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ギュレン教団クーデターから一年 ― トルコをめぐる思惑
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/522.html
投稿者 あやみ 日時 2017 年 7 月 14 日 20:44:05: oZZpvrAh64sJM gqCC4oLd
 

つれづればなhttp://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-145.htmlより転載


7月15日、あれから一年。
何事も無かったような日々をおくる中、時おり頭をよぎるのは、神と悪魔の間で揺れ動く弱き人のありさま、そしてこの世の行く末である。

チュニジアに端を発する「アラブの春」が中東を席巻したのが2011年、民主化を要望する民衆運動が蜂起へと発展、退陣を余儀なくされた指導者は亡命か投獄か、処刑という運命をたどった。この一連の動きが欧米の計画および主導による中東国家刷新事業であったことは今さらここに記す必要は無い。そして春が過ぎた中東には今、内戦に喘ぐイエメン、無政府状態となりテロの温床となったリビア、米国直属の軍事政権に独裁されるエジプト、そして屍と塵芥の山と化したシリアがある。
 
トルコにアラブの春が飛び火したのは2013年夏のことだった。
日本では「ゲジ公園プロテスト」と銘打たれ、あたかも民主化を求める市民運動と報道されていたが過度の歪曲があった。当初はイスタンブールの市役所による公園内の樹木伐採を糾弾す集会であった。しかし国内の反政府主義者と野党政党が国中に連動を呼びかけ、政府に反感を抱く若者が合流し各地で同日集会を催し、またそれに共感する一部国民の支持支援を得ての破壊活動――商店やバスに投石し放火、警察に火炎瓶を投げ、モスクに立てこもり飲酒――運動と呼ぶに及ばぬただの乱暴狼藉が行われた。政府にしてみれば相手は頭の悪い学生か幼稚な大人を大多数にもつ一般人であるため武装集団を一掃するようには行動できず、警察の失態も手伝ってその鎮圧に二ヶ月を要した。

これも欧米勢力の入れ知恵とお膳立てによる政府転覆計画であったのは言うまでもない。ゲジ公園で最初の集会が開かれる二日前からかなりの量の外国人記者がトルコに入国しゲジ公園の画像を捉えられるホテルに陣取り、また中継車や機材を借りあさっていた。彼らは未だ起きぬ春の風を周知しており、政権を退陣に追い込んだ後の担保となるよう事実を歪めて世界に知らしめるべく待ち構えていたのである。

この間に海外メディアのみならずニセの写真、ヤラセの動画、ありもしない窮状を訴える市民の声がソーシャルメディアを介して世界中に配信され、トルコが独裁者の弾圧に苛まれる非民主的国家であるという印象焼き付けた。こうして「ゲジ公園―」の目的の半分は達成されるのだが、残りの半分つまり政府を窮地に立たせて失脚させるには至らなかった。「政府への反感」そのものの底が浅いので持久力がないこと、夏休みが終わる頃には学生どもが集会場をさっさと引き上げたこと、なにより、この国には政府に反感を持つ市民も多いが政府を支持する国民がそれ以上に存在することが理由に挙げられる。

しかし去年のクーデターは生ぬるい抗議行動などでは無かった。7月15日深夜、決起した将校たちが軍本部と警察本部を占拠、軍最高指揮官を拘束、同時に国内各地の軍基地の機能が停止した。大都市では戦車隊が出動して市民を制圧、戦闘機が議会ビルを空爆、国営放送局に軍隊が押し入り、局員に銃を突きつけてクーデター成功の宣言を放送させた。、休暇で首都を離れていた大統領のもとにトルコ軍精鋭の特殊工作員が軍用ヘリで差し向けられた。もちろん大統領抹殺がその目的であった。

「ゲジ公園―」を支持した類の人々は両手を上げて喜んだ。事態の重大性が理解できないというか、とにかくお目出度い連中である。年端もいかない子供たちがクーデターを祝うメッセージを共有していたが、このあたりは親か学校教師からの影響であろう。 欧米勢力の思惑を、中東の惨状を知らないわけが無いこの人々はいったい何と何を秤にかけてクーデター支持という結論を導き出すのだろうか、つまりは思い描いたとおりに人生が運ばない人々がその落とし前を政府に求めているに過ぎないのである。この連中をよそに一部の民放は画面からクーデターの阻止を必死に訴え続けた。占拠された軍事警察拠点、市役所、放送局その他を反乱軍から奪取し、空港や病院、サテライト基地などを死守すべしと国民を鼓舞した。多くの国民がこれに呼応する如く国旗を手に市街に溢れ出た。

クーデターの詳細を知らされた大統領は数分後に滞在地をヘリで脱出、飛行機に乗り換えイスタンブールへと向かう。その後もぬけの殻になった部屋は一斉掃射と手榴弾を食らった。大統領が機内から生の画像でテレビに登場すると市街の国民は激しく勇気付けられた。その間、飛行機にF16が接近、しかし燃料が尽きて更なる追跡は断念された。無事に到着し空港で待ち構えていた民衆との邂逅が放送されると反乱軍は意気消沈、将校は部下の士気を高めるためにさらに激しい空爆を指揮し一般市民を襲った。


