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(回答先: <大災害>鬼怒川で堤防が決壊!街が洪水で壊滅状態!発電所も冠水、救助要請が相次ぐ!取り残される人が多数! 投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 9 月 10 日 17:47:05)
鬼怒川大水害
これは偏った治水政策が招いた「人災」だ!
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45315
常総市は「首都を守る」ために犠牲となった!?
「城下町を守る」ことが最も重要だった
なぜこれほどまでの惨事となってしまったのか。
茨城県常総市で鬼怒川の堤防が決壊し、常総市街地を含め約40キロ平方メートルの地域が浸水の被害を受けた。少なくとも7名の死者を出した悲劇となった。
高杉徹・常総市長は、この惨事について「ソーラーパネルを設置するために堤防を削った。それが大きな理由。つまり人災である」との見解を示した。
また、破堤場所となった三坂町・上三坂地区に避難指示出すのが遅れた点について「まさか破堤するとは思わなかった」と想定外の事態あったことを強調した。
インターネット上では、民主党政権時代の「事業仕分け」で公共工事費が削減され、人工堤防整備が遅れたことに原因を求めるものもあった。
これらの説明、解釈にも一理あるだろう。しかし、環境史・土地開発史・災害史を専門とする筆者の観点は、いささか異なる。
まず、鬼怒川に合流する利根川の「成り立ち」から考える。
関東地方では「坂東太郎」の名で知られる利根川は、江戸時代の初めまでは荒川・隅田川の流路を経て東京湾に流れ込んでいた。それが、茨城県と千葉県の境界を東流し、銚子を終点として海に流れるようになったのはなぜか。
それは、江戸の街を洪水から守るためだった。人工的に「背替え」と呼ばれる流路変更を何度かにわたって実施し、茨城県・千葉県を通り、太平洋に流れるようにしたのである。
そのため、もともと独立した河川であった鬼怒川や小貝川は利根川の支流とされたのだ。ここに、今回の惨事の「源」を見ることができる。利根川の流路を人工的に背替えした栗橋や春日部は、関東盆地の沈降の中心であり、水はけの悪い地域だったのだ。
7400年ほど前の縄文時代には、東京湾から内陸部まで海が広がっており、群馬県館林の茂林寺沼付近まで達していた。そのため、現在の災害予測地図では、埼玉県の春日部などの地域が津波危険地域になっている。
このように江戸時代に「背替え」した河川は、矢作川(愛知県)、大和川(大阪府)、市川、夢前川(兵庫県)、香東川(香川県)、斐伊川(島根県)な ど各地に見られる。ほとんどの場合、城下町を洪水から守るための方策であった。当時は、「中心」を守ることが最も大切だったのだ。
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河川の直線化が、水に弱い地域を生んだ
次に重要なことは、明治維新以降、河川をなるべく直線化し、流域の水を海まで短時間で排水するといった方針が、お雇い技師の指導のもとに推進されたことだ。鬼怒川の場合も、本来は曲流していた河川を、人工堤防で閉め切ることで直線化されたのだ。
しかしこの方策によって、一気に下流に水が集中するという欠点が生まれた。
また、かつての河川を横切って人工堤防が築造されたが、新しい河川からかつての河川に地下水が流れることで、人工堤防が基部から崩れやすいという弱点もあった。
つまり、水の流れを優先することで、水に弱い地域を生んだということだ。
さて、常総市付近の空中写真をみると、明確に用水や道路の形状に旧鬼怒川の河川の様子を残しているところが多々ある。常総市三坂町の用水や道路にもこの様子をみることができる。
他方、現在、地表面下に埋もれている旧河道も多い。モノクロの空中写真でみればそれは明らかで、旧河道が埋もれているところは、土地が低湿のため光を吸収するために暗い色調で写っている。逆に、明るい色調でみえている地域は、土地が高く水はけのよいところである。
三坂町の集落をみると、周辺より50p〜1mほど高く水はけのよい自然堤防と呼ばれるところに大半の住宅が位置している。自然堤防は、砂などが厚く堆積した場所である。さらに水田も広がるため、多少の雨量であれば、この地でそれを食い止めることができる。
これに対して、破堤地点の南に位置する常総市の市街地は、旧河道や後背湿地にも位置しており、潜在的に洪水で水害となる地域である。また、このような地点は、地震の際にも揺れが大きくなり、被害が出やすい。
元来から洪水被害の「危険地帯」であったことは、明らか。「人災」というなら明治維新以降、河川を人工堤防で閉め切り、その周辺に居住空間を拡大していったことにまでさかのぼらなければならないのだ。
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「防災」とはなにか
なお、明治以来の、人工堤防を築き、河川の水をなるべく早く海に排出しようとする考え方は、現在、国土交通省の方針として変更されている。すなわち 「治水緑地」という名の遊水池を設けて、人口密集地域を洪水から守るために、意図的に破堤する場所を決めるようになってきたのである。
巨視的には利根川の背替えも江戸(東京)の洪水対策であるし、微視的には、洪水水量がさほど多くなければ、三坂町の水田に水を一時的に冠水させることで、常総市水街道の市街地を守れた。
しかし、今回は流量があまりに多く、三坂町の水田を犠牲にするだけでは済まなかったのである。このようなことは、東隣の小貝川でもしばしば起きている。
洪水は水が溢れるだけのことで、自然現象としてはなんら珍しいことではない。しかし、そこに人間が住み、生命や財産を失うと「水害」になる。一見、 何の関係もないようにみえる江戸(東京)を洪水から守るための利根川の背替えや、常総市中心市街地の拡大が、今回の鬼怒川の洪水を「水害」にしたのであ る。
水害に弱い地域は、地震にも弱くなる。こうした地域では「震災」の規模が大きくなることも忘れてはいけない。
今回の痛ましい洪水は、われわれに都市づくりについて、そして防災のあり方について、難しい課題を突き付けているのだ。
- 災害の記憶をいまに伝える 日本全国「あぶない地名」 この漢字が入っていたら要注意!(一覧表付き)週刊現代 てんさい(い) 2015/9/15 14:02:54
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