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ち のはなし ちち(乳)と つづ(唾)
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投稿者 あやみ 日時 2017 年 8 月 30 日 22:02:05: oZZpvrAh64sJM gqCC4oLd
 

つれづればなhttp://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-147.htmlより転載

前号からづづく

人の血液型が今の四種に分かれた経緯とそれが歴史に落とした影、そして食と血液型の間には生死にも関わる問題があることを前号で綴った。さて今号は血液型からは離れ、「血―ち」にひそむ力のあれやこれやを、やまとことばに問いかけながら書いてみたい。

競馬がお好きな方なら「馬は血で走る」という言葉をご存知であろう。瞬発力、持久力、闘争心、駿馬たる技量は親から譲り受けるもので躾よりも血が勝ることを説いている。また人の子が集中力や忍耐力、注意力を親から受け継ぎ生活に生かすことができればそれも「親譲り」である。逆に酒や博打に溺れやすいといった悪い癖までも譲られてしまう。しかし人は大脳の可能性が他の生き物より格段に大きいため生まれた後の経験次第で親から譲られなくても様々な技能と欠点を身に纏うことができ、これを「氏より育ち」などのことばでよく喩える。
しかし「血は争えぬ」ということばもある。この相反する二者はともにわれらが先祖の残したことばであり、その間をどう取り持つべきかはわれわれ子孫たちに残された謎かけなのかもしれない。


ちち(乳)のはなし

獣であれ人であれ乳とはそもそも母親が生まれた我が子に飲ませるためにある。生まれたばかりのかぼそい命をこの世に根付かせる奇しき水、「乳―ち」は血からつくられ正に「血―ち」の雫ともいえる。獣であれ人であれ何も知らないはずの赤子は母の乳に吸い付くことができ、また時が来ればみな乳離れをする。

かつての日本では子が生まれると乳が十分に出るようになるまでの間、家が裕福であれば乳母(うば、めのと)を頼んだ。そうでなければそれこそ必死で「もらい乳」をしたという。他人に頼み込んででもどうしても母乳を与えたのは知識ではなく経験からにちがいない。赤子は人の乳の他はうけつけられないようにできていたのである。しかし人工栄養の登場によりその経験は過去の習慣として葬られた。母乳がいかに優れた栄養であるかをここで書く必要はないのだが、人という種族の子らにとって唯一無二の栄養が人の乳であること、また人の乳が人の子の役にしか立たないことの理由を大まかに書いておく。

我々の口に入る食品は糖質、脂質、たんぱく質に大きく分けられ、それぞれ別の形で分解、消化される。赤子にとっての乳も然り。

乳の糖質を消化する酵素ラクターゼは哺乳類の生き物には生まれつきその小腸に備わるが成長と共に減少する。人の場合も同じくその酵素は乳離れをする二歳前後を以ってほぼ消滅すると言っていい。B型の人は牧畜民族の血が濃く現れているのでこの酵素には比較的恵まれている。が、やはり成長と共に見放される。母乳・獣乳にかかわらず乳の糖質は乳児のみが消化できる。

乳児の胃腸は通常のたんぱく質を消化するだけの酵素を分泌できない。乳児の腸壁は目の粗い網のようなもので、早くから離乳食を始めると消化処理されていない大きなたんぱく質分子が網目からすり抜け血液に取り込まれてしまう。それは目に見えぬ形でアレルギー体質の基礎を築き、数年後に疾患となって姿を現す。しかし母乳中のたんぱく質ラクトフェリンだけは全く違い、乳児の小腸でわずかに分泌される消化酵素によって容易に分解される。免疫力を高め他のミネラルと結びついてその吸収を助ける効果もある。子が乳離れをして胃腸の働きが成人に近づき胃酸が強力になると酸に弱いラクトフェリンは胃に到達した時点で破壊する。また熱にも弱く、牛乳などに少量(母乳の1/10程度)含まれはするが煮沸消毒をした時点で消えてなくなる。乳児がうけつけられるたんぱく質は母乳のみということになる。

