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(回答先: 袴田、飯塚...相次ぐ再審請求、なぜ裁判所の判断分かれる?露呈した検察の証拠隠蔽体質 江川紹子 投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 4 月 07 日 21:40:33)
江川さんが言うように証拠の全面的開示や試料の保存義務などを徹底すべきだと思うが、検察が証拠を隠すことで冤罪が生まれるとしたら実に奇妙な話である。
なぜなら、近代法理を踏まえた裁判官が、証拠と証言を論理的に考察するのなら、冤罪が生まれる余地はほとんどないと言えるからである。
(むろん、このような動きは、“真犯人”を無罪にする可能性を高めることでもある。しかし、それこそが憲法や近代法理に即した状況なのである。そのような事態をできるだけ防ぐためには、警察の捜査力を向上させるしかない。“真犯人”が罪を免れないようにすることを優先し、警察の捜査力欠如をでっち上げなどで埋めるような手法を認める裁判が続く限り、冤罪の発生も続くことになる)
静岡地裁で再審が決定した袴田事件も、当時でもそれほど難しいケースではなく、担当裁判官が近代法理を踏まえ証拠と証言を吟味していれば、一審から無罪になっていたケースである。
(一審の担当裁判官はのちに良心に反した判決を書いたことを告白。そのような事件の再審決定に対しても、検察は再審決定に異議を唱え即時抗告した。検察は、“正義”や“国家の威信”の意味を履き違えていると言うほかない)
裁判官が、「推定無罪」や「疑わしきは罰せず」という近代法理に即して審理すれば、検察官が“不利”な証拠を隠したからといって、事実ではない有罪への道が拓けるわけではない。
証拠の扱いに関する大枠の考え方で江川さんに異論はないが、冤罪を生み出す根源的要因は、証拠の非開示ではなく、裁判所の価値観と判断力にある。
冤罪の判決を出す裁判官に悪意がないとしたら、法論理に背いた価値観とレベルがあまりに低い思考力と判断力が問題になる。
裁判官が、捜査を行った警察と検察が被告人を有罪と判断した経緯を偏重し、証拠と証言が被告人の有罪を立証するものと一方的に信じながら審理を行う傾向が続く限り、冤罪が減ることはないだろう。
江川さんは、静岡地裁で再審が決定された袴田事件と較べ、「一方の飯塚事件は、そうした構造になっていない。DNA鑑定以外には、目撃証言に疑問を投げかける心理学者の鑑定書など、争点は非常に限られている。しかもそれぞれがばらばらの争点となっており、有機的なつながりが希薄。裁判所は、弁護側DNA鑑定によって、確定判決が依拠した鑑定の証明力が弱まったとしながら、他の証拠によって証明は十分だとして、請求を退けた」と説明している。
江川さんが飯塚事件をどう見ているか詳細はわからないが、飯塚事件は、一審当時からすでに異論があったDNA鑑定以外、証拠と言えるような証拠はなかった。それにかかわらず、極刑である死刑が判決として出されたのである。
争点が限られているのは、証拠がないと言っていいほど少ないからであり、それらがばらばらで有機的なつながりが希薄なのは、有罪にするだけの証拠ではないことを意味している。
江川さんは、「飯塚事件の場合は捜査段階ですべての試料を使い切っており、最新の技術を使った再鑑定が行えない。そのため、原鑑定で撮影した写真を利用しての鑑定になった」と、証拠試料の保存に問題があるかのようにつないでいるが、飯塚事件の問題はそんな“高尚な話”ではない。
飯塚事件の死刑判決は、DNA鑑定が曖昧であると認められた途端、有罪の根拠が崩れ落ちてしまうほど脆弱な根拠で支えられているものなのである。
「目撃証言に疑問を投げかける心理学者の鑑定書」も、そもそも、目撃者が目撃した“出来事”が事件(女児2名の誘拐・殺人)に関係しているかどうかさえ不明である。
目撃された車とその運転手の存在が確かだとしても、その運転手が女児を連れていたとか女児の遺体を運んでいたといった事実が目撃されたわけではない。
この目撃証言が“意味ありげ”なものとして使われているワケは、翌日夕方になって女児2名の遺体が発見された場所の近くで見かけられた“出来事”ということでしかない。
遺体発見現場近くの“出来事”と言っても、遺体発見から32時間前の真っ昼間の出来事なのである。
そして、判決文のどこにも、女児が失踪して2時間半後に目撃された車とその運転手が事件に関わるような行為をしていたという証言や証拠はとり上げられておらず、そうである可能性さえ語られていない。
目撃された車とその運転手が何をしていたのかさえ不明なのに、判決は、お構いなしで一気に飛躍し、目撃された車が死刑に処された元被告人が所有する車であり、殺した女児の遺体を遺棄するため運んできたと認定しているのである。
目撃証言として詳細はないが、32時間後に遺体が発見される場所の近くで車を停め運転手が外を歩いていたのだから、女児たちの遺体を捨てに来ていたに違いないという思い込みだけで導かれた判断と言えるものである。
誰かが遺体を捨てる場所として選んだことは間違いないのだから、運転手が用を足すのに格好な場所と思って停めた可能性を否定できないであろう。
(このようなレベルの目撃証言でしかないから、仮に、目撃された車が元被告人の車で歩いていた運転手も元被告人であったとしても、元被告人が犯人であるという傍証にさえならない)
わいせつ目的で女児2名の誘拐に成功していながら、移動事件を考慮すると長くても1時間半ほどしか弄ばずに殺してしまい、真っ昼間に遺体を捨てに行ったという構図のほうに“不自然さ”を感じない裁判官の思考力を疑う。
遺体の解剖所見に照らせば、女児2名は、朝食を消化してしまう程度は生きていた(一人は別の食事をとったと思われる)と考えるほうが“自然”と言える事件である。
※ 参照投稿
「31日の「飯塚事件」再審判断で問われる司法の自浄能力:死刑執行後・検察官から裁判官まで存命者多数・時の法務大臣も現役政治」
http://www.asyura2.com/13/nihon31/msg/328.html
「[飯塚事件]事件の経緯さえ未解明のまま死刑判決に踏み出した犯罪的裁判:DNA再鑑定の結果とは無関係で無罪のケース」
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/529.html
「飯塚事件再審棄却の平塚裁判長に問う:DNA鑑定への疑義を認めた今、他の証拠だけで遡って再び元被告に死刑判決を出せるか?と」
http://www.asyura2.com/14/senkyo163/msg/593.html
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