市民は走る戦車によじ登った。横たわって道を阻んだ。その排気口に靴下やシャツを詰め込んでエンジンを止めた。銃を構える兵士に立ち向かい、欧米に国を売るな、親を泣かすな、非国民として生きるな、後に背徳者として死ぬな、神を畏れろ、と説き続けた。殴られても撃たれても後に引かなかった。

実行犯は一部将校とその命令を遂行した兵士である。しかしその後ろには判事、検事、弁護士、官僚、警官、軍人、教師、大学職員と、思いつく限りの「公務員」、しかも高給取りと言える人種が共謀していた。何故このようなことになったのか。

クーデター加担者の共通項、それはある宗教団体―「ギュレン教団」の名で日本を含む世界各国で活動するイスラム系新興宗教に入信していたことだ。

端的に言えばこの教団は信仰という仮面を被ったテロ組織である。
世俗国家であるトルコといえどイスラームは未だに不可侵の領域といえる。宗教活動は神聖であり信頼の鍵でもある。40年ほど前から政財界や司法界を筆頭に国内外のトルコ人社会でギュレン教団の信者たちの地位が築かれ始めた。その便宜に預かった信者たちは国家公務員となって昇進を果たすか、或いは事業主として政府から多額の援助を受け成功を収めることになる。
そこで信者は教団に喜捨、つまり善意の寄付を行うことになる。たとえば普通の公務員であれば給与の三分の一を、警視や軍将校、判事などの高級職であれば三分の二を教団に寄付する。つまり公務員給与と民間への補助金として計上された国家予算がずるずると教団に吸い取られていたのである。いうなれば国庫の裏に穴を開けて教団の金庫として利用していた。
教団は私立校・大学、学生寮、進学塾をつくり教育支援を行うが、そこでは学生たちに教祖フェトフッラー・ギュレンを慕い敬うよう強制、いや洗脳が行われた。特に警察学校、軍隊付属校ではまだ考える力の無い子供を有事の即戦力となる人材として育成していた。大学入試、公務員試験、役人や軍人の昇進試験の問題を作成する公機関の中に存在した教団関係者は試験問題を盗み信者たちに配布した。彼らは国家のあらゆる部門に食い込み着々と昇進を果たした。

この構造の露呈がなぜこうも遅れたか、
まず盗撮、盗聴、脅迫という手段で信者たちが固く拘束されていたために暴露の可能性が小さかったことがあげられる。次には過去のトルコは政権の交代が激しく、そのたびに管理体制が解体されてしまうため実情があやふやであったこと、さらに教団の影響はマスコミにも及び、世論に上る教団批判が常に掻き消されてその賛美のみがされていたこと、イスラームを嫌う海外世論もこの教団の活動にはかなり好意的に対応していたこともある。

なにより出世ほど甘いものは無かった。特に軍隊と警察では教団に属さなければ出世の見込みは薄かった。場合によっては飲酒も賭博も不倫も許されるというイスラム教には断じて有り得ない宗旨も魅力だったのだろう、脅迫を受けるまでもなく教団に背を向ける者はいなかった。

教団の首領であるフェトフッラー・ギュレンは心臓手術を口実に1999年アメリカへ渡りペンシルバニアに拠点を移している。以降はアメリカの手厚い庇護の下に活動を展開する。

レジェップ・タアイプ・エルドアンが首相に就任したのが2003年、国内外、特に発展途上国へのイスラム教育支援を惜しまぬこの教団と政府との関係は良好だった。政府の保護下(学校その他法人の許認可、補助金の交付)でますます勢いを増した教団だったが、水面下で進められていた計画――国家簒奪計画が察知されるのは時間の問題だった。

エルドアン首相(当時)はその長い政権の中でギュレン教団への対応を転換し教団の一掃を目指した。しかしその頃までには政府内部が教団にとことん蝕まれていたためにそれは困難を極めた。教団関係者を国家反逆罪で逮捕しても警察が証拠不十分として釈放するか、法廷に引き出しても判事と検事がつるんで無罪放免にし、教団に厳しい態度をとる司法官は次々と罷免されてしまう。さらに教団御用メディアが贈収賄、横領、テロ支援、イスラム原理主義化政策などををうそぶいてエルドアン政権を批判し世論を混乱させ、虚偽報道をしたとして規制にのりだせば表現の自由の侵害などと言い出す。海外メディアは喜んでこれを利用し反エルドアン報道を繰り返した。日本で一番喜んだのは田中S氏あたりか。

2012年、全ての進学塾を閉鎖する決定を下した政権に対し、国内各地の地下活動拠点である進学塾に鎖をかけられた教団は過剰に反応、牙を剥いて攻撃を始めた。政権に対する不当な批判で世論が混乱する中で迎えたのが「ゲジ公園プロテスト」である。これを鎮圧する際に失態を重ねて混乱を招いた警察長官(当時)がギュレン教団に属していたことはそれからだいぶ後に発覚した。

