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[永田町インサイド]日朝協議 成果は
小泉政権は首脳会談/福田政権、退陣で白紙 「日本の政権安定を注視」
日本と北朝鮮の外務省局長級による公式協議が3月末、約1年4カ月ぶりに再開した。過去の日朝協議を振り返ると、局長級協議後に頓挫するケースが相次ぐ一方で、初の首脳会談に至り拉致被害者らの帰国に結びついた2002年の例もある。今回の協議の成果は――。
(永沢毅)
■1年前から極秘折衝 02年9月17日、小泉純一郎首相と金正日総書記による初の日朝首脳会談。「電撃訪朝」の舞台裏で極秘折衝は前年秋から始まっていた。米国で同時テロが発生し、米軍がアフガニスタンを攻撃した時期だった。日本側の田中均外務省アジア大洋州局長と日本側が「ミスターX」と呼んだ北朝鮮担当者の協議は中国など第三国で二十数回に及んだ。「ミスターX」は秘密警察組織、国家安全保衛部の幹部との見方もあるが、最後まで誰か明確にならなかった。
中途半端な形で公になれば米国や韓国の反発は避けられない。首相官邸や外務省の上層部は「慎重に、極秘でやれ」「その都度エビデンス(証拠)を持ってこい」と指示。日本側は慎重に瀬踏みしながら協議を前に進めた。田中氏自身、首脳会談の開催で合意した後も、北朝鮮がこれまで否定してきた日本人拉致を本当に認めるかどうか会談当日まで確証はもてなかった。
小泉訪朝は拉致被害者5人を帰国させる成果を生んだ。半面、「8人死亡」という北朝鮮側の情報や、帰国した拉致被害者をいったん北朝鮮に戻すかどうかをめぐり日朝関係が再び悪化。協議は04年まで途絶える。再開後の同年5月の政府間協議で、日本側は平壌に残る被害者家族を出迎えるために小泉首相が再訪朝する案を打診した。北朝鮮が受け入れ、同月に2回目の首脳会談が実現した。
■再調査と制裁緩和を約束 福田康夫政権下の08年6月の局長級協議で、北朝鮮は「拉致問題は解決済み」との従来の主張を翻し、再調査を約束した。8月に再調査委員会の設置や秋までに調査を終えるなどの枠組みが固まった。
北朝鮮が歩み寄りをみせた理由について、当時を知る外交筋は「核施設の無能力化など核問題の取り組みに加え、拉致進展の姿勢を米国に示すために再調査に応じた可能性が高い」と分析する。
福田政権が9月に退陣表明すると、北朝鮮は「新政権の立場を見極める」と再調査の延期を一方的に通告した。直後の10月には米国が北朝鮮のテロ支援国家指定を解除することを決めた。「拉致問題を動かすテコがなくなった」と日本側を失望させた。
■今年に入り協議加速 11年12月に金正日総書記が死去。日朝は野田佳彦政権末期の12年11月に久しぶりに公式協議を再開したが、進展はなかった。この後、次回協議の12月初旬開催で合意した直後、北朝鮮が事実上のミサイル発射を予告したため、政府は協議の延期を決めた。同月の衆院選で自民党が政権に返り咲いたこともあり、交渉は振り出しに戻った。
安倍晋三首相率いる自民党は13年の参院選でも大勝し、政権基盤を強めた。日朝は今年1月にベトナムで秘密協議を開催。3月に2度の赤十字会談・課長級の非公式協議と、局長級の公式協議を開くなどハイペースが続いている。北朝鮮との折衝を経験した元政府高官は「北朝鮮との水面下の協議には大きなリスクが伴う」と話すが、3月末の北朝鮮による中距離弾道ミサイル発射後も、安倍政権の対話に軸足を置く姿勢は変わらない。
北朝鮮関係者はかねてこう語っていた。「交渉できる安定した長期政権を待ち望んでいる。思想が右寄りだとか左寄りだとかは関係ない」
[日経新聞4月13日朝刊P.4]
- 「日朝交渉、常に疑心暗鬼だった」田中均元外務審議官 あっしら 2014/4/14 02:27:52
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