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旧ソ連を歩いて:(7)マレーシア航空機撃墜現場にて  毎日新聞
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投稿者 ダイナモ 日時 2014 年 7 月 31 日 12:56:42: mY9T/8MdR98ug
 

 青、白、黄色と小さな野の花が咲き乱れる草むらに、その若い男性はあおむけに横たわっていた。万歳するように両手を上げ、目は閉じ、口は半開きに。ほとんど無傷で、どこか遠い場所で眠っているように見えた。

 マレーシア航空機墜落現場で、私は機体の残骸だけでなく数々の乗客の遺体を目にした。記述するにはあまりにむごい光景だった。ただ、亡くなったこの男性の姿から「永遠に解けない謎」を受け取ったような気がした。

 撃墜による死は一瞬だったのだろうか。それとも、地上へと落ちていく際に意識はあったのだろうか。穏やかに見える表情と、何かをつぶやくような口元。あなたは最後に何を伝えたかっただろう。あなたはどんな人生を送ってきたのだろう。

 見渡す限りの穏やかな朝の田園風景。小鳥のさえずりが聞こえる。湿った、ひんやりとした風が吹いている。灰色の空から、ぽつりぽつりと雨粒が落ちてきた。

 ウクライナ時間の7月17日午後4時過ぎ、アムステルダム発クアラルンプール行きのマレーシア航空機MH17便がウクライナ東部上空で撃墜された。夏季休暇でデンマークにいた私は連絡を受けて直ちに深夜の便でモスクワに戻り、翌18日、ウクライナ東部ドニエプロペトロフスクへ飛んだ。

 特急列車に乗り換えてその夜、ドネツクに入った。19日午前8時半過ぎ、墜落現場の一つとなったグラボボ村に車でたどり着いた。

 旧知の地元記者、サーシャたちに案内を頼み、毎日新聞の同僚の坂口裕彦ウィーン特派員と計5人のメンバーだ。どこまでも続く黄色のヒマワリ畑とポプラ並木の道に迷いながらも、車を飛ばしてきた。曇り空の朝、静まりかえった麦畑と野原に機体の破片が散らばっていた。救助部隊の大型ドームテント4張りが並び、救急車や現場指揮車が数台。隊員十数人や2、3組のテレビクルーの姿が見えたが、まるで静止画のように感じられた。

 車を降りて最初に立ったのは、一面黒焦げの野原だった。巨大なジェットエンジンの残骸が転がり、よく見ると燃え尽きて原形をとどめない翼もあった。住民が手向けた野の花とクマのぬいぐるみを横目に、写真を撮るため現場にそっと足を踏み入れた。

 辺りには燃料臭と火災の焦げ臭さが残る。ドロドロに溶けて固まった金属塊もあり、高温で燃焼したことを伺わせた。前を歩く若手女性記者マーシャが「そこ」と足元を指さす。よく見れば機体の破片の間に白い布切れを付けた木の棒が立てられ、犠牲者の居場所を知らせている。

 焼け野原から道を挟んだ場所には質素な民家が並んでいる。近所の女性たちが我々報道陣の様子を遠巻きに眺めていた。落下した機体がほんの少しずれていれば、地上でも犠牲者が出たかもしれない。

「インタビューさせてくれ」。ロシアのテレビ記者の男性が話しかけてきた。現場入りした外国人記者の声を収録したいという。「現場に入っての感想はどうか」「日本では誰が撃ち落としたと言われているのか」。マイクを突きつけられ、拙いロシア語で「ひどい事態だ」「日本では両論が伝えられている」と簡潔に答えたが、どこかまだ現実感がなかった。

 マイクを下ろしたこの記者は「あっちには『恐怖』そのものがある」と指さした。その言葉に従うように、ぼんやりと数百メートル歩いて行った。カーキ色のたわわな穂が風に揺れる麦畑。ところどころ、ぼっこりと穴が開いたようにへこみ、白い布切れを付けた木の棒が立つ。ここにも、あそこにも、いくつも。見えるのは風に揺れる布だけだ。だが、その下には名前をなくした誰かが倒れている。言葉を失った。

 円筒形のまま燃えずに残った大きな機体の残骸に近づき、右手の野原を見たとき、さらに息をのんだ。細かな残骸が散乱する一角に倒れている人々の姿を見たからだ。

 現実の手触りを失いかけていた私の目には、最初は遺体がまるでマネキン人形のようにも見えてしまった。あまりにもありのままに横たわっている。即座には現実とは認識しがたい、凄惨(せいさん)な状況だった。ロシア人記者が言うように、人々の恐怖の叫びの余韻がそこには残っていた。ごくごく普通の空の旅が一瞬で切り裂かれたのだ。切り裂かれ、落下した。

 怒りよりも、悲しみよりも、大きなむなしさを感じた。意味もなく殺された人たち。近くには野良犬の死骸もあった。「遺体を傷つけないように親ロシア派の戦闘員が殺したらしい」と、同行した地元記者のヤナさんは言った。

 道ばたには、遺品となってしまった旅の荷物が散らばっていた。ユーモラスな動物のイラストが描かれたトランプのカード4、5枚。インドネシアのバリ島のガイドブック、アムステルダム土産のTシャツ、ピンク色の子供用スーツケース、猿のぬいぐるみ、免税品のウイスキーや化粧品、ノートパソコン。遺品はほとんど元のままのように見えた。一つ一つの品々を目に焼き付け、その一部を撮影しているうちに、「これは現実に起きたことだ」と初めてくっきりと感じた。

 そして、そろそろ現場を出ようと車へ戻る途中、穏やかな表情で草むらに横たわる冒頭の若い男性を見つけた。彼のことは決して忘れずに覚えておこう。次第に雨脚が強まる中、現場へやって来る親露派戦闘員の男性2人を見かけた。これ見よがしに自動小銃を構える姿は、遺体が多数残された悲しい風景にはそぐわなかった。

 グラボボ村の現場入りから4日後の7月23日正午過ぎ、夏の強い日差しが照りつけるハリコフ空港の広大な駐機場に私はいた。しゃがんだまま、右手のペンに止まったシジミチョウをじっと見つめていた。

 親露派武装勢力が支配するドネツクから北へ約300キロ。ハリコフ州の州都ハリコフへはその前日、現場で収容された約200人の遺体が冷蔵貨車で到着していた。遺体の後を追うように、私と坂口記者も車で移動してきた。

 23日、オランダへと遺体を運ぶ輸送機第1便の出発に合わせ、午前11時過ぎから、「お別れの式典」が駐機場で開かれた。100人近い各国報道陣が集まり、その中に私もいた。黙とう、あいさつと続き、正装のウクライナ軍兵士が木のひつぎを恭しく機内へと運んだ。そして、離陸。丸々とした灰色の軍用輸送機が雲間に消えていった。

 ウクライナのグロイスマン副首相とオランダの代表者による記者会見が、その場で行われた。しゃがんでメモを取る私の近くに、ひらりひらりとどこからか、小さなシジミチョウがやって来た。顔の前を飛んで、そのまま私が握るペンの尻に止まった。しばらく休憩して、またひらりと舞い上がって、どこかへ飛んでいった。

 空港のロビーで原稿を書きながらそのことを思い出し、急にかなしみに襲われた。あのシジミチョウはどこから来たのだろう。どこへ行ったのだろう。


http://mainichi.jp/feature/news/20140731mog00m030014000c.html
 

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コメント
 
01. 2014年7月31日 22:17:52 : UvdomJIlqI
この記事の内容では論争は起こりえないでしょうが、

 ダイナモ v あっしら

の対決はどこかで見てみたいですね


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