一介の新興宗教団体が国家簒奪を企て、あわや成功などという話があり得るのだろうか。たとえばオウム真理教は世間に衝撃と被害を与えはしたが国家が揺らぐことはなかった。結局、ギュレン教団は当初からテロ活動を目的に計画された組織であった。それもただの武装集団ではなく、国家の末端から中枢のあらゆる箇所に浸入し、繁殖し、尋常に振舞いながら発病の機を待つ癌細胞の如く、姦計を以って活動する陰謀集団である。痛みを感じて病に気づいたときにはすでに臓器は壊死し切除するほか術が無い。それで救われるならまだしも、脳にあたる部分―すなわち国家の中枢が冒されたのであればそれは国の脳死であり、外からの援助で首を挿げ替えることはすなわち国家の簒奪を意味する。目的はここにあった。

筋書きはこうである。
大統領を抹殺したクーデター勢力が全権掌握し暫定府政を宣言する。これに抵抗を見せる市民を反政府分子として投獄、クーデターに関与しなかった軍人と警官を離反者として逮捕、さらに国境のすぐ外で活動するPKK,YPG,PYD,IS(DAIS)等テロ集団が一気に国内になだれ込み各地で破壊活動をおこない、どさくさに大統領寄りの政治家や著名人を殺害(抹殺リストが実際に存在した)、暫定政府はこのテロリストたちを制圧してほしいと海外に援助を要請する。そこで軍事同盟国であるアメリカが大手を振って介入、テロリストどもが飼い主の命令でおとなしく引き上げると同時にアメリカの足の裏でも舐める新政府が誕生する。筋書きは、こうだった。

フェトフッラー・ギュレン自身は過去にシゾフレニアで精神病院送りになったことのある男である。自らを「救世主(終末に再降臨するイエス・キリスト)」であると宣言し、「大天使ガブリエルが政党を立ち上げてもそこに投票しない」とほざき、預言者ムハマンドの生涯に難癖をつけるなど宗教家である以前にイスラム教徒には絶対に有り得ない、支離滅裂ともいえる発言を繰り替えすいわば病人で、彼を利用しトルコ政府転覆の大役を与えたのもくどいようだがアメリカである。アメリカは「カリフ」の座をギュレンに報酬として約束した。カリフとはイスラームの庇護者であり神の代理人である。これだけならばカトリックの「法王」に近いがその大きな違いは、カリフ制では政治こそイスラム教義に則るべしという解釈から教分離主義をとらず、カリフたるものは宗教指導者にして政治指導者であり、その影響は国境を越えて全イスラム界に及ぶ。歴史上最後のカリフはオスマン帝国最後の皇帝であり第一次大戦後に帝国が崩壊して退位を余儀なくされた後はカリフの座は空のままだった。カリフ制再興を求める声は世界のムスリムの間に今も強い。

政教分離を否定するカリフ制などをアメリカが援護することはじつに理解に苦しむところではある。しかしここで「腐ったカリフ」をイスラム界全体に押し付けるとどうなるか、考えてみると実に興味深い。

教団結成からクーデターに至るまでの調査・研究・準備はCIAによる。
気違いではあるが一応は導師であり、ある種のカリスマ性を備えたギュレンを起用し教団を結成、そしてCIAは組織拡大のためのすべての指導を行った。学生洗脳、茶話会を介した一般信者獲得、盗聴や脅迫という手段、国家機関への浸入、こうした技術すべてを習得する一方、ギュレンはバチカンと接触していた。

ヨハネ・パウロ二世の時代、ギュレンはバチカンを訪れある重要な会議(Pontifical Council for Interreleigious Dialogue−法王庁宗派間対話評議会1998)に名を連ねた。元来キリスト教の各宗派の代表が集まるこの会議にギュレンはあろうことか全イスラム教徒の代表として参加している。全イスラム教徒を代表する組織(たとえばオスマントルコ帝国)もその代表も存在しない今、新興宗教の一教祖でしかないこの男をまるでカリフのような肩書きでカトリックの総本山に招待していたのである。ギュレンの訪バチカンはイスラム諸国はおろかトルコの宗教省ですら報告を受けていなかった。つまりこれは甚だしい越権行為である。ギュレンが会議に携えた法王宛ての手紙には「伝道活動の一部を担いたい」とはっきり書かれている。その十数日後に法王は新しく20人の枢機卿を任命するがその中の二人の名前が公表されておらず、ここでギュレンはこの「秘密枢機卿−in pectore(=胸中)」の役を授かったとしてほぼ間違いない。つまりバチカンはイスラームのキリスト教傾倒を目論んでいた。イスラームの強靭さの根源である信仰そのものに矛盾を加えて内的崩壊に追いやることを意味する。十字軍がことごとく追い散らされた過去、コンスタンティノポリスを陥された過去、イスラム教徒に煮え湯を飲まされた過去への復讐である。

