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男性にとっても、女性にとっても異性とは気になる存在である。
女性はアクセサリーや服装にお金を掛けて美しくオシャレをして男性の気を惹こうとするし、男性も女性にいいところを見せようと格好をつけてデートで奮発したり、贈り物をしたりする。好きな人ができれば眠れぬ夜を過ごさなければならないし、失恋すれば、何日も落ち込まなければならない。
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それもこれも、男と女という存在があるからなのだ。
男と女は謎に満ちている。
それは、「男心や女心がわからない」とか「恋は異なものなど」という意味ではない。
そもそも、どうして、この世の中に男と女はいるのだろうか。
動物にも鳥にも虫にもオスとメスとがある。植物にだって雄しべと雌しべがある。
しかし考えてみれば、オスとメスとがあるのは、けっして当たり前のことではない。
どうして、生物にはオスとメスという性があるのだろう。
バラエティに富んだ子孫を産むために
38億年前に思いを馳せてみよう。
それは地球に生命が誕生した頃である。その頃、誕生した単細胞生物には、雌雄の区別はなかった。単純に細胞分裂をして増えていたのである。オスとメスとがいるのは、子孫を残すためだと思うかも知れないが、別にオスとメスとがなくても、子孫を残すことはできるのだ。
細胞分裂をして増殖していくということは、元の個体と同じ性質を持つコピーを作り続けていくことになる。つまり、すべての個体が同じ性質であるということは、どんなに増えても弱点は同じということになってしまう。そのため、もし環境が変化してしまうと、個体が全滅してしまうということが起こりうるのだ。
一方、色々な性質の個体があれば、環境が変化しても、どれかは生き残ることができる。
そのため、生物が同じ性質の個体が増えていくよりも、性質の異なる個体を増やしていったほうが、生物種として生き残っていくには有利なのである。それでは、どのようにすれば自分とは異なる性質を持つ子孫を増やすことができるのだろうか。
自分の遺伝子だけで子孫を作ろうとすれば、自分と同じか、自分と似たような性質を持つ子孫しか作ることができない。自分と異なる子孫を作ろうと思えば、他者から遺伝子をもらうしかない。つまり、遺伝子を交換すれば良いのである。
しかし、せっかく手間を掛けて交換するのであれば、自分と同じような相手と遺伝子を交換するのは残念である。
たとえば、せっかく異業種交流会に参加しても、自分と同じ業界の人としかしかいなければ名刺交換しなかったとすれば、意義は小さい。それならば、業界ごとにグループを作り、見た目でグループが違うようにしたらどうだろう。そうすれば、効率よく異業種の人を選んで名刺交換ができることだろう。
オスとメスという二つのグループも、同じしくみである。異業種交流が新しい世界を生むように、オスとメスとが遺伝子を交換することによってバラエティに富んだ子孫が産まれるのだ。
それならば、オスとメスだけでなく、いくつもグループを作った方が良いような気もするが、グループが多すぎると組み合わせが多すぎて、結局、うまく子孫を残せないグループができてしまう。
結果的には、二つのグループで交流する方がもっとも効率良く、確実に子孫を残すことができるのである。つまり、オスとメスである。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51454
どうしてオスが必要なのか?
しかし、不思議である。
もし、すべての個体がメスであれば、ペアになったどちらもが子孫を残すことができる。つまり、子孫の数は倍になるのだ。それなのに、どうして子どもを産むことができないオスという存在があるのだろうか。
じつは「どうしてオスが必要なのか?」というあまりに素朴な問いに対する明確な答えは、残念ながら出ていない。それでもしかし、世の中には「オス」が存在している。
きっと、オスは確かな存在価値を持って存在しているはずである。男性の皆さんは、せめて、そう思うしかないだろう。
生物に二つのグループが作られたとき、最初からオスの個体とメスの個体とが作られたわけではない。もともと生物に作られたのは、生殖細胞としてのオスの配偶子とメスの配偶子である。
配偶子は大きい方が栄養分を豊富に持つことができるから、生存に有利である。そのため、大きい配偶子は人気がある。大きい配偶子とペアになることができれば生存できる可能性が高まるからだ。
ただし、大きければ大きいほど良いというわけではない。配偶子が大きくなると、移動しにくくなってしまうのだ。遺伝子を交換して、子孫を残すためには、配偶子同士が出会わなければならないから、これでは都合が悪い。
もっとも、人気のある大きな配偶子は、他の配偶子の方から寄ってくるから、そんなに動く必要はない。それでは、大きさに劣る配偶子はどうすれば良いだろうか。
ただ、待っているだけでは、人気のない配偶子はペアになれないから、自らが動いて、他の配偶子のところに行かなければならなくなる。移動するためには、大きな体よりも小さな体の方が有利だ。そこで、一方の配偶子は逆に体を小さくして移動能力を高めた。
こうして大きな配偶子は、より大きくなっていくし、小さな配偶子は、より小さくなっていく。こうして体の大きいメスの配偶子と体の小さいオスの配偶子が生まれたのだ。ちょうど卵子と精子のようなものだ。
オスの配偶子が、体を小さくすると、生存率は低くなってしまう。しかし、他の配偶子に負けないように移動しなければ、ペアになることはできないから、オスの配偶子は移動能力を優先して、メスの配偶子の元に遺伝子を持って駆け付けるだけの存在になった。
こうして、遺伝子を運ぶだけのオスの配偶子と、遺伝子を受け取って子孫を残すメスの配偶子という役割分担ができたのである。
やがて、オスの配偶子のみを作る「オス」という個体と、メスの配偶子のみを作る「メス」という個体が発達した。こうして、子孫を産むことのない「オス」という特別な存在が誕生したのである。
どんなに強がって虚勢を張ってみても、生物学的にはオスはメスのために作られた。これは紛れもない真実である。本稿はずっと「男と女」と書いてきたが、本当は「女と男」なのだ。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51454?page=2
すべてはメスのため
生物にとって子孫を残すことがもっとも大切であるとすれば、やはりメスの方が大切である。メスは子孫を残すために莫大なエネルギーを必要とする。
これに対して、オスが繁殖に必要とするエネルギーは、メスに比べるとずっと少ない。そのため、オスは余ったエネルギーを使って、メスをサポートするようになったのである。
たとえば、オスは外敵と戦ってメスを守り、メスが安心して子孫を残せるようにする。あるいは、オス同士が戦い合うこともある。しかし、これも、強いオスを選ぶメスの手間を省いているのだ。メスは子孫を残すために、コストのかかる作業をすべてオスに任せているのである。
単独で子孫を残すことのできないオスは切ない。
クジャクのように必死にメスにアピールするものもいれば、シカのオスのようにメスを巡って争い合うものもいる。ハーレムを作るゾウアザラシは、うらやましく思うかも知れないが、ハーレムを守るために神経をすり減らし、寿命が短くなってしまうというから切ない。
これもそれも、すべてはメスのためなのだ。
男と女というのは、時間もコストも掛かる面倒くさいシステムである。しかし、男と女は生物の進化が創り出した発明だ。そして、男と女は、多様性ある子孫の残すためのものだった。それは、言いかえれば個性ある子孫と言っていい。
そうして苦労して手に入れた個性なのに、人間は、型にはめようとしたり、成績で比べようとしたり、と個性を失くそうと懸命なのが面白い。
世の中に男と女がいる。そして、さまざまな個性がある。本当はそれだけで、十分に楽しく豊かなことなのである。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51454?page=3
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