03. 晴れ間 2015年1月14日 06:32:31
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信心深いイスラム教徒は、預言者を描かないでいいのです。 しかしそれを異教徒や無神論者・無宗教者にまで強いる権利はありません。シャルリエブドの表現をヘイトスピーチとみなすか否かは、人次第でしょう。 私はヘイトスピーチ扱いする見方には反対です。 シャルリエブドの表現者には、預言者を風刺(嘲弄?)することで、宗教的蒙昧の中にある人々を解放するという明確な意志を持っている人もいるようです。 それを余計な干渉と、あるいは西洋人の傲慢さと感じる人もいるかもしれません。 しかし、それでよいではないですか。 フランスは、キリスト教(この場合はカトリック)の権威・権力と闘いながら、数度にわたる革命を行い、近代化の道を歩んできたのです。それが「共和国」の伝統です。 中世的キリスト教や宗教的蒙昧との戦い抜きに、フランス革命とそれに続く諸革命、社会変革が成し遂げられることはなかったのです。 「世俗性、非宗教性」とはそういうことです。これはフランスの国是なのです。 フランスという国は、「血」(血統、血筋、血縁)で成り立っているのではなくて、共和政のこの理念で成り立っているのです。だから、異民族も受け入れてきたのです。 プライベートな領域、私生活では、信仰も宗教活動も認められています。ただ、それを公の場でひけらかしたり、異教徒・無宗教者に強いることはするな、ということです。 イスラムが正しいと本当に信じるなら、異教徒から何と言われようと信じていればいいではないですか。異教徒や無信仰者は気の毒だ、と思えばいいのです。 何か言われてカッとする、あるいはムッとするのは、心に揺らぎがあるからです。心底、自信を持っていないからです。 イスラム教徒の中には、自分は神の存在を信じていない、だけれどもそれを人前で口に出して言うことができない、という人が少なからずいます。社会的・宗教的な圧力が強いからです。 表現の自由とは、それを口に出して言うことです。 そんな自由は要らない、と言う人もいるでしょう。食べるものがあれば、それで十分だという人は多いでしょう。しかし、それよりも何よりも「精神の自由」が欲しいという人もいるのです。 私が別の投稿やコメントで書いたように、今回のテロ事件の主要因は、宗教ではありません。「移民の孫たち」(『ユマニテ』の表現)のフランス社会への統合の問題なのです。勉強で落ちこぼれ、職業的な可能性も狭く、社会から排除されていると疎外感を感じた子供たちの一部が、イスラム過激主義に引き寄せられているのです。 フランスは移民国家です。貧困や差別や独裁から逃れてフランスにやってきた人たちとその子孫が国民の相当数を占めています。現在の首相もパリ市長も、外国生まれです。閣僚の中にも植民地系・有色人種系の人が何人もいます。前大統領サルコジも東欧移民の息子でユダヤ人の血も混じっています。 血や民族を問わず、自由や平等という共和国の理念に同意する人を受け入れる国であったからこそ、移民もフランスで受け入れられ、生きてこられたのです。 日本のイスラム研究者は、ポジショントークをしている人が多いのではないでしょうか。本当のこと、思っていることを口に出して言えば、現地に行けないなど、研究に差し障りがあるのではないですか。 それは「学問の自由」ではなく、「食べるため」でしょう。 日本も、宗教的蒙昧が色濃く残っている国です。 宗教政党の存在は、民主主義が正しく機能するのを妨げています。 天皇制の存在は、「人間は平等ではない」ことを日々、暗黙のうちに国民の意識に刷り込んでいます。 でも、それを大っぴらに言うことはできませんよね。 公言できないということは、表現の自由がないのと同じです。
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