二年半ぶりにここに顔を出します。「六蔵」です。 唐突だとお思いになるかも知れませんが、わたしが何故ここでこの名を使うことにしたのかをお話したいと思います。 匿名にすること自体は便宜的な側面によるもの、もうひとつは特定の人格をここに曝け出さない、という個人的な都合から生じています。 ひとつにそれは内容にのみ注目させる狙いもあると言えるでしょう。このような説明すら便宜的なものと言えるかもしれませんが。 ここに書く内容によってわたし個人に利益やメリットが発生する事は当然ありません。SNSもやっておりませんので。よってここに顔を出すことには一定のリスクに似た緊張感と嫌悪感を感じることになっています。 わたしの中の歪んだ情熱がひどく揺さぶられる事になればそれは病気に近いものに思う事となります。もはやわたしは僅かも自分の心に自身が望まぬ事を赦したいとは思っておりません。それを自ら修復しようと思えば、それそのものから離れるという選択肢が最も効果的に思えます。自愛のための絵画を描く事に意味を見出せない、というようなことです。 そういいながらここに匿名で何かを書き残す理由について、きちんと説明を試みるとするなら、それはひとえにわたしが何者であるかの答えを自分の中に持ち、知っている人々へ向けて、そのことによる勝利を伝えたいという想いからです。俗人には私の言っている事は理解しかねる事かと思います。 いまここにわたしの精神の高揚が伺えます。わたしと密に関係を持つ人々との距離を空ける事に関して、わたしはこれ以上素直に気がすすまないでいるということです。わたしは常に自分と良く似た人々の事を思ってきました。しかしそれらの心は今晴れやかに華やいでいる事と思います。いまその修繕、および回復に向けて舵取りしようとしているわたしがいます。 泉を塞き止めるがごとく無意味なことを人々はしない筈です。しかしこれまでそうしてきたのです。 わたしは個人における意識の力の解放のことを言っています。 意識の方向性に注意を払って下さい。泉の水がただしく中心に流れて、そして流れて行くように、繋げ、通し、流して行く。 前に、ただ前に意識を流そうとするだけで良いのです。それには無私が良い。明るく、明らかに、朗々と、強く推し出して行く。 わたしは人々との関係を邂逅という距離感に迄引き上げたいとの思いが何処かにずっとくすぶっていました。しかしながらそれは個人的な願望の成就のためではないということになります。それはただ普通の事でしかありません。 わたし個人の命が閉じても、そのことの成就がわたしにとっての勝利です。深い充足感とともにわたしは生き続けるでしょう。だからわたしはいまもなおこうして声を挙げています。人類の変革こそわたしのたっての願いでした。それはいまわたしの個人的な視野の中で叶おうとしています。 次になぜこの固有名詞である「個人名」を選んだのかについて話させていただきます。 この「思い入れのない名前」は一瞬で決まりました。 それは便宜上、匿名を必要としたその日に夢に現れた名前でした。その名を夢でわたしが口にしていたのです。 「○○(忘失)の六蔵親分の名を借りて、この辺りで商売をさせてもらってる底辺の人間でございます」 そう、衆前でわたしが啖呵をきっておりました。まるでフーテンの寅さんのように。リアルでそのような人格がわたしに舞い降りた事はありません。わたしは自分の夢にいつも驚かされています。 それまでの人生で一切関わりのないその名前が自分の口から出たことに驚くなというほうが無理というもの。わたしは躊躇せずその名前を使おうと決めました。わたしの人格を投影しない名前として。 わたしにはどなたかの言う「本当の計画」なるものが何かは分かりませんが、結果そこから2年以上、ここに顔を出す事を控えることとなってしまいました。 その経緯について軽くお話ししましょう。 実際は何度もここにその事について話そうと機会をうかがい続けたのですが、挫折するかのようになんどとなくそれを繰り返すのみでした。そうして途中から躊躇なくここに顔を出さないということをようやく決めたのです。 わたしは2年前の9月に入ってすぐ、ちょうど政権がA→Sに引き継がれる瞬間に、「大いなるプラン」という言葉と出会いました。 すなわちAが失職した流れでS政権に切り替わるというタイミングで夢を見たことになります。9/1か2日。 夢でわたしは新政権発足後すぐの様子を俯瞰して眺めていました。ビジョンは官邸の中でした。斜め上から見ていたのです。 