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子供の社会は大人の社会が反映される。
子供は手身近な大人をよく見て育つ。社会に溶け込むために必死に真似をする。
子供は親たちの価値観を見て育ち、そこにある観念を引き継ぐ。つまり大人の社会と同じ価値観による社会性を作り出す。
■子供たちが社交的に振舞う必要性を感じるとき、その手本となる大人たちの価値観では、いったい何を教えることができているか?
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仲間として取り入るには、なにをすべきか?
特に逆境にある場合、そこからの脱出のために大人は何をしているか
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□子供社会で理解している価値観:金品で何でも解決できるといった価値観(いじめの要因)
■子供たちが自分を守る必要性を感じるとき、そこに役立つ手本となる大人社会ではどうした価値観を必要としているか?
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自分を守るために、自分が得するためになにをすべきか?
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最大限に自分の立場を利用すべしといった価値観
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まずはなんらかの「優位的立場」を手に入れる必要性を大人社会は常にそれぞれの子供たちに追い求めさせることになる。
<競争意識の植え付け>
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嫉妬ややっかみ(不公平感の増強:いじめの要因)
□子供たちが理解していること:強さとは権威的価値観であるということ
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そこにある倫理的理解の本質:やさしさとは強さからもたらされる(横暴な性質を陰に潜めた倫理的価値観→屈折したねじれの原理)
□いじめる側の理解:弱い立場の相手には力を誇示して、飴と鞭で従えさせればいいとする。
□いじめを受ける側の理解:弱い立場は無力で、何も持てずただ堪えるほかない。それ以上の本質的強さを求める必要性を感じていく。
今回のメディアに露出した事例のように、福島の子供が新しい土地に住むことになって、異質な目を向けられることで初めて自分の立場の弱さを意識した時、彼らはその状況を打開する必要性を感じ取ったに違いない。
はじめそれは社交的に振舞ったつもりが、次第に脅しに屈する生き方へと変貌してしまったのではないかと推測する。
しかし救いは、というより現代の社会的価値観の蔓延した中において、福島出身の彼が自発的に自分の成長にプラスに転化できたということである。
これは今後、大人社会が彼から逆に何かを学ぶことになるはずだ。
彼らは今、社会の山積した問題をすでに背負って生きているということである。
さて、「大人が手本を示さねばならない!」その口で、行動でわれわれ大人は何を彼らに示してきたか。
テレビに露出した大人たち、ワイドショーの司会、コメンテーター、報道キャスター、政治家、評論家たち。
そいつらにはちょっとここで自分の姿を一度振り返って見ろといいたい。
「どの口がそんな言葉を吐けるのか」それを自分自身にはき捨てるべきだ。
『うわべだけでことを済ますこと』をいままさにここで再び彼らに示しているも同然なのだから。
(特にミヤネ屋等、ワイドショーの司会、コメンテーターは軒並みすべて噴飯ものだ)
この国の政治にかかわる取り巻きによる報道がそもそもその堕落した大人たちの手本となる。
この国のメディア、ワイドショーがそもそもこの国の馬鹿の実例だ。
うわべだけの口先ばかりの子供たちを育てる責任はいったい誰だといえるのか?
つまり、そこになんら反省もない場合、今後も「いじめはなくならない」、そして、こうした子供の事例を挙げて、いじめは必要かもしれない、と言うことにもなってしまうだろう。
話はやや趣が変わるが、根本的なこれらの解決に向けた話をひとつしてみたい。
これはあくまで仮定の話でしかなく、私がベーシックインカムという制度をそのまま支持しているということではないが、もしそこに意味する本質的な制度改革が施行され、それが人々の基本的な不安と欲求を解消に導き、とりあえず人々の生活を根本的に満たすものとなったとき、そのとき多くの場合、人は必死に働く必要性を失うだろう。
しかし、そこで人は新たな価値観を手にするはずである。
仕事に対して意欲をもってそれを生きがいとしてきた人たちは、当然、はじめは社会に失望したように振舞うだろう。なぜなら、厳しい仕事ほど人手が離れるからだ。そのことで稼ぎも失う。
雇われてきた側は、そのことで「生きるため」の生活に関するリスクが激減することによって、社会に直接的に不必要と思われる産業からは人々は逃げ出してくる。そうなると人件費をいくら吊り上げても人が集まらないリスクを抱える企業も続出するはずだ。
そこで詐欺犯グループなども当然減少→消滅に向かうだろう。
だが、そこにある「不要」は余剰生産を抑え、生物の乱獲にも歯止めをかけることになるだろう。
そしてそこで、いったんそれら過剰な労働は淘汰されることになる。物価は高騰する。
だが、そもそも当たり前の「ものの価値」が戻るだけで、「人々が求めるもの」に多様性が生まれる。そしてもともと人々は当たり前の「ものの価値」によってそうした物価を受け入れることができるはずだ。そのときは不必要な価値観、欲求には流れない心理的な土台を持つようになっているからだ。そのため、問題は自然と収まりを見せるはずだ。
自分の憂さを晴らすための金ほしさのためではなく、人々が欲しいものを求める声にこたえようという純粋な思いにのみ、自然に人はつき動かされるようになる。そうすると衰退するかに見えた市場には再び人は戻る。
本当に人々に必要とされる仕事は、振り出しから始めればよいだけだ。
そこにこそ、社会を運営する本当の政治が何か理解できてくるようになる。
何に人を投じる必要があるのかを全体が把握して運営をまわす事務方もまた多く必要となってくる。
そして、そこに生まれた新たな価値観に慣れていく過程で、仕事に”あぶれた”人たちは、社会に本当に必要とする産業、インフラ、生産性を高める事業などに対して、やる気に”あふれた”働きを見せることになるだろう。
価値観はそこでようやく逆転する。
特別な権威的誇示をそこに示す必要性は何もないということになっていく。
トランプを評価するわけではないが、正しいこともある。
それは「まずは自国第一とする」ことでそれはまさしく正しい。
まずはそれぞれが循環する枠組みを整え、それらを侵害することなく、その上で外交のための循環を作り出せばいい。
どの国もそれをやることだ。
そうすればあらゆる問題は解決に向けて価値観を共にしていくことになる。
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