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福島第一原発の事故をめぐる報道や論議、消費税増税や軽減税率をめぐる説明や議論などを見聞きしていると、デタラメやマヤカシの内容がどうしてこれほどまでまことしやかに流布されているのかと驚愕させられる。
このような“異様に歪んだ認識言語空間”という惨状は、9.11でもわかるように、日本に限った話ではない。
予め自分の立場を明らかにしておいたほうがいいだろう。
国民主権国家には欽定ではなく国民が自主的に選定した憲法が必要だと考えている自主憲法制定派である。
憲法条文の内容が気に入っているからといっても、民主主義者なら、GHQと天皇を大権主体として戴く支配層が合作で制定した憲法をそのまま受け容れてはならない。ただし、石原氏と違って、その文言表現にこだわっているわけではなく、憲法改正の手続きとして自主憲法を制定すればいいと思っている。
現行憲法と国防政策の関係については、国家として“個別的自衛権”の権利を持ちながらその行使を認めていない現行憲法の条文(第9条)に照らせば、交戦するためにつくられた戦力組織である自衛隊は違憲の存在であり、外国の軍事基地を国内に設置することを認めている日米安全保障条約も違憲の条約という見解を持っている。
国防のために軍事力や軍事同盟が必要だと多数が判断するのなら、憲法を改正して進めるべきである。現在の自衛隊や日米安全保障条約を是とする人は、それらが合憲になる憲法に改正する運動を進めなければならない。現行憲法が気に入っている人は、曖昧な規定を明確にしたりわかりやすい表現を変えたりするなどして、実質的には国民の“追認”を求める憲法改正運動をしなければならないと思っている。
現在論議されている集団的自衛権の問題に戻る。
その行使が合憲かどうかをめぐって“熱い”議論が展開されているが、日本の集団的自衛権は、実のところ、63年も昔である1951年から行使されている。
1951年はお察しの通り、先の「アジア太平洋戦争」敗戦により6年近く続いた占領支配から独立を果たした年である。
日本は、独立と同時に“集団的自衛権”を行使したことになっている。的確に言えば、独立を得る見返りとして、米国によって“集団的自衛権”を行使させられたのである。
一方、“集団的自衛権”と違い行使できるとされている“個別的自衛権”については、1954年になって、その行使は合憲とする“政府の憲法解釈変更”が行われている。ちょうど、警察予備隊から保安隊を経て自衛隊が成立するタイミングである。
そのような経緯を如実に示す文言が旧日米安全保障条約の前文冒頭にある。
「日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない」という表現である。
日米安全保障条約が日本憲法第9条を“武装解除”と表現しているのはあまりにもミゴトだが、警察予備隊という呼称からもわかるように、戦力とされる軍事組織を保有することは許されないというまっとうな憲法解釈が1954年まで続いたのである。
歴史的経緯に即して説明すれば、戦後日本は、「個別的自衛権の行使」よりも先に「集団的自衛権の行使」を認めたことになる。
それゆえ、「集団的自衛権の権利はあるが行使はできない」とした72年の政府答弁書はマヤカシでしかない。
このような歴史的経過がありながら、ダイの大人それも日本の統治を委ねられている内閣総理大臣や国会議員そして「社会の木鐸」を自認しているマスメディアまでが、真顔で「集団的自衛権の行使」は合憲か違憲かといった議論を展開しているのである。
軍事的精神的占領状態から抜け出せない従属国家の宿痾なのだろうが、虚構のなかで口先だけで論議されているのが「集団的自衛権」問題なのである。
言葉にはしないが、中国など日本をまじめに研究してきた外国の“有識者”は、日本で現在進行中の奇妙奇天烈な“集団的自衛権”論議を笑っているはずである。
何より、日本が“集団的自衛権”を行使していることは、政府をはじめ多くの政治家やメディアが、「日米同盟が基軸である」と主張し、「日本の安全は米国によって守られている」とか、「米国の核の傘で守られている」と説明していることでもわかる。
日本の防衛が、日本単独ではなく米国との軍事同盟関係でそれなりに担われているという現実こそが、“集団的自衛権の行使”なのである。
「集団的自衛権の権利はあるが行使はできない」とした72年の政府答弁書を踏まえると、日米安保条約そのものが、違憲の条約か、一般的に説明されている集団的自衛権の内容を伴っていない条約ということになる。
日本が1951年から集団的自衛権を行使しているという主張は、牽強付会や自己流の解釈に基づくものではない。
日本が集団的自衛権を行使したことは、サンフランシスコ講和条約の調印が終わった直後に米国とのあいだで締結した(旧)日米安全保障条約(「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」1951年9月8日締結・1952年4月28日発効)の前文に明記されている。
(旧)日米安全保障条約の前文として、
「平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。
これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する」
と書かれている。
(旧)日米安全保障条約に「これら(個別的自衛権及び集団的自衛権)の権利の行使」であると明記されているのでる。
前文の冒頭に、「日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない」とあるので、「これらの権利の行使」は、米国が主体と解釈できる。
日本の個別的自衛権の行使を米国が代行し、それは集団的自衛権の行使として正当化していると解釈するのが妥当であろう。
