http://www.asyura2.com/14/senkyo169/msg/629.html
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「本当の「愛国者」かどうかは、言動に含まれる「同国人への思いやり」によって見分けられる:山崎 雅弘氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/14940.html
2014/8/10 晴耕雨読
https://twitter.com/mas__yamazaki
田上富久・長崎市長は平和宣言で、7月に閣議決定した集団的自衛権の行使容認を巡る議論に言及し「『戦争をしない』という誓い、平和の原点が揺らぐことに対する不安と懸念の声に真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求める」と政府に呼び掛けた(毎日)http://bit.ly/1sGLQma
「一方、安倍首相は『核兵器のない世界を実現するための取り組みを、さらに前に進める』と述べたが、2007年の第1次政権時に触れた『憲法の規定を順守』とする発言はなかった」「集団的自衛権への言及はなく、原発問題にも触れなかった」(毎日)http://bit.ly/1sGLQma
松代大本営地下壕の看板 長野市「強制的に」表記覆う(長野毎日)http://bit.ly/1yeWf86
「『住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され、突貫工事をもって構築した』と記されていたが、昨年8月、市観光振興課の判断で『強制的に』の部分に粘着テープなどを貼った」
沖縄の集団自決でも慰安婦問題でも、特攻や軍関連の労働従事でも、形式的な「強制性の有無」のみに論点を矮小化する動きをよく見るが、相手がNOと言える選択肢を事実上与えずになされる「募集」や「志願」は、実質的に「強制」と変わらない。
同様の構図は現代の企業などの組織にも引き継がれている。
戦前・戦中の日本および日本統治下の「外地」では、女性の人権や地位は、現代とは比較にならないほど低かった。
そんな状況下で「貴方にもお国に奉仕する仕事があります」と言われて、女性がNOと言えたかどうか。
男性中心視点の形式的な「強制性の有無」だけの議論では、そうした側面が見落とされる。
今年2月に産経新聞で阿比留瑠比氏が書いている(http://on-msn.com/MKQX3g )通り、慰安婦の四割は日本人だったとされる。
戦時に慰安婦という立場にいた女性を貶める暴言は、名乗り出ることも賠償の請求もできない日本人元慰安婦の心にも刺さり、高齢の彼女らを死ぬまで苦しめる。
本当の「愛国者」かどうかは、言動に含まれる「同国人への思いやり」によって見分けられる。
表面的にどれほど「愛国っぽいこと」を口にしていても、過酷な状況に置かれた同国人に唾を吐いたり、足で踏みつけにするような言動を平気で吐ける人間は、自分の傲慢さを「愛国風の態度」で粉飾しているだけ。
国民の右傾化等とよく言われるが、最近この国で増えているのは「右傾的な人間」ではなく「自分の傲慢さに無自覚な人間」だと思う。
政府の中枢にその種の人間が集まり、傲慢な態度を全く隠そうともしないので、それを見て、心の中に隠していた自分の傲慢さを堂々と、安心して表に出す人が増加している。
「愛国」や「日本の誇り」といった自賛の概念は、こうした「傲慢さ」を粉飾する材料として非常に安価(実質タダ)で、子供の知性でも使える粘土のような「可塑性」も備えている。
傲慢な人間の思考には「反省」という発想やその価値の理解がなく、その行為の表面だけを見て「自虐」の一言で切り捨てる。
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