筋書きはこうである。
CIAとの密約でバチカンはギュレンを全イスラム社会の代表者に任命、さらに秘密枢機卿としてキリスト教伝道の任務を極秘に与えた。トルコ国家の全権がギュレン教団、いやアメリカの手に堕ちた時、隠れ枢機卿にまで成り下がったこの腐ったカリフをイスラム世界の頂点に据える。ギュレンはカリフの立場からこれまでのイスラム教儀解釈の揚げ足を取り珍妙な新解釈をひねりだし、十字軍遠征に正当性を与え、コンスタンティノポリス(現イスタンブール)をキリスト教徒に返還すると唱えだす。また飲酒や自由恋愛、利息利益を解禁、逆に断食・礼拝・巡礼といった義務からの解放など徹底的に世俗化を進めてイスラームの背骨を抜く。一方でトルコからカリフが選ばれることに不服なサウジアラビアやイランがおとなしくしている訳も無く、ロシアがこれに便乗して小競り合いがはじまり、ゆくゆくはアメリカに忠誠を誓ったアラブ諸国を巻き込んでの中東紛争に発展、武器商人たちは少なくとも百年は飯が食えることになる。荒唐無稽にすら思える酷い筋書きであるが、事実なので仕方が無い。

アメリカという国は利用価値の無い人間に餌を与えはしない。クーデターの失敗後、ギュレンの口を封じるだけなら注射一本で始末してロシアがやったと言えば済む話だのに、トルコ政府からのしつこいまでの返還要請に生返事をしながらギュレンをいまだペンシルバニアで飼い続けている。つまり、アメリカは今一度クーデターそを企てている。

古い話になる。
11世紀も終盤、急速に版図を広げコンスタンティノポリスの縁まで迫るトルコ人に眠りを侵されるビザンス皇帝は、窮してローマ教皇に助けを求める。カトリックたるローマ教皇は東方正教会に属するビザンス帝国を蔑み、本来ならば相手になどしない。しかし貧困と疫病に喘ぐカトリック諸国にとりイスラム教徒に抱く脅威たるや東方に引けをとらず、憂いの中で神に救済を求める教皇ウルバヌス2世はついにあることを思いついた。宗派の分かれたキリスト教徒を結束させて兵を集め、イスラム教徒を追い散らし、掠奪し、ビザンス帝国もエルサレムもすべてカトリック教会の手中に―彼らはこれを「天啓」と呼ぶ。

ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラームの共通の「聖地」エルサレム。当時この地はファーティマ朝ムスリムの領土であったが、ユダヤ教徒、キリスト教徒、そしてムスリムが共存する安泰かつ豊かな都市として栄え、巡礼とシルクロード貿易がもたらすその富は欧州人の羨望の的であった。ウルバヌス2世は東方正教会とカトリック教会の司教たちを南仏クレルモンに一堂に集めて呼びかけた。

―ムスリムからの蹂躙に苦しむ聖地エルサレムを救わん。巡礼者たちは殺戮され、都市は掠奪を受けている。天国の王国、どこよりも豊かな、永遠の神の恵みたるかの地をトルコ人とアラブ人どもから取り戻さん。これは神の望みなり。さもなくば汝らを待つのは地獄のみなり。


この声に陶酔し、東の富に目の眩んだ欧州諸国の王侯貴族は民兵を募り、軍隊、騎士団を整えエルサレムに向かう。第一次十字軍遠征である。通りかかったキリスト教徒の村や都市すらなりふり構わず掠奪しながら進軍し、ビザンス帝国からの援軍も加わった十字軍はアナトリア半島を踏みにじりついにエルサレムに到着、エルサレム側は降伏し市民の命と引き換えに都市をあけ渡す。しかし、そこで行われたのは1万人のユダヤ教徒と7万人のムスリムからなる市民の大虐殺だった。1099年7月15日。

900年以昔の話だが、少しも色褪せることなく今に重なる。
経済危機のどん底でもがく欧州も、アメリカも、その打開策を常にイスラム圏からの搾取に見出す。他に思いつかないのである。アフリカ・アジアのイスラム国からは露骨な掠奪をする一方、トルコに対しては世俗・西欧化を吹き込み自らの歴史と信仰に背を向けさせてひたすら欧米に追従させた。その立地そして資源面からこの国を自立させるわけにはいかなかった。いつまでも不安と劣等感に縛られる弱小国でいさせねばならなかった。
しかしレジェップ・タアイプ・エルドアンを生かしておいたのでは決して思い通りにいかないことに気がづいた。彼の政権下で外交・経済・教育・福祉・医療その他どれをとってもまともに動き出し、欧米のテロ支援を叱咤し、2009年のダボス会議ではイスラエル大統領に一喝し謝罪までさせた。国民がかつての傀儡国家時代に踏みにじられた誇りを取り戻す一方で世界中のイスラム諸国にも並ならぬ希望を与えた。貧困と対峙する欧米を尻目にトルコの経済は順調に伸び続ける。出産奨励により人口も増加傾向にある。虚偽報道、経済封鎖、テロ工作など、欧米はさまざまな手でトルコを世界から孤立させる。しかしエルドアンは欧米によるイラクとシリアに対する大搾取に果敢に立ちはだかった。さらに兵器の国産化と無利子を標榜した金融政策が始まると武器商人のアメリカと金貸しのバチカンはもはや黙っていなかった。そしてエルサレム大虐殺のその日を選んだ。

