01. 2014年11月14日 07:34:37
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「トレンド・ボックス」 生まれ変わった「危険で汚い街」 流行の発信地となったニューヨーク・ブルックリン 2014年11月14日(金) 長野 光 ブルックリンで若者が住みたがるウィリアムズバーグの街並み。露店も含めおしゃれな店が連なる
マンハッタンに隣接するブルックリン。2本の橋でつながっている 9月の内閣改造で石破茂氏が新設の地方創生担当大臣に任命された。地方の創生、地域の活性化が話題となり、様々なアイデアや、過去の実例が語られるが、そのヒントは海外にもある。犯罪の多い街として知られたニューヨークのブルックリンは、流行の発信地へと目覚しい変化を遂げた。 メディアもこぞって特集を組む
ブルックリンはニューヨーク市に5つあるボロウ(行政区)のひとつである。マンハッタン、ブロンクス、クイーンズ、スタテンアイランド、そしてブルックリンだ。 その街並みはマンハッタンとは異なる。ブルックリンにはスカイスクレイパー(高層ビル)はほとんど存在しない。背の低いレンガ造りの建物が連なり、壁には落書きも残されている。かつては工場や廃れた住宅が多く、街は汚く犯罪も多かった。もともと人気のエリアではなかった。 変わり始めたのは15年ほど前からだ。マンハッタン対岸にあるウィリアムズバーグと呼ばれる地域で、閉鎖され、打ち捨てられていた工場スペースにデザインやファッションを手がける小さな企業が続々と入居し始めた。商業の中心地であるマンハッタンに近く、不動産価格も非常に安かったためだ。 中心から少し外れたところに、お金のない野心的なクリエイターが集まるという意味では一昔前のマンハッタンのダウンタウンに相当する場所といえる。こうして、個性豊かな商品やデザインがブルックリンで生み出されるようになった。 商工会議所が作った「ブルックリン・メイド」のロゴ。商品にも印刷できる 今日では、大手小売店がブルックリンで生産された物を販売したり、有名ブランドがブルックリンで作られた商品を真似たりすることも珍しくない。ニューヨークの流行を追いかけるメディアも競うようにブルックリンを特集するようになった。
この流れを後押ししているのがブルックリン商工会議所だ。地域のブランドやお店を支援する商工会議所が今年8月から始めた新たな試みが「ブルックリン・メイド」だ。ブルックリンで生産された製品に商工会議所が認証を与えるという試みである。 「ブルックリンにはネームバリューがある」 「ここ数年ブルックリンは流行の先端をゆく場所になりました。素晴らしい物を作っているデザイナーやブランド、会社がたくさんあります。私たちはブルックリンで何かを作って売っている人たちに光を当て応援したいのです」 こう語るのはブルックリン商工会議所のプレジデントを務めるカルロ・シズラさん。「ブルックリン」には強いネームバリューがあるというのが商工会議所の考えだ。 ブルックリンでモノ作りをしていれば無条件に認証を得られるわけではない。商品の素材にどれぐらい地元の物が使われているか、生産工程のどれぐらいがそこで行われているか、従業員のどれほどがブルックリンに住んでいるかなど、登録するブランドや企業がどれだけ土地に根ざしているか商工会議所が総合的に判断して認証を与えている。 これまでに認証を得た会社やブランドの業種は様々だ。食品や小物や衣類や家具、そして建材の会社から3Dプリンターを開発・販売する会社まで、約30の企業やデザイナーが名を連ねている。 認証を受けた会社は商品にブルックリン・メイドのロゴを付けて販売することや、認証を受けたことを商品や会社のウェブサイト、そして店頭などで表記できる。商工会議所のシズラさんは、消費者が商品を手に取ったときに、それがブルックリンで作られたものであることを知ると、その商品の背景にブルックリンというストーリーを客は想像するはずだと語る。 感性を刺激する独特な雰囲気が魅力 ブルックリンでクッションを作るアレクサンドラ・ファーガソンさん。書かれたメッセージは「お行儀良くしなさい」。ちょっとしたジョークやユーモアのある一文が人気の秘密だ 実際にブルックリン・メイドを掲げる会社を訪れてみた。
