や屋根上に集めて、階段を破壊し、炎を下に灯すという余興の火刑ゲームも考案されました。多数の者が窓や屋根上から飛び降りて自殺を図りました。


また犠牲者たちを燃料でずぶぬれにして射撃し、炎上するのを観望するという娯楽も実施されました。ひどい事件の中には日本兵が何百人に上る男性や女性や子供たちをガソリンでびしょ塗れな広場の中に入れ、マシンガンで火を点火することもありました。

(氷による殺害)南京大虐殺中、 何千人に上る人々が故意に凍死させられました。何百人に上る中国人捕虜たちが凍結している池の辺まで行かされ、裸になって氷を壊し、水の中へ魚を捕まえに飛び込む様に命令され、水の中に入ると彼らの肉体は日本兵の銃弾に穴を空けられる浮いた的と化しました。また避難民集団を縛って浅瀬の池へ投げ入れ、そして手榴弾で爆破して「血と肉体の爆発雨」を引き起こすこともありました。

(狂犬による殺害)残虐非道な拷問方法の中には、犠牲者たちの腰部分まで土の中に埋めてジャーマンシェパード犬にかみ殺されるところを観望するというものもあります。日本兵が犠牲者を裸にして、肉体の敏感な部分をジャーマンシェパード犬に噛みつかせる指図をしているところを見物人が見ていました。犬たちは腹を噛み開き、腸を離れた場所へ引きずり出していたそうです。

これらの出来事は日本兵が犠牲者たちの拷問に用いたほんの一部です。日本兵は犠牲者をACID(麻薬)浸けにしたり、赤ん坊を銃剣で突き殺したり、人々の舌をフックに掛けて吊るすといった残虐な行為を公然と行ないました。

日本軍はまったく人間性を喪失してしまい、少しもはぱかることなく女性を強姦・輪姦した。幼女からろうぱまで、はなはだしきにいたっては妊婦さえも免れることはできなかった。

数多くの女性は暴行されたのちまたむざんにも殺害された。日本軍が南京を占領して1か月の間に、2万回以上もの強姦事件が発生した。その時、南京にいた外国の人たちが日本軍のことを「きん獣の群れ」といったのである。

”輪姦の後、殺害された女性”とキャプションのあるこの写真では腹を割かれ、内臓がとび出している。少し開き加減の足。左足の先のほうにはズボンと覚しきものがからまりついている。
http://www.jca.apc.org/nmnankin/magaz306.html


人前で中国人の首を斬殺さしたり、妊婦を銃剣でお腹を裂き見世物にしたとか、娘らを強姦したら殺す!(死人にくちなし、と言う事だそうです)

乳飲み子を母親から取り上げ谷へ投げ捨てた。

子供に”みの”をかぶせ火の中に投げ入れ、熱い熱いとみのがゆれるさまを喜んで”みの踊り”と言ったそうです

日本兵は「幼い娘は熟していない」といって、下腹部を切り開き輪姦を始めるのであった。妊婦でさえも容赦はなかった。

妊娠9ヶ月の17歳の少女を2人の日本兵が強姦する。この結果流産してしまい、彼女は発狂してしまった。HongWu門外では日本兵が農家の妊婦を強姦し、女性の腹部を切り開き、胎児を取り出した。また別のところでは、日本兵が妊婦を強姦しようとしたがお母さんが立ちふさがる。

そこで日本兵の超残虐な行為が始まる。日本兵は老婦を蹴飛ばし、妊婦の腹部をナイフで切った。数ヶ月たったばかりの胎児が中から飛び出した。

このようにして2人の尊い命が一瞬のうちに消えてしまった。多くの女性が強姦の後殺害されている。ある日本の上官は部下にこう言った。「後で厄介になるから、用を済ました後は分からぬように殺しておくようにしろ」多くの女性はこの時の経験を話せない。

しかしそのような地獄から生還した女性もいる。彼女はJianYin通り6丁目に住んでいた。彼女は他の女性といっしょに日本軍に連れ去られた。日中は洗濯をさせられ、夜になると輪姦の道具となる。年増の女は一晩で10回から20回。若くてかわいい女はもっと多かった、と証言する。