そこで「大いなるプラン」という言葉が突如脳裏に飛来し、その瞬間目覚めました。言葉は聞こえたのか文字として浮かんだのかはっきりとしていません。 ただ「大いなるプラン」という言葉と映像だけを夢から持ち帰ったのです。 なぜその事をここですぐに話さなかったか。 話してどうなるものか想像もつきませんでしたが、しばらく躊躇い続けました。3か月ほどそうして再度筆をとろうとした時、わたしが口を閉ざすことを決める決定的な出来事がありました。詳細は控えますので察していただけると幸いです。 また、それを言っていたとしてどうかなっていたとも思えません。わたしは逆に自分がここで何か口を開くことに対してただ立場を危うくしていたに過ぎなかったでしょう。だから控えて様子を見る事にしたのです。 その時、わたしはこう力なく口ずさんだことを覚えています。 「わたしこそマイノリティの中のマイノリティ」よほどがっかりしたという事です。 では何故今ごろその事を話すのか。 それはわたしもまた傍観者の一人であることを証明するためです。わたしもまた何も解っていないからです。 よってなにかしらわたしがここで人と違った事を言っても真に受ける必要も無く、ただ考え、わからなければ聞き流してくれれば良いと言うだけです。これからここで何かわたしが言ったとして、そこに何かを期待するのは間違いだということを理解して欲しいのです。またそうさせたくないということを理解して欲しく思います。 ただし言える事はわたしは善良で澄んだ人の心を持つものの幾許かの手助けにもなれば倖いで、少しでも考えるヒントとなり、その人の力になれれば、というだけです。 また、わたしがこうして何らかのメッセージを発する事で何か意識的な領界で繋がるものが居ると感じても居ます。 メッセージをキャッチしたものが他にもいると確認しています。 もうすぐ立春。そこで23に切り替わります。まだ22は越えていません。 ひとつはタロットをモチーフとした計画の成就。22という物理的世界にかけられた逃れられない魔法陣を越えて行くという意味に捉えています。 「大いなるプラン」とはDSが口裏合わせて行なうとするグレートリセットの類いではないと理解しています。信じられないものは無理に信じる必要も無く、信じないからと言って負の影響を与えるものとも考えません。 「神機妙算」 神の謀りごとです。これらは人類に与えられた壮大なテーマでありドラマです。わたしたちは役者で、魂が本体です。身体は舞台を演じるためのキャスト=乗り物でしかありません。 話は変わりますがわたしの家族が正月、おみくじをひいたそうです。 そこに"人では到底計りかねる神が考えるような巧妙な謀りごとをして神を喜ばせよ"と書いてありました。 その家族は昨年初秋、突如思い立ってある場所に行くためにノープランで列車に飛びのりました。 13:13発 13号車の13番座席のチケットを駅員から渡されて。 わたしたち家族はともに風の時代の星座の生まれで、過去40年に渡って辛酸を舐めることを強いられる人生でした。わたしに至っては最近迄人生をいつでも終えることができる準備をしてただじっと時を過ごしておりました。 それはわたしには呪い、或いは刑期として認識されてきました。とても修行といった体の良い事は言えないものです。わたしの身体は蝕まれる一方でした。人並みに頑張ろうと懸命に何かをしても成就せず、むしろ動けなくなって行く、そんな半生でした。 一時普通の人々の暮らしを真似ることはできても長く続かないものでした。しかしそのおかげでわたしはある種守られてきたと言うこともできるのでしょう。 それが不思議な事にすでに3年前となるB政権誕生の日、冬の正月あけ、ちょうどいまのこの時期、こたつに寝ていたわたしの頭にひと鳴りの鈴の音がして目が覚め、その瞬間なにかよい知らせが舞い込んできたような気がして、起き上がると不思議と直感で「何か呪いが解け始める気がする」と感じたのでした。あのWDCとバチカンの停電と銃声が聞こえたあの年です。 そして昨年11月2日、山が動く夢を見ました。 不動だったものが動いた、とする夢です。まるで自動ドアのようにすんなりとスライドして道が開かれたようなビジョンでした。 そんなこともいずれ色々またここに書きたいと思っています。 希望の灯を消さぬよう、明るく、無私で、座して前向きにあれ
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