安倍首相の祖父に当たる岸信介氏の主導で改定された現在の日米安全保障条約(1960年1月19日締結)の前文でも、「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、よつて、次のとおり協定する」とある。
約めれば、個別的又は集団的自衛の固有の権利があることを前提に、その権利を行使するものとして日米安全保障条約を締結したのである。
日米安全保障条約の第三条にも、「締約国は、個別的に及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる」とあり、集団的自衛権の行使であることがわかる。
「大山を鳴動させて鼠を5、6匹得る」という安倍政権がたびたび用いる手法だが、集団的自衛権の行使は、公明党との合作で、憲法解釈の変更ではなく集団的自衛権の行使ではない“特殊な行為”として法制化されそうな状況である。
進行中の論議で使われている「集団的自衛権の行使」という用語そのものがまやかしで、取り上げられている事例のほとんどが、警察権の行使・外国の軍事組織を守る「他衛権」・UN(安全保障理事会)が実施する集団的安全保障活動への参加といったものである。
警察権の行使は合憲だが、自衛隊は存在自体が違憲なので、PKOであっても参加することはできない。現行憲法下においてUNの集団的安全保障活動に参加するのであれば、それを目的とした専門の組織をつくる他ない。
安倍首相が前面に打ち出した紛争地域からの日本国民の避難については、ある経過のみを切り出して云々するのではなく、現行憲法下でどのような方法と手段を駆使して避難を実現することができるのかというレベルから議論を始めなければならない。
今回の論議で「集団的自衛権」という言葉が使われているのは、自衛隊を米軍の下働きとしてこれまで以上に過酷な場面に投入するようにという米国の要請を覆い隠すためことが目的だと思われる。
(違憲であることを脇に置くと、後方支援であれ軍事行動に参加するかどうかの判断は、時の政府の判断の前に、日米安全保障条約のように条約が前提として存在しなければならない。韓国やフィリピンと相互防衛的条約を締結しているわけではないから、日米安全保障条約で米国が日本の基地を利用することを認めるレベルを超えることはできない。このあたりの問題は別途説明したい)
せっかく“押し付けられた”平和憲法があるのに、米国(世界支配層)の世界戦略に引きずり込まれるかたちで日本人が血を流すのはバカバカしい。
政治家も国民多数派も従米から抜け出せないのなら、米国の下働きとして日本が担う範囲ができるだけ狭くなるよう、ぐだらぐだらとゴマカすしかないのかもしれない。
※ 参考資料
日米安全保障条約(旧)(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約)
1951年9月8日締結:1952年4月28日発効
「 日本国は、本日連合国との平和条約に署名した。日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。
無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。よつて、日本国は平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。
平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。
これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。
アメリカ合衆国は、平和と安全のために、現在、若干の自国軍隊を日本国内及びその附近に維持する意思がある。但し、アメリカ合衆国は、日本国が、攻撃的な脅威となり又は国際連合憲章の目的及び原則に従つて平和と安全を増進すること以外に用いられうべき軍備をもつことを常に避けつつ、直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する。
よつて、両国は、次のとおり協定した。
第一条
平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起された日本国における大規模の内乱及び騒じよう{前3文字強調}を鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。
第二条
第一条に掲げる権利が行使される間は、日本国は、アメリカ合衆国の事前の同意なくして、基地、基地における若しくは基地に関する権利、権力若しくは権能、駐兵若しくは演習の権利又は陸軍、空軍若しくは海軍の通過の権利を第三国に許与しない。
第三条
アメリカ合衆国の軍隊の日本国内及びその附近における配備を規律する条件は、両政府間の行政協定で決定する。
第四条
この条約は、国際連合又はその他による日本区域における国際の平和と安全の維持のため充分な定をする国際連合の措置又はこれに代る個別的若しくは集団的の安全保障措置が効力を生じたと日本国及びアメリカ合衆国の政府が認めた時はいつでも効力を失うものとする。
第五条
この条約は、日本国及びアメリカ合衆国によつて批准されなければならない。この条約は、批准書が両国によつてワシントンで交換された時に効力を生ずる。
以上の証拠として、下名の全権委員は、この条約に署名した。
千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で、日本語及び英語により、本書二通を作成した。
日本国のために
吉田茂
アメリカ合衆国のために
ディーン・アチソン
ジョージ・フォスター・ダレス
アレキサンダー・ワイリー
スタイルス・ブリッジス 」
- ZDCII8JrJYさんへの回答と補足説明 あっしら 2014/6/14 03:57:07
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