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2021年7月28日 06時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/119747
1964年の東京五輪の開会式を見て、当時の国内の著名作家たちは、さまざまな文章をつづり、記録し、表現した。そして2021年の東京五輪は―。作家の中村文則さん(43)に、23日夜の開会式を見た後で、寄稿してもらった。
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なかむら・ふみのり 作家。1977年、愛知県生まれ。福島大卒。2002年に「銃」で新潮新人賞を受賞しデビュー。05年、「土の中の子供」で芥川賞。20年、中日文化賞。主な著書に「掏摸(スリ)」(大江健三郎賞)「教団X」「逃亡者」など。東京都在住。
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戦時中、一人の女性の死がなければ、僕は生まれていなかった。その女性の婚約者だった僕の祖父は、彼女の妹と結婚することになる。僕の祖母だ。
では僕は、自分の誕生を踏まえ、その女性の死を肯定するべきか。いや、僕は彼女に生きて欲しかった。では自分の命を否定するかというと、それも違う。僕は自分の命を(できれば)肯定したい。
この世界には、時に因果をいったん分けて、それぞれで感じた方がいいことがある。どのような因果をそうすべきかは、場合にもよるだろう。
今回の五輪について考える度、このことが頭に浮かぶ。五輪への態度は人それぞれだが、僕の場合は、開催に反対している。でも同時に、選手達は称えたいと思う。
開催なら、来年に1年をかけ、競技ごとに小出しでやるべきと考える。関係者やマスコミも止めれば、一度に集まる人数を減らせ、管理も容易になる(感染状況次第で有観客も)。でも海外の放映権などの利権で、無理なのだろう。秋の選挙も念頭と疑う報道も多い。
これほどの規模のパンデミックでの五輪・パラリンピックは、人類史上経験がない。どうしても「イチカバチカ」の賭けの要素があり、賭けられているのは国民の命になる。五輪利権のために国民の命を賭ける、史上初の政府を今私達は目の当たりにしている。
選手達は、やり難い。この時期の開催だから、感染し不参加の選手が当然続出しており、既に五輪はフェアでなく失敗している。国民に希望を、の言葉も、社会に補償が行き届いていない今、五輪費用が補償に回った方が人々のためだ。「心を一つにコロナと闘う」も幼稚過ぎる。世界の人々が望むのはコロナの収束で、五輪は真逆。選手達と違い、ワクチンも国民に行きわたっていない(僕の地区も予約は停止)。現在の感染者数の急上昇も無関係と思えない。五輪開催なら自粛などばかばかしい、という気運の結果もある。
最悪のタイミングの五輪。長年続いた政治の愚かさの総仕上げの感がある。開会式での選手達は、通常なら祝福する満員の客席に手を振る。でも今回は観客がいない。彼らの多くは会場で明るく振る舞っていたが、手を振る先にあるのはカメラであり、その向こうにいるのは、自分達をどう思っているか不明の人達である。
僕は今でも五輪は中止・延期と考え、同時に内外の選手達の努力の結果を称えるつもりでいる。政治に毒されたスポーツを、自分の中だけでも取り戻したいと願う。この時期の開催に意義をつくっても欺瞞に過ぎない。選手達には自分達の競技に、つまりもうスポーツそのものと向き合ってほしいと思う。出場辞退を望む声はあるが、開催するなら出たいと思うのが選手だし、人間だろう。
既に五輪は失敗と書いたが、そもそも、家族の預金を勝手に全て賭けた父親がその賭けに勝ったとして、父さん凄い! と褒めるのは愚行。国民の命は賭けるものではない。未来のためにも、政府とIOCは一度解体した方がいい。
【関連記事】今必要な 責任ある言葉 『自由思考』 作家・中村文則さん
https://www.tokyo-np.co.jp/article/3691
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