「アレクサンドラ・ファーガソン」が扱っているのはクッション。文字をアップリケして短いメッセージの付いたクッションを作っている。自身のウェブサイトで商品を販売し、国内外の小売店でも販売している。日本でも大手百貨店の伊勢丹や輸入家具店のアクタスが商品を取り扱った。 ブルックリンのサンセットパークという大型の工場が連なるエリア、その工場のひとつの6階に広いスペースを借りている。デザインから生産、会社のウェブサイトの管理まですべてここで行っている。 会社を立ち上げたアレクサンドラ・ファーガソンさんは、2009年にニューヨーク市郊外ウェストチェスターの自宅リビングルームで商品を作り始めた。当初はEコマースでの販売のみだったが、次第に売り上げが伸びたことから、2013年7月にブルックリンに活動の拠点を移した。現在6人の従業員を雇っている。平均単価で約100ドルのクッションが年間2万個売れるという。 ファーガソンさんが「ファクトリー」と呼ぶ作業場、すべての作業はここで行われている 彼女の地元であるウェストチェスターは郊外の住宅地。スキルを持った職人を探すことは難しかったため、様々な技能を持つ人が集まるブルックリンを拠点に選んだ。
もっとも、職人を探すだけならほかにも候補地があっただろう。なぜ彼女はブルックリンを選んだのか。重視したのはクリエイティブな感性を刺激するブルックリン独特の雰囲気だという。 「ブルックリンのお店には個性的な商品がたくさんあるし、街を歩けばそういう物を作っている人たちと出会うことも多いんです。『ブルックリン・メイド』はここで物作りをするプライドの証のようなものだと思います」 良質な製品を作る人間が集まり始めた 認証を得るのは新進気鋭のデザイナーばかりではない。 ジョーマート・チョコレートの製品。米国には珍しく甘さは控えめ ジョーマート・チョコレートは1948年からブルックリンでチョコレートを作り続けてきた。マンハッタンから地下鉄で約30分、駅からさらに15分歩いた閑静な住宅地に店を構えるのは3代目経営者のマイケル・ロジャックさん。彼はブルックリンで生まれ育った。店の人気商品は祖父の代から受け継がれてきたマシュマロチョコレートや砕いたアーモンドをまぶしたバタークランチだ。生産はすべて店内で行っている。
そんな彼もここ10年から15年ぐらいの間に、ブルックリンに良質な製品を作る人間が集まり始めたことを肌で感じるという。 ジョーマート・チョコレートを経営するマイケル・ロジャックさん 不動産の価値も大幅に向上
ブルックリンの変化は統計からも明らかだ。 まず治安は大きく改善した。ニューヨーク市警察の統計データでは、1990年代前半と比較すると犯罪の認知件数は80%も低下した。 人が集まるようになったことで不動産の価値は大幅に上がった。ニューヨークの不動産会社、ミラー・サミュエルの統計によると、2004年には42万ドルだった集合住宅の平均価格は2014年には73万ドルになっている。 企業の数も増えている。商工会議所に登録するメンバーの数は2010年には538名だったが、2014年には1915名となった。 治安が改善し、おしゃれな店が増えたことで、観光客が押し寄せるようになった。日本の旅行代理店エイチ・アイ・エスは2011年からブルックリンを観光するツアーを始めた。関係者によると参加者は増えており、ツアーの拡大を考えているという。 また地域の再開発も進んでいる。2010年3月、総工費10億ドルをかけた屋内競技場兼多目的ホール「バークレイズ・センター」が建設された。スポーツや音楽など様々なイベントが行われ、多くの人が集まるようになった。 ブルックリンは大きく様変わりし、危険で汚い街であるという印象は払拭された。 ただ、その一方で、昔ながらの良さをどう守るのかという課題を指摘する人もいる。ジョーマート・チョコレートのロジャックさんは、ブルックリンが注目を集めることに危機感も感じている。 「ある土地の文化や経済が栄えれば、かならず大きな企業が参入してくるでしょう。そうなったときに小さな商売はやっていけなくなるかもしれない。商工会議所はブルックリン・メイドという価値観を掲げることで、小さなお店と大きな企業が上手く共存できるように調整しようとしているのかもしれません」 この数年のブルックリンの発展は小さな企業が集まり、個性とアイデアを主張し合うことで支えられてきた。大企業の進出によって街の個性は失われてしまうのだろうか。 商工会議所のシズラさんに意見を求めてみた。 「ブルックリンはブルックリンです。アイデアとエネルギーに溢れ、個性的であり続けてほしい。私はマンハッタンとは異質の土地柄を大切にしながらブルックリンを発展させたいのです」。彼は力をこめて答えた。 ブルックリン商工会議所のプレジデント、カルロ・シズラさん。彼もブルックリンで生まれ育った
このコラムについて トレンド・ボックス
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