正月元旦の日、二人の日本兵が彼女を連れ誰もいない学校にやってきた。そして彼女を10回銃剣で突き刺した。首の後ろに4回。腕に1回。顔に1回。背中に4回刺された。日本兵は彼女が死んだと思い、去っていった。あとで通行人に助けられ病院に担ぎ込まれ命を取り留めた。強姦の後幸運にも殺されなかったが性病に罹り、一生苦しんだ人たちもいることを忘れてはならない。


" 外国人の見た日本兵の蛮行 # という本の中に著者の TianBoLie 氏は南京の虐殺の事実を記録に残している。そのほとんどが強姦であった。それから少し例を拾ってみるだけでも日本軍の罪の重さがわかる。12月14日正午、日本兵は JianYing 通りの民家を襲った。4人の少女を誘拐し2時間かけて強姦した。12月14日夜、日本兵が民家を襲って女性を強姦し、連れ去った。12月15日夜、大勢の日本兵が Jinling 大学の講堂に押し入った。そこで30人の女性を強姦した。ある者は6人の日本兵から次々と輪姦された。 12月15日夜、大勢の日本兵が ShanTiao通りの民家に押し入り、多くの女性を強姦した。12月16日、日本兵は保育大学から7名の少女を誘拐した。年齢は16歳から21歳までの娘であった。そのうち5名が後に釈放された。18日におこなわれた事情聴取によると彼女らは一日に6回強姦されたといっている。

12月18日の夕暮れ時、4,5百人の女性がわれわれの事務所に保護を求めてやってきた。 この多くは日本兵に強姦されていた。 ここに記載した事件は南京陥落後のほんの数日間に起こった氷山の一角に過ぎない。 実際、 " 強姦は南京陥落後6週間に渡って大規模に行われた」のである。これらの犯罪は下級兵士の行動にとどまらず、指導者層にまで及んでいる。

南京虐殺の主犯格である日本軍第六師団長谷寿夫の証言によると、彼は ZhongHua 橋の近くで Din Lan という女性と他に二人を強姦している。また、SaiHongQiaoで Liu YuQingさんと他三名を強姦した。他のところで10名以上の強姦も認めている。日本軍の侵略者たちは強姦で動物本能を満たすだけでは終わらなかった。

彼らは集団で輪姦し、その後、殺して死体を切断するのであった。多くの女性は10人くらいの日本兵に輪姦された。そして女性は死んでいく。この種の経験をした女性の死体は数限りなくあった。虐殺の期間中、強姦の犠牲者には教授婦人、尼僧、労働者、教師、学生などがいた。


2月の終わりごろ、14人の難民の家族が日本軍により惨殺された。一番下の娘はほんの14歳。彼女は二つの正方形のテーブルの上に乗せられて死んでいた。上半身は服を着たままであるが、下半身はすべて剥ぎ取られテーブルは血の海であった。そして彼女の下腹部には銃剣で刺した後が二つあった。

お姉さんは妹と同様の格好でベッドの上に倒れていた。母親はテーブルのところで1歳の赤ん坊を抱きかかえ倒れていた。赤ん坊は腹部をナイフで切られ、内臓が飛び出していた。正視できない地獄絵巻である。国際委員会の委員は調査に乗り出した。
写真を撮り、それをアメリカの市民のもとに送った。日本大使館にも送った。


日本軍の地獄の苦しみを味わったのは主に女性であった。彼女らは強姦されてそれで終わりではなかった。日本軍から胸を切り落とされ骨が見えている女性。
下腹部を銃剣で刺され苦痛で泣き叫ぶ女性。また、下腹部に木材、竹、人参などを差し込まれ、かき回されて死んでいく女性。

これを端で見ている日本兵は拍手を送り高らかに笑っていた。日本軍に囚われコックとして働かされた中国人が脱走後次の話をしてくれた。12月16日、通りに出てみるとまだ火も残って煙が立ち込めていた。我が同胞の死体の山、山、山。特に女性の死体が目立つ。それらの中で10体のうち8体は腹部を切断され中から内臓が出ている。

