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2018年7月7日午後4時頃、県市4丁目、F1マート近くの4交差点付近、号線において、中学生らしき自転車集団グループに遭遇した。人数は15人ぐらいだった。その連中は白い合羽を着ていて、白いヘルメットを着用していた。その集団は北の市役所方面に向かっており、歩道を走行していた。私は反対側の歩道を逆に南に向かって走行していた。その連中の一部が私に対して嘲笑し、からかい、侮辱してきた。私はどうすることもできずにただ黙ってその場を離れるしかなかった。この日は雨が降り続いていた。実は私は自転車が故障し、修理のために自転車店に行った帰りだった。この中学生グループがどこの学校の生徒かわからない。この日は土曜日なので、学校はないはずだ。おそらく部活動か何かの帰りなのだろう。本当は家でゆっくり休みたいのに、先生の命令で嫌々ながら部活動に参加を強要され、それで強い不満があったのかもしれない。しかし、通りすがりの通行人に対してそういうことで当たり散らすのはやめてほしい。反抗期なのかもしれないが、それはどういうことなのかわからない。学校のいじめもかなりひどいのかもしれない。学級崩壊状態なのか、それともかなり不良がはびこっているのかそれとも家庭が崩壊しているのかもしれない。ただわかってほしいのは、そういうものを見知らぬ他人にぶつけても何の解決にもならないということだ。それにそういうやり方では誰も協力できない。それから、そういう行為を続けているのは良くない。親か教師か親戚か、友達か誰かにきちんと相談をするべきだ。自転車走行中は危険がともなう。しかも集団で群れていると危ない。その上さらに雨が降っており、さらには挑発行為までやっている。これはもうどうしようもない。県において、少年3人が原付バイクで暴走行為をして死傷事故になった。実は市でもこれと似たようなことは起きている。3人乗りはさすがに少ないが、2人乗りは多い。夜間に多く、高校生や中学生でもそういうことをする連中はいる。バイクと自転車は違うが、どうしても仲間がいると気が大きくなってしまう。自分は何でもできると思い込んでしまうのだ。このように、いじめというものは頼んでもいないのにやってくる。いじめは全世界で発生している現象だが、まぎれもなくこれは階層社会の悪影響によるものだ。特に日本のいじめというものは悪質で、かなり陰湿である。いうまでもなく、どんな国の政府でもいじめ問題などに取り組む意思はまったくない。なぜならばいじめこそが民衆を操り、大衆を操作し、権力に服従させる唯一の手段であるからだ。これが独裁主義国家であると、あからさまに国家権力に服従させるのだが、一応は建前として民主主義国家という形式をとっている限りにおいてはそれができない。それでいじめという卑劣な手段により、権力を高めようとしている。権力者側に取り、一般人の権利とかそんなものは守る気などない。権力者の望みは、絶対服従のみだ。そして自分達に都合の悪いことはすべて隠蔽するし、またあらゆる人間を完全支配しようとする。自由などを認める気はない。権力者側に取り、自由とか権利とか民主主義とかそんなものは邪魔なものでしかない。しかし、それをあからさまにやってしまうと、やはり反発を受けるので、低層階の醜い争いという形にして、いじめを助長しているのだ。いかなる組織も学校も職場もいじめ中心に動いており、いじめ問題などに取り組む気はない。もしもいじめを解決してしまったり、いじめのない組織にしてしまうと、まったく制御不能となってしまう。実際はそんなことはないのだが、権力者側はそこまで信用はできないのだ。あくまでも自分達の地位を死守することが優先であり、それを脅かすいかなるものも放置しない。日本社会の限界というのは、表面的にはおもてなしの精神があるものの、こういういじめが蔓延し、陰湿性があるので、内部対立により滅びる。またマスコミも完全に政府にコントロールされており、マスコミとしての機能も果たしていない。日本のマスコミは全世界のどこでも信用されておらず、ただの政府の宣伝公機関にすぎないとしている。確かにそれは否定できない。どうしていじめがはびこるのかというと、いじめを研究分析すればするほど、社会体制組織全体の圧力というべきものが深く関わっていることが判明してくる。いじめ常習犯の加害者はそれなりにいろいろ考えており、自分らの安全が守られるように工夫している。まず証拠を残さない。自分に味方する証言者の仲間を確保している。親が社会的に地位の高い権力者であることが多い。一筋縄ではいかない。いじめが効力を発揮するのは、いじめ問題に取り組めば取り組むほど、加害者よりも被害者に不利になることが多いということだ。そしていじめ集団グループは数多くのいじめ被害者の情報を収集している。そしてどんな弁解でもできるようにしている。いじめとはなかなか表現がしにくいもので、どういう被害なのか明確にしにくい面がある。それに証拠も残らない。だが、いじめを繰り返し、いじめのプロになり、いじめに熟練したいじめ職人のようになっても、何の利益もなく、むしろ損になることが多い。まず、人間性が失われる。心も荒廃してくる。それに結局のところ、自分がやってきた報いも受けねばならない。何よりも自分自身が自分のやってきたことを一番知っているので、もしもまともな道を歩むときになったら、かなり後悔しなければならないだろう。だがほとんどの場合にはそういう気持ちになることもなく、どんどん悪の道を突き進んでしまう。いじめ常習犯になると、もうある程度自動的にいじめをやるようになり、自分で自分が制御できなくなる。そしてやがては今度は自分がいじめを受ける側になる。いじめの悪影響はかなり深刻だ。それはただ被害者の人生を破滅させるだけではない。いじめ加害者の人生も破滅させる。誰も幸福にはならない。ちなみにいじめがはびこる組織の管理者、権力者も破滅させる。表面的にはすべてを隠蔽し、何事もなかったかのようにできるのだが、やがてそれも長続きしない。どうしていじめがこれほどまでに強力な力を発揮するのかというと、人間は社会的な動物だからだ。どんな人でも社会と密接に関係している。その社会が小さなものでも、大きなものでも決して無視できないものだ。孤立して孤独な生活をしているような人でも、いろいろな形で社会とかかわっている。それに社会を完全に無視して生活したとしても、それはそれで困ったことになる。だからいじめ攻撃というのはそういう部分を巧妙に攻撃しているものと言える。いじめは忍術の一部でもありあるいは軍事面での兵法の一種ともいえる。いじめに成功しても、決して幸福になることはなく、もしもいじめが幸せだというのなら、本物の悪魔である。悪魔は人間ではない。人間社会はなかなか理想を現実化できないが、それでもいじめのない社会を目指すべきだ。
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