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「右も左も批判する保守」=佐藤健志さんの考えに対する当方の論考です。
佐藤健志 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%81%A5%E5%BF%97
右の売国、左の亡国 Kindle版 佐藤 健志 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/B06WLQ9JPX
稲田防相は自衛隊を暴走させたいらしい=佐藤健志
http://www.mag2.com/p/money/263472
右も左も批判する国家を絶対視する保守論者の考え方の要約は、
「国家は共同体である」
であるらしい。
確かに、現状日本という国家が存在し大きな経済圏を形成しているのは事実だし、その基盤の上でまとまった統治機構は存在しているのも間違いないだろう。
しかし、それをいきなり情念に訴える「共同体」と決めつけることに無理があるし、その無理を通して、何か隠した意図の完遂を狙っていると推測することも極めて容易である。
共同体とは、お互いに顔見知りであり、互いに、あの人(たち)のためなら、無償の労力もいとわないという関係が、重層的にある社会・地域に成立しているものだろう。
お互いに顔見知りであるためには、できれば100人以下、最大でも1000人以下が限度だろう。
これは、人間の記憶力と交際可能な空間的・時間的制約から当然のことである。
つまり、共同体とは、極めて少人数の人々によって構成されるものである、という考えが自然であり、極めてまっとうな立場だろう。
ところが、日本という国は人口約1億人という天文学的な数の人間を成員としており、上記の「共同体」という概念とは決して相容れない集団だ。
それを単に、一つの社会を構成しているから「共同体」である! と強弁しているのが、右も左も批判する「保守」論者だ。
大きな集団=市町村・国、大企業、各種利益団体は、いかにして存在しうるのか。
これは共同体という幻想を否定するなら、2つしかないだろう。
一つは絶対権力による上からの強制。もう一つは、各構成員同士の契約だ。
前者は「全体主義」であり、後者は「個人主義、民主主義」であると言って間違いないだろう。
現状はどうなっているか。共同体という幻想を使った、実質99%全体主義であり、建て前として、1%の民主主義だ。
「右」は、建て前を取っ払って100%全体主義にしろと言っているのであって、極めて正直だ。
「左」は、大規模集団の共同体など幻想であり、インチキだ、理詰めで考えれば、契約社会しかないのであって、契約社会を否定するのは単なるバカである。
右も左も批判する保守は、我々の社会は共同体という幻想を使った、実質99%全体主義であり、建て前として、1%の民主主義であるが、それで良いのであり、共同体という幻想を信じることが最も重要である、という立場だ。現状維持を旨とする保守らしい考えで、鼻をつまんで、よく言えば、清濁合わせ飲む、だ。
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