乳の脂質はどう消化されるのだろうか。人の母乳の中には人の胆汁と出会ったときに始めて効力を発し母乳の脂質を分解する酵素(胆汁酸刺激リパーゼ)がある。まさに鍵と鍵穴である。

このからくりがあればこそ人の母は乳を我が子に与えることができるのである。もし人の乳を他の獣の子に与えてもその体とはかみあわない。そして逆に、牛乳という鍵が合うのはおそらくは仔牛であり、少なくとも人の子ではない。

これらは母乳と人の子の間の完全無欠な関係をしめすに十分であるが、これだけでは物質面での重要性に過ぎない。本稿の趣旨はただの母乳礼賛ではない。「乳」を「血」、ひいては「霊」と同属と見なした先祖がその中に見出した力とはもっと別のところにありはしないか、それを考えるものである。

乳母(うば、めのと)、それは一昔前まではごく当たり前の「職業」であった。いまは感染症などが問題視されるために皆無となったが、平安、鎌倉時代の貴人や武士の家に子が生まれると特に才長けた女房を乳母に選び、後に冠位や財産を与えていたことが記録に残る。また乳母たちには子が成人した後も家の運営や政治への発言権が認められたことはその地位の高さを物語る。平家物語には前号にも登場した武人・渡辺綱(わたなべのつな)と乳母の遣り取りが次のように描かれている。

都の人々を脅かした羅生門の鬼は渡辺綱に腕を切り落とされる。その噂を聞きつけた綱の乳母は遠く摂津は渡辺の里から都に上り綱の館を訪れた。どうしても腕を見せてほしい、と懇願する乳母だが、腕は七日の間しかと封印するようにと陰陽師・安倍晴明の固い言いつけがあるためにその願いは聞き入れられぬ旨を伝えれば、綱の恩知らずと地に臥して嘆く乳母に耐えかね、とうとう館に招き入れてしまう。そして唐櫃の注連縄を解き、蓋を開るや乳母の形相は変わり、腕を切られた鬼の本性を晒し腕をつかんで飛び去ったという。
       

これは実話とは言いがたいが、綱の実母を登場させるよりも乳母を選ぶと言う演出、さらに鬼の腕を切るほどの武人すら乳母には頭があがらなかった当時の様子が伝わるものである。

これも民族の経験に基づくものである。乳母を頼むことが習慣と化していたのならば、それは直に日本人はこの時代までに優れた乳母を選ぶことの値打ちを見出し共有していたことを示す。ならば資料に乏しいというだけで乳母の歴史はさらに古い時代に遡ることができてもおかしくない。
単に生まれた子の腹を満たすためであれば体の丈夫な若い母親を乳母に迎えさえすれば済む。しかしそうではなかった。

平安時代も終わり頃、朝廷から東国に遣わされた国司の娘が土地の豪族に攫われてそのまま妻にされたという。そして翌年に姫が生まれたとの知らせが届く。嘆けども後の祀りと、国司はせめて生まれた子のためにと優れた乳母を選び娘のもとへまいらせた。年月は流れ、国司の妻はとうとう堪らず東国を訪れて娘と孫娘を見舞うことにした。都の人々からすれば東国はあらくれ者の棲む偏狭であり、未だ見ぬ孫娘はさぞや粗暴に育ったことだろうと重い心持ちで東へと向かうのであった。そうして見るや、そこには雅なことこの上なき姫君があったという。

しきたり、ことばづかい、箸の上げ下ろしは無論のこと、人として集団の中で生きる心構えまでを教え込むのは産みの親ではなく乳母たちの勤めであった。乳母とは教育係でもある。ここで不思議なのは何故に乳母が躾役を兼ねていたのか、である。いや、乳を飲ませる事と子を躾けることがいったいどう絡むと考えられていたのだろうか。