血まみれの胎児を手にした母親の死体もある。女性の乳房は切り取られるか銃剣で刺され、血と肉の固まりと化している。南京市内外の虐殺の期間中、多くの女性の死体はこのような様子であった。XinZhong門の城壁近くの家で60歳代のおばあさんの死体が見つかった。おばあさんの下腹部は大きく膨らんでいた。

YangPi通りの北に少女の死体が見つかった。おなかは切り開かれ内臓は引き出され、2つの目は大きく見開き、口からは血が流れていた。 GuYiDian通りでは12歳の少女が死んでいる。下着は破られ、目は閉じたまま口は開いていた。この死体を見てわかることは、これらの女性が単に日本兵の刃に倒れただけでなく、辱めを受けているということだ。

日本兵の犯した強姦の罪は重い。その残虐さは彼らの殺戮に劣らなかった。日本軍の上官はこれらの残虐行為の手をゆるめることはなかった。むしろ兵士の動物本能を満足させるためにこれを奨励した。その結果、日本兵はどこに行っても強姦をやった。上海、SuZhu,WuXi, HangZhou でも日本兵は同じことをやった。

南京の女性の運命は特に悲惨なものであった。南京陥落後、日本兵は女性を求めて南京のいたるところを探し回った。そして見つけると集団暴行を行う。
http://www.geocities.com/Pipeline/Halfpipe/3791/katari2-2.html


4. 2015年8月12日 10:45:35 : blhkC0gAAw
三行でまとめてくれ。

5. 2015年8月12日 11:02:00 : b5JdkWvGxs
三行だとこういう感じ


第二次世界大戦時、日本軍が中国で行ったお遊び

まず、釣り針が連続して付いている釣り糸と竿を用意します。

そして、女の股をひらかせます。 女の膣に釣り糸を挿入。

釣り針も全て挿入し、挿入が終わったらウィンチで思い切り引っ張る。




6. 大和狼 2015年8月13日 03:08:04 : 4bXKnGQAUaNEQ : e6w6Ns8BPQ
中川隆、永遠のお花畑認知妄想末期症状。

まもなく冥界入り。南無阿弥陀仏。


7. 大和狼 2015年8月13日 03:23:26 : 4bXKnGQAUaNEQ : e6w6Ns8BPQ
http://brief-comment.com/blog/zouki/48594/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=post-48594

生きた人間から臓器を取りだし、売り払う。

それが中国だ。


8. 大和狼 2015年8月13日 03:32:38 : 4bXKnGQAUaNEQ : e6w6Ns8BPQ
【禁聞】臓器狩り「中共上層部は皆 知っている」

【新唐人2014年8月29日】アメリカの中国問題専門家、イーサン・ガットマン氏は新書「大虐殺」で、「臓器狩りの行為は中共の上層部に知られている」と明かしました。一方、中国の民主化に取り組む男性は、臓器狩りという行為がまかり通るのは、中共の独裁体制と関係していると指摘しました。

ガットマン氏は5年かけて、中共の元警察幹部やかつて臓器狩りに関わった医師、海外に逃れた法輪功学習者を取材しました。その調査結果を本にまとめ、「政治犯、特に法輪功学習者から臓器を奪う大虐殺は存在しただけでなく、今も続いている」と指摘しています。

ガットマン氏の調査で判明した最初の臓器狩りは、ウイグル族から奪った臓器を中共の高官に移植するものでした。臓器狩りの被害者にはチベット族、モンゴル族などが含まれますが、99年以降は、健康な数多くの法輪功学習者がターゲットになりました。彼らは拷問を受け、さらに血液検査も強制させられていたのです。