―エルドアンからトルコを取り戻さん。これは神の望みなり。

2016年7月15日、トルコ国防軍の軍服を着た十字軍が900年ぶりに押しよせた。自国軍の戦車、戦闘機、機関銃、手榴弾で母国と同胞を襲った。神の声に耳をふさぎ悪魔に跪き、国旗のほかには手に何も握らない市民を襲った。しかし甘言を囁く悪魔に唾を吐いた兵士たち、そして市民は猛攻し、国中のモスクから神を称え加護を求めるアザーンの声は朝まで止むことなく響き、249人の死者、2000人を超える怪我人、彼らの血と引き換えにクーデターは阻止された。神は偉大なり。


思うに、ギュレン教団とはひとつの「現象」である。実体があるようで、ない。
教団の原動力は他でもない一般人である。苦労をしないで学歴を得たい、ばか息子を出世させたい、楽をして稼ぎたい、生活に満足がいかず、現状にあきたらず、虚飾を好み、肩書きと地位に憧れ、妬み、嫉み、隣人に脅威を与えようが、法を犯そうが、国を売ることになろうが―CIAやバチカンなどに縁もゆかりも無い普通の人々の、さほど罪深く無さそうな「欲」が肥大して具現化したものがギュレン教団であり、もとより人が浅はかな欲を掻かなけれは成立しようがないのである。逆にクーデターが不発に終わろうがギュレンを死刑にしようが欲に魂の鍵をあけ渡し、おのれを醜く歪める人々がある限りこれは幾度も姿を変えて生まれ変わるだろう。

よく「悪魔につけいれられた」などという。つまり悪魔は決して自ら武器をとらない。とらせるだけである。悪魔が何を言おうと選択権は当人にあり、その手を取れば地獄、振り払えば天国への道が開けるという、ただそれだけである。人はこうして悪魔と神の声の間で揺れ続けながら審判の日を迎える。
 

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コメント
 
1. 2017年7月15日 02:17:12 : PKab2rbkxo : lq760Z6FiBE[2]
久しぶりに実に良く書けた記事を読みました。
トルコの経験は、同じように欧米の非白人同盟国である日本にとっても肝に銘じておかなければならないでしょうね。

2. あやみ[321] gqCC4oLd 2017年7月15日 15:46:33 : SbiF6P6uF6 : 5AFwmCL0K9M[1]
1さま コメントありがとうございます。投稿者です。

第一次境大戦後のトルコ革命(世俗改革)と日本の明治維新の流れは酷似しています。
過去記事がありますのでよろしければ。

「学問のすすめかた」http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/801.html

時間的には明治維新が先です。欧米人は日本で試してからトルコを骨抜きにしました。大津事件とサラエボ事件も同様です。本稿で扱った十字軍とトルコクーデターしかり、奴らは同じ手口を繰り返します。


3. 2017年7月16日 00:56:27 : 7liDUBOA72 : 7HmXT42@KV0[2]
1です。

あやみ様の文章には学識もあり、日本人には珍しく深い国際観もあります。本来ならば島国根性に取りつかれた同胞たちに外の世界の正しい歩き方を示せる重要な役割を果たすべきなのでしょうが、豚に真珠と申しますか、今の日本に人材を正しく使う事などできそうにもありませんね。


4. 2017年7月16日 22:20:24 : fN49t61XCI : FElYK1RoPUo[37]
我欲に正当性を与えてやる事、それが唯一の人を操る法。
逆に言うと、我欲の制御さえ出来ていれば……

5. あやみ[323] gqCC4oLd 2017年7月17日 16:15:46 : rPXmNtXcmM : DfqTAJIOlCI[1]
4さま コメントありがとうございます。

おっしゃるとおりです。
「欲」は人間が生まれ持つ特徴です。これと付き合わずには生きて行けません。「欲」の言いなりになることは破滅を意味し、動物以下の存在に成り下がります。逆に「欲」を飼いならすことができれば人としての一生を送ることができます。世界で「信仰」と呼ぶに値するものにはこの「欲」と対峙し押さえつける法が謳われています。

「近代主義」曰く、我欲に忠実にあれ、思うがままに生きよ。
日本は近代化と共に信仰から遠く離れてしまいました。


6. 2017年7月19日 10:25:17 : eUTpkAQIBY : _ykxv7Bctt8[504]
ギュレン教団なるもの...

