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占領期、連合国軍総司令部(GHQ)の仕掛けによる「人口戦」に敗れた日本に訪れたのは、人工妊娠中絶ブームだった。その勢いはすさまじく、出生数激減に反比例するように増え続けた。
中絶の届け出件数は昭和24(1949)年の10万1601件が、翌年には32万150件と3倍増となり、28年には100万件を突破した。「民族の滅亡」という政府首脳の懸念をよそに、多くの国民は産児制限に強い関心と期待を寄せていたのである。
当時の中絶数と出生数を足し算すると興味深い数値になる。第1次ベビーブームの最終年となった24年の279万8239に対し、28年は290万を超え、むしろ増えていたのだ。
歴史に「もしも」はないが、爆発的な中絶ブームがなければベビーブームはもっと長く続き、現在の少子社会はかなり違った様子となったことであろう。
https://www.sankei.com/premium/news/160208/prm1602080016-n1.html
吉田茂内閣が24年に産児制限を受け入れて以降、終戦直後のように産児制限を「民族の滅亡」と懸念した声は次第に聞かれなくなり、むしろ政府は国民の要望に応えようと、普及に大きくかじを切った。
優生保護法の再改正(27年)で受胎調節実地指導員制度が発足すると、優生保護相談所を中心に各地で宣伝普及活動が進められた。
産児制限はやがて「家族計画」と言い換えられ、GHQによって始められた生活改善運動に乗って地域ぐるみの取り組みに発展していった。家族計画は、受胎調節の技術指導を行うだけでなく、生活水準の向上や母体保護の知識普及、子供の教育など幅広い意味の中で使われたのである。
https://www.sankei.com/premium/news/160208/prm1602080016-n2.html
「政府としてはこれまでは母体保護の見地から指導してきたが、今後は人口抑制の見地に立ってさらに強力に普及推進したい」
吉田内閣の草葉隆圓厚相は29年10月5日、厚生省の会議で日本政府が産児制限を人口抑制策として推進する方針を明確に打ち出した。それは、GHQが日本人の手で行ったことにしようと腐心した「人口抑制策としての産児制限」という目的を、日本政府が受け入れたことを意味した。
産児制限を取り上げた『昭和33年版厚生白書』は、「われわれが健康にして文化的な生活を営むためには、自らの手で家族設計すなわち適当な家族構成を考えて行くことが必要となる」と記している。「単に子供の数を減らすということではなく、現在と将来を考え、適当な時期に適当な数の子供を生む自主的な計画をいうのであるが、このような家族計画を実施するための手段が受胎調節なのである」との説明だ。
https://www.sankei.com/premium/news/160208/prm1602080016-n3.html
厚生白書がわざわざこのような記載をしたのは、当時の日本人に避妊知識が十分に浸透しておらず、産児制限とは人工妊娠中絶のことであると誤解している人が多かったためだ。
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政府は、避妊知識をどう国民に普及させていけばよいか頭を悩ませていた。そこで考え出されたのが、国立公衆衛生院による「計画出産モデル村」事業だった。“子宝思想”が根強く残っていた農村部を通じて、日本人に適した避妊方法を探し、中絶をどれくらい減らせられるかを調査しようという試みだ。
専門家が頻繁に現地に出向いて、地元の保健師などと連携して計画出産と受胎調節の指導を行った。この事業は25年から7年間にわたって続けられた。
https://www.sankei.com/premium/news/160208/prm1602080016-n4.html
企業にも広がり、厚生省人口問題研究会の関与のもと保健師らが従業員の妻を集めて指導を行った。企業側には、計画出産によって家庭の負担が減れば夫が仕事に専念できて生産性は向上し、医療費や家族手当などの負担軽減になるとの思惑があった。
社員や妻の抵抗感を和らげるため、受胎調節の指導は「新生活運動」と呼ばれ、栄養料理の作り方や洋裁・編み物、家計簿の付け方、電気器具の取り扱い、美容体操や子供のしつけなど多彩な講習会とセットで実施された。講師派遣型のカルチャーセンターといったところだ。多面的に家庭生活を近代化する取り組みとしたのである。
これらの動きを見ると、戦前の「産めよ殖やせよ」から一転して、まさに国を挙げて「産むな殖やすな」という“少子化推進運動”を展開した印象である。
https://www.sankei.com/premium/news/160208/prm1602080016-n5.html
32年には10人の子供が生まれてくる間に7人の胎児は中絶されるという異常事態となった。これには、政府も動揺を隠せなかったが、「出産はコントロールできるもの」であることを知った国民の価値観を変えることはできなかった。 (論説委員 河合雅司)
https://www.sankei.com/premium/news/160208/prm1602080016-n6.html
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