中国民主党創始者 陳忠和氏
「これは個人ではなく、独裁体制の行為です。共産党は自分中心で、すべてを凌駕します。庶民の命を軽視し、人権を無視します。庶民は党の道具に過ぎず、人と見なされていません」中国民主党を創設した陳忠和(ちん ちゅうわ)さんは、かつて7年間服役させられました。中国民主党創始者 陳忠和氏
「服役していた時、ある若者が臓器摘出のために銃殺刑になりました。臓器狩りは前からあり、横行しています。私は武鋼医院の職員でしたが、処刑のたびに同僚は臓器を奪っていました」ガットマン氏が入手した情報によると、臓器狩りはほとんど軍の病院で行われています。しかもその利益を巡り、武装警察と軍の病院同士が争い、裁判所に仲裁された例もありました。ガットマン氏は、上層部は全員、事情を知っているはずだと考えています。法輪功の迫害調査組織の調査員がかつて、当時まだ政治局常務委員だった李長春(り ちょうしゅん)に電話して、臓器狩りの件を尋ねたところ、「周永康に聞け」「周永康が主管していることだ」と答えました。
人権活動家の胡佳(こ か)氏は、約10年前、友人の軍医から臓器狩りの事実を聞きました。

人権活動家 胡佳氏
「臓器狩りの存在は100%信じます。中共は生きながらえるため、道義を踏みにじりました。中共統治下では国民は2種類に分かれます。まずは中共の統治を守る手下です。残りの大多数は命を粗末にされる奴隷です」

法輪功学習者からの臓器狩りは、2006年、初めて証人が現われました。この事実が様々なルートを通じて広がり、多くの中国人に共産党関連組織からの脱退を決意させます。

海外の人権組織は、臓器狩りを主導した江沢民・羅幹(ら かん)・周永康(しゅう えいこう)を人道に反する罪で訴えるべきだと呼びかけます。アメリカ議会では「すべての囚人、特に法輪功や宗教の信仰者、少数民族から強制的に臓器を奪うことをやめるよう、中国政府に求める」とする法案が通過しました。

中国民主党創始者 陳忠和氏
「中共内部の者が共産党の邪悪を認識できれば、彼は中国の「ゴルバチョフ」になり、『共産党は邪教』と言うでしょう。中共の罪が今暴かれ、圧力が加わっています。中共が変わらない限り、破滅しかありません」

ガットマン氏によると、2000年から2008年まで、少なくとも6万5000人の法輪功学習者が、生きたまま臓器を奪われ、死亡しました。また、中国の刑務所関連施設には、50万から100万人の法輪功学習者が収監されていると推測しています。


9. 2015年8月13日 07:17:06 : b5JdkWvGxs
>生きた人間から臓器を取りだし、売り払う。それが中国だ。


731部隊よりはましだろ:

昭和天皇の命令で行なわれた生体実験

731部隊の全貌
http://www7a.biglobe.ne.jp/~dev2ec82/index.htm

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言
http://www.youtube.com/watch?v=-qOV2saI5kQ


 昭和17年(1942年)春のことだった。入営以来の住み馴れた
東満国境の部隊から関東軍防疫給水部に転勤になったとき、私に与えられた職務は
教育部付きとして各支部に配属される衛生兵の教育だった。
それが終了した後、第一部吉村班に出向ということになった。

 ここは主として凍傷に関する研究を担当していて、私が行ったとき、たまたま
喝病〔原文ママ〕の生体実験が行われている最中だった。

それまでこの部隊は防疫給水、特に濾水機の製造補給が主な任務と聞いていた私には、
初めて接する部隊の隠された側面にただ驚くばかりであった。

堅牢なガラス張りの箱に全裸の人間を入れ、下から蒸気を注入して人工的に
喝病にかかりやすい気象条件を作り出して罹患させ、臨床的、病理的に観察し、
その病因を究明するためのものだった。

 時間が経過するにつれ全身が紅潮し汗が滝のように流れ出る。
いかに苦しくとも束縛されていて身動きもできない。

やがて発汗が止まる。苦渋に顔が歪み、必死に身悶えする。
耐えかねて哀訴となり、怒号となり、罵声となり、狂声と変わっていく
あの凄まじい断末魔ともいえる形相は、今もって脳裏にこびりついて離れない。

私は初めて見るこの凄惨な光景をとても直視するに忍びず、一刻も早く逃げ出したかった。
それにしても平然としてこのような実験に取り組んでいる人たちは、果たしてどんな神経の持ち主なのであろうか。……
http://hide20.blog.ocn.ne.jp/mokei/2008/05/post_44a5.html


