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2014年11月 6日(木
(略)
律令理性論から見れば、3.11事故以後の日本社会は、律令体制の本性が、といいますか、その実態・実体が、誰の目にも明らかに分かるようになった状況です。
安倍政権だけが腐っている、というのではなく、律令体制そのものが、本質的に、腐っているのです。
ただ、戦前は、日本人は自分を「臣民」と規定していましたから、その事態を腐っている、とは思いませんでした。
腐っている、と日本人が思うようになったのは、戦後の日本国憲法以後です。ここでは、日本人は「主権者」と規定されました。この規定から見れば、律令体制は、本質的に腐っています。
3.11以後は、それが明らかになっただけです。
では、日本国憲法が規定する、普通の国民が主権者である、という視点から見ると、律令体制の何が腐っているか、といきましょう。
昨日、書く予定だった話題です。
ヘーゲルによれば、古代ギリシア人の社会は、基本的に「共同体」でした。
「ギリシア的精神の立場は、道徳的な面から見れば、素朴に共同体秩序の生きる立場、ということができます。人間はまだ、自分のうちへと反省の目を向け、自発的にものごとを決定するすような心構えをもたず、ましてや、良心と名づけられるようなものは存在しなかった。・・こうして、共同体の掟は、神々の承認した神聖な掟だと見なされた。」『哲学史講義上巻』河出書房新社p.412
ところが、人々は、日々、それぞれに自分で決断をしなければならない事態に直面します。これは、どの社会でも同じです。
で、共同体の掟を絶対視していたギリシア人は、そういうとき、どうしたか?
「何かを決断するさいにもギリシア人は掟をよりどころにしたのですが、他方、私的行為においても公的行為においても、みずから決断をくださねばならない場合があります。しかしそのとき、ギリシア人はまだ主体の意思にもとづいて決断をすることはなかった。将軍も国民も、国家において何が最善なのかの決断をわが身において引き受けることはなかったし、個人が家政上の決断を見に受けることもなかった。決断に関してはギリシア人は神託を頼りにし、神託に伺いをたてたのです。(神託が決断主体でした。)」p.412
ここのヘーゲルの文章を見ると、私は、川内原発の安全基準を巡って、自分で判断せずに、国に(経産大臣)にその判断を預けてしまう川内市長のことが想起されます。
さて、問題は、なぜそうなのか、です。
なぜギリシア文明を築いたギリシア人にして、主体人でありえなかったのか?
「肝心の点は、ギリシア人が決断者ではなく、主体が決断を身に引き受けず、外部の他者に決定をゆだねたことで、−このように、いたるところで神託が必要だったのは、人間が自主的に判断がくだせるほど自分の内面を独立した自由なものだと認識していなかろつたからで、これは、主観的自由の欠如をものがたるものです。
この自由は、まさしく私たちが今日いうところの自由で、ギリシア人のもとにはまだその自由はなかったのです。」p.412
そう、ヘーゲルはいいところを突きました。
古代ギリシア人は、自由の意味を知らなかった、と。
だから、決断の主体になることができなかった。
これは、まさに律令理性人です。
そして、自然理性人とはこういうことです。
「自分の行為に自分で責任をとること、つまり、明晰な知にもとづいて決断をくだし、それを最終の決断だと見なすことは、近代の思想原理です。ギリシア人はこうした無限の自由を意識することはできなかったのです。」p.412
というわけで、律令理性人には、責任を引き受ける能力が、先験的に欠けている、ということになります。
天皇制とは、この、個々の日本人が責任主体になれないという事態をカモフラージュするものです。
もちろん、藤原不比等が律令体制を構築したときは、天皇制とはそういう意味ではありませんでした。
天皇制がカモフラージュ体制となったのは、ペリー以後です。
本来は、個人が主体となるべき時代がきたのに、律令理性人にはそれができないので、代わりに、天皇が、主権者となりました。これが明治憲法の最大の秘密です。
- 教養とは何か(uedam.com掲示板) 五月晴郎 2014/11/11 22:02:31
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