http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/347.html
Tweet |
(4/14)放送予定だった報道ステーションの特番は、
突然の熊本の大地震の影響でお流れになった。
いたしかたないことではあったと思うが、本日(4/19)になっても大きな余震は続き、
被害内容も日々明るみとなって、被災した人々の生活は地震にただ慣れつつあるというだけで、
大変な状況は現在も続いている。
そうした中でも、平常どおりのニュースも流れるようになった現時点の今日(4/20)だが、
震災であわただしく番組が震災関連重視の番組を取り上げる中で、
「刑事司法改革法案」、いわゆる"国民発言禁止法案"が可決、成立していたりする。
この騒ぎの中でいつのまに、という人もきっと多いことだろう。
http://ameblo.jp/jcjk-now/entry-12148524344.html
より以下転用
*****************************
刑事司法改革法案=盗聴自由法。
「今や国家非常事態…ネット発言禁止法が衆院で可決」
この法案は、全く関係ない4つを束ねた、
目くらまし法案です。
刑事司法改革法案は4点セット
●取り調べの可視化:一見改善に見えて実は、取り調べの録画は事件全体の3%だけ。
つまり本気じゃない。改善したふり。
●国選弁護人を義務化:軽犯罪にも弁護士を派遣。どーでも法案。
●司法取引:犯罪者が他人をチクれば、減刑してあげる。
無実の貴方をチクるかも?冤罪が激増。
●通信傍受の対象拡大:従来は裁判所の許可を得て、警察がNTTに出向き第三者の監視付きで盗聴していたが、
今後は警察署内で自由に盗聴していい。
電話もメールもネットも、盗聴し放題です。
貴方のブログ、FB、ツイッターに、警察が裏でこっそりログインするのです。
*****************************
ここまで。
私個人はそんなこと大して気にしてはいない。やましいことはなにもしていないわけだから。
問題とするのは、こうした大事な法案が、国民の信を問わず、
その目をかわす様に着々と行われているということだ。
つまり、ここでは、「報道が果たすべき役割」に対する意見を述べたいのである。
そしてまた、それはこの社会をともに作る、国民全体にも述べたいことである。
伝えるべき、今流すべき情報があるなら、それを流すのは当たり前のはず。
国民に関わる重要な問題に対して、国民の信を問うのは当然のものであるはず。
報道とはその役割として存在するために信頼されるのであり、
なんらかの圧力に屈するということなどあってはならないものだ。
こうした重要な情報ならば、いくらでも時間を割いて、
国民に知らせる必要があるのではないか。
まがりなりにも公前に立つことを責務として自覚する人間とは、
何事にも意欲的、挑戦的になるべきではないだろうか。
パナマ文書関連のニュースは前日にもわずか報道されたようだったが、
引き続き予定していた、パナマ問題特番を放映するとしたその日の、
報ステの特集の見出しはこうだった。
↓ ↓
→「透明性を確保せよ。税金逃れのパナマ問題。」
もちろんご存知のとおり潰れたのだが、いつするのだろう。
やらなきゃならない問題のはずだが、古館氏がいなくなってから、
ようやく期待できるかと、注目しはじめていただけに残念だ。
サブコメンテーターの女性は芯がある顔立ちをしていてて、
古館氏を踏襲するかのような話しぶりが何かしらを期待させるのだが、
脇の男どもにはまったく期待できない。
もう本当にテレビなど必要ないんじゃないのかと、がっくりくる。
クローズアップ現代の長年勤め上げた国谷キャスターの突然の降板ともども、本当に残念だ。
彼女は「同調圧力」という言葉を出して、政府と国民間を繋ぐメディアのジャーナリズムのあり方に対して懸念しているということを文面に伝えている。
社会のもつ世論や風潮といったものは、常に社会全体に政治に良い影響を与えるものでなくてはならない。
一部の偏重した思想だけに世界が傾いていくことなどのあってはならないからだ。
そのための、ストッパーとしての働きもまた必ず社会の中に必要なものだ。
人々は自覚もなしに恣意的な感情を煽られるままに、流される。
同調圧力というものに加担しやすい不安定な精神状態に常に置かれ続けるからだ。
自分の確固たる考えの下に人々と繋がることができないのである。
常に自分の持っている価値観が周囲と同じかどうかだけを照らしあう必要性だけで動いているからだ。
人々はそうして社会の空気感としての世情に加担することになりながらも、自分たちが歩いている場所がどこかを理解していない。
仮想敵がつくられるのは、ゲームの世界を理解すればよくわかる。
ルールというものの成立には欠かせない要素だ。
そこで、はじめて駒を動かす側の人間が動きやすくなるのである。
つまり、駒となる人々を先導しやすくなるという利点のみにある。
駒とは、ルールを理解し、その論理に同調できる人間のことである。
そこにある論理とは、強いもの、勝利者が正義であるという根拠のない理屈である。
そのため、そこになびくものを作るには、実際的に恐怖する相手を生み出し、そこに対峙して見せて、恐れと敵対心を駆り立てる。
そして萎縮させては、少しずつ手なづけるのである。
これは裏を返せば、臆病さや卑怯さといった、
自虐的な劣等感に裏打ちされる人間の哀れな姿の表れである。
あさましさや優越的思想とはそこに基づく。
これまでも報道メディアはそうしてあさましい政治権力に従い、その一手を担ってきた面がある。
ネットも当然そこに利用されて、そうしたあさましい権力に同調するものを増やすのに一役買ってもいる。
そうやって、ひとつの空気感というものが醸成されれば、
あとはそこに指先で陣頭指揮をとる人間が現れて、
その手のひらを返すだけで、人々はわけもわからず一気にそこになだれ込んでいくことになる。
米国のトランプを支持するあの漫画みたいな過熱ぶりに理解できるように、
国民性とはもっとも権力者にとって武器ともなるし、恐れともなる。
人々が何を優先するかについては、常に、目の前の命を助けることに注がれるべきだが、そこに視野を狭くしてはいけない。
もっとも大事なのは、長いスパンであっても、人々全体にとって、本当に益する社会をみんなの願望をより集めて、実践するということがもっとも大事なことなのであるから。
だから、陰でとんでもない話がとんとん拍子に事を進めてしまうことを許すようなことがあってはいけないのである。
メディアは人々にとって益する情報を流さない理由はどこにもないはずだ。
ジャーナリズムを真に自覚する者なら、そこに黙っていられることなどできないはずだ。
- 子供たちから大人たちへ捧げる言葉 「私たちをいつも守ってくれてありがとう」 Air−Real 2016/4/21 01:47:07
(0)
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 雑談・Story41掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。