実験その1。

厳冬の厳しい真冬の寒さの中に「マルタ」を長時間置き、凍傷を作りその治療をするという人体実験。

この場合限界まで外に置き完全に凍傷をさせる死の直前まで外に置く。

死んでは治療が出来なくなためです。そして体に出来た各部の凍傷を治療するという人体実験。

零下40度cの中に、長時間置かれるだけでも苦痛なのに。凍傷しているかを試すのに、
角材で、手、足を殴り、痛いうちはまだ凍傷になって
いないため更に、長時間、外に凍傷するまで置かれたという。

実験その2。

腹部に銃弾を撃ち込み、その銃弾の摘出手術をするという人体実験。
治癒するまでの時間がどの位掛かるのか。


実験その3。

無理やり全身麻酔の注射をして、人体を解剖し、足、腕、を切断し、接続する人体実験。
頭部を切り落とし脳の中の仕組みを調べる。


実験その4。

「マルタ」の男女にセックスをさせる実験。目的は梅毒に感染させるため。
日本兵が梅毒に感染した時の治療方法の研究。


実験その5。

細菌に感染させる人体実験。チフス、ぺスト、コレラ、赤痢、結核、梅毒等に感染させて、
その病状の変化の様子を克明に記録した。


実験その6。人間はどの位食べ物を摂らずに生きていられるかの実験。

兵士の背負う重装備の「背嚢」→はいのう。約30キロはある重い物を
背負わせ。5時間〜6時間歩かせ、水、食べ物をも与えず何日位位耐えられるのか。

あるいは飲料水と乾パンだけで、何日耐えられるか。

この実験には2人の中国人が使われた。何も与えない人。水と乾パンだけの人。
それぞれのデーターが記録された。


実験その7。

臓器摘出の人体実験。「マルタ」に全身麻酔をして、切り開かれた体内の臓器に、
刺激を与えどのような反応をするのかの人体実験。

そして摘出をして、ホルマリン漬けにする。まだぴくぴくと動いていたという。


実験その8。

「マルタ」を逆さつりにして、何時間何分で死に至るのかの人体実験。
身体の各部はどのように変化するるのかのテスト。


実験その9。

猿や馬の血液と人間の血液の交換実験。「マルタ」の体内血液を全て抜き取り、
どの位の分量の血液が搾り取る事が出来るかの人体実験。


凍傷の人体実験では、極寒の零下40度に長時間放置し、冷凍人間に近いものを作って
人体実験をした部分は記載中涙が止まらなかった。何故そのような事が行われたのか?

答えは、かってシベリア出兵の時日本軍は凍傷に悩まされた経験を持っていました。
この凍傷の克服のために731部隊では、凍傷実験が行われたのです。

この実験で手足を無くした「マルタ」の身体は、かろうじて残された頭部だけです。
そして最終的には毒ガス実験などに「再利用」されたという

その他「マルタ」を柱に縛り付け、空中から細菌爆弾を投下し効果がどの位あるのかを実験した。
「細菌の効力を確かめるため」

毒ガス実験では、ガラス張りの中に「マルタ」を入れ、毒ガスで死亡していく経過を映像に記録したり。絵画を描いたという。
http://homepage2.nifty.com/yocyan1854/ikari4.htm

そやね。私たちが片付けにいったとき、中国の女の人がありましたね。

梅毒の実験の。スペロヘータの実験の。それは思い出ありますね。

えーと、やられた先生は、園田中佐。教育隊の中佐のね。

それで私たちが入ったのは梅毒のそれをやったあとですから、恥部をずうっと切り開いとったですね。

その実験がどういうようにしたとかはお聞きになりましたか?

いやー、それは聞いてない。それは恥部と、それとあばらを開いとったですね。

その中をどうあたっていたかは覚えてないですね。顔とかはあたってないです。
まあ、そのような繰り返しです。
http://tenjin.coara.or.jp/~makoty/library/memory731.htm


その真空試験いうのは?

結局カプセルの中に入れて空気を抜くわけです。そうすると穴という穴から腸とか全部飛び出してくるいうて、凄かったらしいです。

それを言われた方、覚えていますか?