表だったテロ活動は別としても、
あまりにも日本における
「日本会議」と、
その成り立ちから性格から、
酷似していることに
ただただ驚いた次第です。

世界が何に牛耳られて来たのか、、

ちょうどCNNが、アメリカ(恐らく
ネオコン筋)が、
他国の選挙に干渉してきたとの
情報も相俟って、ショックな程の
リアリティーを感じた次第。

それほどトルコ情勢を気にしていた
訳ではないのですが、ふと気になって
このスレを読んでしまったのですが
苦笑
でもほんと、びっくり!


7. 2017年7月30日 09:24:02 : ArG5WsPsa2 : ylyudJXPm0U[76]
神の名を語る

本物は偽物か見分ける目が必要

洗脳されていいように利用される(オ−ム真理教 そのた沢山ある、海外でも同

様と推察する、似たようなケ−スがあるでしょう)

まず、お金の問題、本来神はお金を必要としない、銀行もなければ商品がならん

でいる世界に神はいない。

お金、権力がほしいのは人間。そこのとこる十分注意してだまされないように。

神は愛を最もたいせつにする、ならば戦争、闘争は忌みきらわれるべき。

人間は戦争、闘争を好むやつがいる。

お金ばかり、そして、闘争を口にする宗教指導者、宗教は警戒してください。



8. 2017年7月31日 22:21:51 : 4myEQrIInc : jyFDmm3ORy8[1]
ギュレンが池田大作か文鮮明ならエルドアンは安倍か橋下みたいなものだろう
トルコクーデター未遂事件は戦前ならレーム粛清事件か226事件みたいなものだ

9. あやみ[324] gqCC4oLd 2017年8月03日 04:24:34 : Nhfk1zNnOY : VXWE@kFvlDE[1]
6さま お返事が遅れまして申し訳ありません。

日本会議などの組織でも無い限り、日本の政党はビタ一票得られない、そんな状況なのではないでしょうか。もはや自民党に限らず誰も信頼されてないのです。
政治に無関心と言われる日本国民ですが好きでそうなった訳ではなく、明治維新以降そう企画生産されたのです。

日本では政治家が決して育たない仕組みになっています。政治家を監視する「目」が、そして政治家たちの声を聞き分ける「耳」が、悪事を嗅ぎ付ける「鼻」が国民に無い、皆無だからです。

「政治には無関心」、残念ながらそれは通用しないんです。私はもう日本に帰ることは無いと思うのですが、日本のみなさまに申し上げたいのはこれです。他人の意見を咀嚼しようとせず、まともに批判もできず茶化すのみ、ゲームだの、ダイエットだの、何チャラ投資だのに気を取られていたのでは気がついた時にはアメ公に目鼻を削がれているでしょう。

自らと自らの国を救済するには日本人が国民意識をもっと高めるしかないです。仮に民主政治を肯定するのであれば国民全員が政治家です。政治家の育つ土壌を築くことを義務のひとつと理解するべきです。その覚悟すらないのでは何をされても仕方なし。

頂いたコメントとはあまり関係ないお返事ですがお許しください。


10. あやみ[325] gqCC4oLd 2017年8月03日 04:59:31 : Nhfk1zNnOY : VXWE@kFvlDE[2]
7さま コメントありがとうございます。

思うのですが、創価や統一教会に入れあげる信者(?)たちは、その教団が掲げる「カミ」などそれほど信じていないでしょう。まあ中には本当に神聖視してしまう気の毒な方々もいますが、多くは「カミ」よりも上に鎮座する「カネ」を崇拝しているに過ぎません。彼らが痛い目にあおうが自業自得なのですが、それだけで終わらないのが問題です。
ブラックマネー浄化設備として宗教法人は政府により保護されています。政治家は彼らから票も廻してもらえます。つまり日本政府は政治に関し常に宗教団体の干渉を受けることになります。この宗教団体が海外勢力の指人形であった場合その国は外から制御されていると言い換えることができ、制御がきかないと判断されればスイッチひとつでクーデターも可能になる。その例がトルコです。


11. あやみ[326] gqCC4oLd 2017年8月03日 05:20:16 : Nhfk1zNnOY : VXWE@kFvlDE[3]
8さま コメントありがとうございます。

こういったコメントは安倍のガキが統一教会を粛清したその暁にでもお書きください。無いと思いますが。

国際情勢に無知な方が垂れ流しのネット三行文を鵜呑みにするとこんなことしか言えなくなるのでご注意ください。


12. 2017年8月03日 16:02:19 : f2FH2rqr1o : O2Qd8Hd91Ro[1]
>>09
あやみ様
>>6さんではないがコメントさせていただきます。

骨のある政治家は、謎の病死か事故死か犯罪被害者か。ともかくロクな結末にはなっていませんね。国民の洗脳もそうですが、私は外国の武力組織が日本に駐留している限りは植民地状態が続くと見ています。