歴史に名を残した人物の乳母にまつわる話をひも解けばまず家柄が問われ、教養と人柄、公家であれば歌に書に通じ、武家であれば兵法や武芸の心得までが求められた。子が成長した後も乳母とその家族は後見としてあらゆる支援を行った。源頼朝の乳母を勤めた比企尼(ひきのあま)はその顕著な例であり、伊豆に流された頼朝を二十年にわたって助けた比企家は鎌倉挙兵の際には一族を上げて加勢、その後も外戚関係を結びつつ有力御家人としての地位を築いた。
他にも乳母が後に政治に強く関わる例が数多く指摘されている。しかしそこで当然、生母の家族との確執や闘争という弊害を予期することができるがそれでもなお乳母を必要とし子の習慣を守り伝えた。その由は庶民の間に存在した「乳付け―ちつけ」なる風習に見ることができる。

おそらくは戦前まで生きていたこの風習、子が生まれると最初の授乳を乳の出る別の女性に頼むというものである。その乳付け親は幸せに暮らす心根の良い女性であることが求められたという。乳を媒体として乳付け親の人格、運気などの非物質的要素を子に受け継がせることを目的としていた。

民俗学者などにより乳付けは「呪術」的な意味を持つ儀式との解釈が付け加えられているがそれはあくまで科学で証明できないものはすべて呪術か迷信とする稚拙な近代主義的観点からでしかなく、歴史解釈たるものからは程遠い。庶民の次元でなら「縁起をかついだ」という言い方もあり得るかもしれないが、武士や貴族が政治の土台を揺るがす要因を作ってまで行うまじないなどは早々に廃れてしかるべきである。しかし先祖たちが生まれたわが子のため、家のためにと優れた女房を探し出して乳母としたのはやはり相応の成果が認められていたからこそである。乳母たちは乳を与えるだけに終わらずその後もその子の傍に仕え、教養を背景としたその振る舞いやことばの端にやどる見えざる力により子を教化したのでる。これを可能にしたのは乳に違いないであろう、かつて与えた乳という鍵をして才覚の扉を開けることができた。これは理屈ではなく経験である。いや、民族の記憶である。

「血―ち」が親の能力や人となりを子に伝えるのと似た別の構造を「乳―ち」は持ち合わせている、このことはそれを密かに物語る。


つづ(唾)のはなし

乳のはなしの項でも触れた「酵素」、酵素とは栄養素ではなく栄養を分解し代謝するための触媒である。生鮮食品や発酵食品から摂取するほか体内でも生成される。その原料はやはり血で、前号で書いた血液型と消化の話を裏付けるのはこれである。血液型により生成できる酵素の種類とその量に相違があるために起こった問題が、人間史に思いもよらぬ、そして多大な影響を与えたのである。
人の生命活動に関わる酵素は数千から数万種と言われまだ全ては判明していない。酵素は食物から摂取される他に人体のあらゆる体液中に潜在的に存在する。その中でも注目すべきなのは唾液、これはなくてはならない消化液である。

唾液の和語は「唾―つば」でありこれは古語動詞「唾吐く―つばく」の語尾が脱落し名詞化したものである。唾液自体をさしているのはやまとことばの「唾―つ」。「ちち」もそうだが二音重ねて「つづ」とも言った。
「つ」はタ行子音であり、同様にタ行子音の「ち」とは必ずどこかで繋がっている。さてその唾液は何から作られるのか。それはやはり血からである。

もし食事中に水を摂取すると噛まずに飲み下すことができてしまうため咀嚼回数が減り唾液の分泌が激減する。唾液中の消化酵素は胃での消化に大きく寄与するのだが唾液が出ないとなるとその助けを十分に得られない胃はただでさえ苦境に立たされる上、ろくに咀嚼されていない固形食物を水で希釈されてしまった胃液で無理やり消化せざるを得なくなる。消化不良のために便秘や下痢を起こす。咀嚼不足で顎と歯と歯茎が退化する。また脳は咀嚼回数と分泌された唾液の量により満腹を察知するため、唾液が出なければ満腹に気付かず腹の皮が突っ張るまで食べ続けてしまう。消化不良と過食に挟み撃ちにされて肥満する。あるいは胃腸や肝臓を患う。唾液が分泌されなければ口の中の微生物の均衡が崩れ虫歯や口腔疾患を引き起こし噛むことがさらに困難となる。また唾液の分泌に関連した各種ホルモンが覚醒しないため生命活動が滞りもはや体のどこでどのような故障が起こるかは予想もつかなくなる。どうやら食事中に水を飲むと大変な事になるらしい。