はい、1班におったのですね。茨木の方です。4年次になってちょっとして聞いたですね。

何班ですか?

それは研究班になるんですね。岡本班ですね。どういう意味でやったのかそこまで聞かなんだけどね。
http://tenjin.coara.or.jp/~makoty/library/memory731.htm


証拠隠滅=殺しつくし、焼きつくす

 撤収作業で緊急を要したのは、マルタの処置であった。

 ロ号7,8棟に、青酸ガスを噴出させて、かなりのマルタを殺した、
また、私たちが直接手を出さないで確実に殺す方法を編み出した。

つまり、マルタ2人を互いに向かい合わせ、首にロープをまき、その中央に棒を差し込んで、2人がねじるのである。

もちろん、私たちはかたわらで銃を構えている。2,3分で2人とも自らの首を自らの手で締め上げていった。

この方法で私たちは多数のマルタを殺した。また、その他いろいろな方法で、マルタを整理したのである。

 私たちは、マルタを殺す前、マルタ自身に溝を掘らせてから処置することも忘れなかった。

そんな時、彼らは足かせを引きずりながら、生気の無いドロンとした眼で、シャベルや鍬(すき)をにぎっていた。
きっと、その溝が何のためのものかわかっていたのだろう。
http://xa0007.blogspot.com/2009/10/731_27.html


10. 大和狼 2015年8月14日 03:20:25 : 4bXKnGQAUaNEQ : BpvepdU0hI
わかっていないようだが、70年80年前のわかっていないような事と、
今現在21世紀に起こっていることの意味も解らないところはまさに認知症状だな。
先の大戦の反省をするならば 、今の侵略行為、人間の虐殺行為を止めること、人間のいのちを奪って利益を得ることを止めることだな。

日本国憲法の前文と第9条を学習すべきは中国共産党と日本の成り済ましサヨクと成り済まし朝鮮ネトウヨ、統一協会、国際勝共連合、神道政治連盟日本会議の自民党成り済まし朝鮮人どもだな。

統一協会って南北朝鮮の統一って意味だろ。
日本人の知った事か!?

安倍は朝鮮有事にまたぞろ朝鮮半島に日本の統治権を行使したがっている。
誤解しないで頂きたいのは安倍ら自民の右翼は長州朝鮮部落田布施ムラの
出身者どもだということだ。
だからこそ朝鮮併合であり、満州開拓だった歴史の側面がある。
岸は満州支配の元締めで、巨額の利益を得た資金でGHQの第3国人の日本支配権を手にした。
朝鮮も安倍を叩くことは自己を叩くことだ。
以下は南朝鮮の反日クネの父親の言葉だ。
儂は朝鮮のことは知らんが、クネの親父の言うとおりだろうと思うわ。
日本もな誇りある大和政権を樹立しないとな。元寇の北条、源氏のような、な。侵略や植民地支配には断固として戦う日本をな。
今度は朝鮮人抜きでな(笑)。やつら残虐だからな。

我が五千年の歴史はひと言でいって退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった。

いつの時代に辺境を超え他を支配したことがあり、どこに海外の文物を広く求めて民族社会の改革を試みたことがあり、統一天下の威勢でもって民族国家の威勢を誇示したことがあり、特有の産業と文化で独自の自主性を発揮したことがあっただろうか。

いつも強大国に押され、盲目的に外来文化に同化したり、原始的な産業のわくからただの一寸も出られなかった。

「われわれのもの」はハングルのほかにはっきりとしたものは何があるか。我々はただ座してわらを編んでいただけではなかったか。

自らを弱者とみなし、他を強大国視する卑怯で事大的な思想、この宿弊、この悪い遺産を拒否し抜本せずには自主や発展は期待することは出来ないであろう。

以上のように我が民族史を考察してみると情けないというほかない。全

体的に顧みるとただ唖然とするだけで真っ暗になるばかりである。このあらゆる悪の倉庫のような我が歴史はむしろ燃やして然るべきである。

「朴正熙選集」−我々は今何をいかになすべきか−
朴 正熙 元 韓国大統領


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