これは明治維新から続く欧米の戦略の一環ですから、日本国民のみがどうにかできるものとも思えません。そもそも明治維新とは欧米の世界征服戦略の一環で、日本の江戸幕府を倒して東洋に欧米の意のままになる不沈空母を作り上げるのが目的です。ですから英国が伝授した産業革命も綿密に欧米の意のままになるように重要なポスト人脈にスパイを潜り込ませ、いざ日本が欧米の意に反した行動をとれば祖国に牙を剥くように配置されていました。これは太平洋戦争中に日本軍特に海軍が勝てる局面で司令官の不思議な指令により負けている事実からも推察されます。

しかし欧米の連中も神ではないので、いつか必ず大きな間違いを犯します。私は日本が植民地奴隷状態から解放されるには天の時と人の和と地の利との三つがそろわなければ無理だと考えます。

現在最も危惧されるのは北朝鮮情勢でしょう。戦争になれば前回と違い日本本土に被害が及ぶのは避けられそうにありません。植民地から解放される前に欧米戦争屋の玩具にされて放射能まみれになったら、もはや国家としては再起不能なのではないのでしょうか。


13. あやみ[327] gqCC4oLd 2017年8月04日 18:15:36 : qaLI2NC5mI : YjNJs2zyvDg[1]
12さま コメントありがとうございます。

上手く書けないかも知れませんがお付き合いください。
「陰謀論」なるものがあります。阿修羅の読者の皆さんの多くが気づかずに「染まって」いるいわば思想のようなものです。わたしは陰謀論を嘘だともデマだとも言いませんが、かなり危険な要因を孕んでいると指摘します。陰謀論をリサーチし理解するうちに多くの人はある種の絶望感に必ずといっていいほど陥ります。「日本はもう終わった」「ユダヤ人のゴイムにされた」「最終戦争だ」「放射能まみれだ」こういった絶望・あきらめ・虚脱にはまり、国、ひいては人生への愛着を失うのです。人はそうなった場合、残りわずかな時間を謳歌するために刹那な快楽に身を捧げるか自暴自棄となって自分と他人を傷つけ始めます。こうなればその後には国も文明も歴史も何も残らぬ、ぺんぺん草すら生えない荒野になります。これも奴らの目的のひとつですです。ひとりでも多くの人間を自棄と享楽におぼれさせて地獄送りにするのも奴らの目的です。

「奴ら」が誰かは書く必要も無いでしょう。
陰謀論の出どころは奴ら本人です。自らの手口を少しずつ、あたかもジャーナリストたちの努力で暴露されたかのように見せかけながら流布し、人々を潜在的に絶望させて破滅に誘うのです。

>天の時と人の和と地の利との三つ

仰るとおりです。私もそのように考えます。
三つのうちで、アダムの子ら(人間)の手中にあるのは「和」のみです。争いごとを嫌うといわれる日本人ですが実際は「和」という概念からはかなり遠いところにいます。今の日本人は目先の利益と近親憎悪に目を奪われ、物事の核の部分を決して見ようとしません。質の低い口論に追われて共同の目的をどうしても掲げられないため、結果として安倍のようなクソガキを政権に座らせる羽目になるのです。残念ながら間接的にでも彼は皆様が選んだのです。
人が自我を抑えて「和」を築けば、「地」つまり物質界は神の名において「利」をもたらします。それが「時」です。そこで人が自我に迷うことなく戦い続ければ慈悲の雨が降り、この世でもあの世でも救われるでしょう。
「奴ら」が一番恐れているのがこの考えです。だからこそイエスの教えをいいように書き変え、イスラームの破壊を試み、近代主義を煽って日本人の和の精神を踏みにじりました。

人が死ぬのと同様、滅びぬ国などないのです。人も国もどう生きてどう死ぬかが神に問われています。今は耐えて忍んで自らを躾ける時と解釈し、絶望と嫌悪から遠ざかることをお勧めします。


14. 2017年8月04日 21:19:42 : f2FH2rqr1o : O2Qd8Hd91Ro[3]
>>13
あやみ様

そもそも西洋から始まった産業革命は個人の力によるものではありません。その様な時代は中世以前のギリシア、ローマ時代にすでに終わっています。

近代西洋の科学技術はすべからく組織の力によるものです。しかし西洋人以外は組織の力による科学技術の発展に失敗し近代の科学技術はほとんど全て欧米から輸入する事になりました。そしてその時に欧米形式の組織もいっしょに輸入させられているのですね。最もいい例が軍隊でしょう。いくら構成員が日本人だと言っても欧米の組織を輸入してそれが日本人の組織になるのでしょうか?