唾を吐くのはもちろん、食事中に水を飲むのは行儀が悪いと躾けられた方も少なくないかと思われる。わが国の行儀の躾は他の国々からすれば厳しいほうで、実はこれは体の維持と整備に影で蜜に関わるのであった。唾液を吐いて粗末にするのも水で唾液を堰き止めるのも体を壊すもとであるのを先祖たちはよく知っていた。唾は大事なものである。

ここで冒頭に記した「血は争えぬ」という話に絡め、「世襲」制度なるものに触れてみたい。

世襲などは今では軽視された習慣であり時には非合理とまで批判される。これは「氏より育ち」のほうが近代主義の理念にふさわしいとされるためである。しかしかつては商人が店を継がせる段、跡取りとして選ぶのは当然わが子であった。職人も武士も同様である。しかし男児に恵まれなかったか、あったとしても病弱か技能に欠けている、あるいはとんでもない放蕩者でとても暖簾を譲れないなどの場合は同業者や弟子から養子を迎えた。娘があったならば婿養子として迎えられるので血縁関係は一代先送りでも守られる。しかしそれも叶わぬときは養子縁組が取り持たれた。そこで必ず為されるのが「盃事―さかずきごと」である。 
盃を交わして契りを固めるのは今にも残る古い習慣である。赤の他人どうしを夫婦、親子、兄弟また師弟として結びつけるに不可欠な儀式であり、その目的は両者の関係を血縁に並ぶ強いものとするところにある。今では多少変わってしまったが古くは一つの盃を使い父から子、兄から弟、師から弟子となる者の順、つまり親方が先に口をつけ子方がそのあとを飲み干すのが本来で、また口をつけた箇所を紙で拭いて渡したりもしなかった。ここで焦点となるのはやはり唾液である。

盃の酒はたかだか三くちで飲み干せる量、その盃にたった一度だけつけた口から移る唾液こそほんの微量であるにも関わらず、それが他人を親兄弟の間柄にまで結びつける力があったのか、それともただの呪術まがいの通過儀礼だったのか、精神的な繋がりを持たせるための形式的習慣に過ぎないのか、なのに固めの盃は古くは古事記に著され今日も古典芸能や極道の世界で守られているという事実はまことに興味深い。
                            

近ごろ注目されている唾液遺伝子検査はこの唾液中の白血球細胞を利用して行われる。唾液には微生物や酵素のほかにも数多くの物質が含まれかなりの量の白血球も存在する。
もしやすると盃を介して白血球の遺伝子を「移植」し、人格や能力を遺伝させることができるのだろうか。
それはここでは検証のしようがないので先に続けるとする。

実は筆者の住むトルコにはこれに似ているとは言い難くも彷彿とさせる習慣がある。生まれたばかりの子を地域や親族の尊敬を集める人物のもとに連れて行きその唾を子の口の中に吐き掛けてもらうという、思わず後ずさりしたくなる習慣だが今もしかと残っている。先述の乳母の乳と同様に、信心や教養の深さと優れた人格の継承を期待しての行為である。

話を日本の世襲制度に戻す。我が子に自分の跡を継がせたいとの願い、また末代まで自分の血を残したいとの願いは自然なものであろう。そのために乳付けを試み、乳母を頼み、そして親として与えられる限りの資質を子に与えた筈である。しかし子にその技量が足らなければ家を継がせても傾いてしまう。江戸以降の武家や商家であれば周囲の助けでその運営が適うやもしれないが、職工や芸能の家にそういった余地は微塵もない。「血」は争えぬとは言えど「血」だけではどうにもならず、時として血族の外に後継者を求める必要に迫られた。血を別けた可愛い我が子をして跡を継がせたいという自我を封印し、盃を交わし義の血縁者として育てた弟子に職能を託したのであった。

職人、絵師、楽師、役者、医者その他これらは高等技能が求められる職である。六歳から元服の頃までに師について修行をはじめるのが常である。親方は実子をみずからに弟子入りさせ他の弟子たちと同等に扱う。また甘えを許さないために親子の縁を切ってから弟子にとる、あるいは初めから同業者のもとに弟子入りさせることも多かった。師弟とは親子同然、あるいはそれ以上のものであるとして差し支えない。この「弟子入り」に際して必ず盃を交わし師弟の契りを固める。
もちろん盃を交わしただけでは何も学んだことにはならないのであり、盃が済むと今度は長い長い修行が待っている。研ぐ、描く、打つ、舞う、ただの物理運動を魂に共鳴させるための修行である。いずれ弟子が技量を認められて師から名前を与えられるとき、その後さらに師の名を継ぐにあたり盃事が度々に取り持たれる。師が弟子に懸命に渡そうとしている何かがある。
ここに乳母や乳付け親の「乳―ち」と類似した鍵、「唾―つ」を見つけることができた。いずれも「血―ち」から作られる「霊―ち」の媒体である。

職人に限らず、親の親から受け継ぎ血に刻み込まれた経験と技能がおのれと共に滅びてしまうことが身を切られるよりも辛いことであることは、手に職をお持ちの方であればよくご理解いただけると思う。何としても次世代に、血の中の覚書きを伝えなければ死んでも死に切れぬ、それほど切実であった。唾には本当に遺伝子や記憶を伝達する能力などがあるのだろうか、結果だけ見ればわが国の職工技能の水準は世界一、いや世界に類がない。

今日まで血を介して伝わった技能と魂を遡れば土の器に縄の文様をほどこした先祖たちや日本の土に稲を根付かせた渡来人たちにまで行きつく。あるいは黒曜石を求めて地球を半周し日本に至った熊襲たち、そして弓馬を携え東国のさむらいとなる蝦夷たち、また能狂言に恐ろしくも悲しく謡い描かれた土蜘蛛たちに辿りつく。彼らが国を築いた記憶は我々の血の道に脈打ち今を生きる力となった。「力―ちから」が「血―ち」に、そしてその後ろに控える「霊―ち」に由来することはやまとことばの構造が雄弁に語る。

―「力―ちから」は名詞「血―ち」に原因・理由の所在をあらわす接続助詞「から」が膠着したものである。

「氏より育ち」のほうが近代主義の理念に適うと書いたが、それは一斉教育で均一に生産された若者の甲乙を試験で評価し資本主義社会の各部品として使用するにあたって滅法都合がいいという意味で、それを人権だの機会均等だの小奇麗な言葉でまことしやかに飾り立てわれらの目と耳を欺いているに過ぎないのである。そこで重要なのは生産効率だけで親の血を引く技量などあってもなくてもどうでもいい。つまり、近代とは物質のみに意義を認めるのである。
日本の先祖たちが氏の子であろうと、赤の他人の子であろうと懸命に育てたことはもらい乳や師弟制度という習慣がすでに証を立てている。これこそが「氏より育ち」の示す深い部分であり、世襲制の否定とは無関係である。こうして血は血族だけでなく国という共同体に還元された。され続けた。そして今。

乳母の制度は守られることはなかった。人工栄養の「効率」のほうを重視したためである。さらに近年の「感染症」という脅威は乳母や乳付けの可能性を完全に閉ざしたと言える。親子盃でさえ盃を紙で拭いたり水で濯いだりという馬鹿げたお作法でその意味が枯らされ、先祖たちが交わした盃の意を踏襲しているのは極道の皆さん方のそれのみかと思われる。そもそも乳と唾は感染症から身を守る盾である。さらに言えば感染症の治療法を開発しながら感染症の原因菌を研究室で生産している連中は、ある国に武器を売つつその敵国にも武器を売る者たちの、近代主義の名のもとに日本から全てを奪った者たちの郎党である。日本のこのまま力、「血から」を失い続けていくしかないのだろうか。

やまとことばの音霊に、ほんのひととき身を委ねるだけでよい。それだけで先祖の声を聞くことができる。それだけで、逸れた道をいますこし正すことができよう。  

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