欧米の組織の原点を考える時、キリスト教会の絶え間ない干渉を無視する事はできません。彼らは数千年にわたり金銭や性欲や権力や恐怖や、ありとあらゆる手段を使って組織をコントロールする術を学んできました。地球上の他の文明で彼らほど組織に対して長く深い研究を行った文明は他にありません。

あやみ様は陰謀論だとおっしゃられるが、実際の話個々人としては誠実で良心のある人でも組織の一員になると残忍で冷酷な人間になる話などよく聞きます。人間は組織の一員になると組織の論理というのが働きます。本来スパイなどに成るつもりがない人でも、組織の論理が働けばスパイ同然になる。これは陰謀とは言えないでしょう。少なくとも本人にとってはね。

しかし外から組織をコントロールしている者からしたら、初めから計画どうりに動いているのです。組織内の構成員の思いなど知った事ではない。だってその組織は、私が君たちに教えて作らせたものなのだから。


15. 2017年8月05日 05:16:16 : eUTpkAQIBY : _ykxv7Bctt8[530]
>9 あやみ様
レスありがとうございます。

6ですが、恐らく神道国なら神様、
仏教国なら仏様、キリスト教国なら
イエス様、イスラム教国ならアッラー様

を奉じていると名乗りあげれば、
中身や質等問わずで、
何でもありの世界なんでしょうね。。呆

今纏まった内容書く時間がないので
それはちょい後にまわした上での、
取り急ぎ的な大雑把な意見、、ですが。。

苦笑


16. あやみ[328] gqCC4oLd 2017年8月05日 06:05:31 : kXJz1dKOL2 : 0@c@3FzU5no[1]
軍隊うんぬんの話は過去記事に書いていますのでよろしければどうぞ。

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/219.html

>外国の武力組織が日本に駐留している限りは植民地状態が続く

との重要なご指摘ですが、この背後には日本に自国軍が無いというあまりに愚かしい事実があります。これでは絶対に対等になれない。無理です。仮に「憲法九条はすばらしい」と海外で熱弁してみるといかに通用しないかがよく解ると思います。家に鏡のない人が自分の容貌をしらないのと同じです。

>個々人としては誠実で良心のある人でも組織の一員になると残忍で冷酷な人間になる

これは組織に在る無いに限らず、残忍さは誰もが持ち合わせています。唯一それに歯止めを掛け得るのが信仰です。しかし組織に属することですべての行動を正当化でき、良心の呵責すら組織に転嫁できてしまう。組織、とくに軍などが後ろについていれば刑務所に入ることはありませんからね。つまり組織で教育をうけると地獄行きよりも務所行きのほうが怖くなるのです。じつは学校教育もそれに寄与しているんです。誠実さや良心などの拠り所が神ではなくセキュラリズム的人道だったりすると、スイッチひとつでいくらでも非道を働くことができます。これも西欧が相当な時間を費やして育んだいわば陰謀です。

近代主義と非道の関係は以下の過去記事にあります。

http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/715.html
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/740.html


17. あやみ[329] gqCC4oLd 2017年8月05日 06:11:39 : kXJz1dKOL2 : 0@c@3FzU5no[2]
6さま お忙しい中、ありがとうございます。

資本主義国で「おカネさま」と唱えて中身を見てないのが一番解りやすいと思います。

ところで日本は何教の国なんですかね?


18. 2017年8月05日 15:02:27 : Fpul0ULZKU : 6Xn3pJepGW0[3]
>>16

大変に興味深い文章をありがとうございました。


19. 2017年8月06日 14:58:12 : fN49t61XCI : FElYK1RoPUo[49]
ずっと欲しくて堪らなかったアレコレ全て、何の値打ちもありやしないガラクタを
商売人の口八丁に乗せられて、どうやら頭に血が上っていたワイ。
名前が我欲というからは、人間誰もが生まれながらに持つ業だと思い込んでたが
よくよく思い返してみたならば、とんだ紛い物を掴まされていたものだ。
曰く、諦めるとは(欲を)明らめることなり。
さてさて、今日から何を楽しみ生きようか。といったところ。

20. 2017年8月06日 17:31:24 : ArG5WsPsa2 : ylyudJXPm0U[80]
19>>欲はなくならないでしょう。

   人間は欲を持つ、諦めるのではなく、欲の運用方法だと思います。

   バカもハサミも使い用ということわざ、使いかた。


21. あやみ[330] gqCC4oLd 2017年8月07日 00:48:57 : PKlGbJpgrY : 35nqDDBK1I8[1]
19さま、20さま コメントありがとうございます。

「諦める」の語源はやまとことば動詞の「飽く(あく)」です。たわわに実った果実をほおばり満足することです。それが実りの季節である「秋(あき)」の語源となりました。満足することができれば心の迷いが消えて「明らか」になります。諦めるという日本語は今は「失意」の意味で使われますがかつてはそうではなかったのです。どうしてそうなったか、それは人が時代と共に欲を肥大させたため満足することができなくなったからです。あれも、これもと欲を掻くうちにその殆どを失意のうちに断念せざるを得なくなりました。

江戸の文化文政の栄えは「諦めの美学」と言われます。元禄に咲き乱れた花に酔い、そして飽き、その諦めの中で意地と意気の花を再び咲かせました。それが我々の先祖です。日本人にもう一度それに挑む意気地があれば、憂うことは無いと思います。

欲とは本能です。欲をむき出しにすれば人は野獣に成り下がります。欲とは、手懐けて飼いならすために神から与えられたものです。


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