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若者たちは本当に海外旅行に行かないのか? 進む二極化の背景〈dot.〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140821-00000004-sasahi-soci
dot. 8月21日(木)7時18分配信
「若者だって海外に出ていますよ!」と語るのは、六大学に通う2年生のMさん。彼はこの夏、2回目の海外旅行に出る。1度目は1年生の夏、東南アジアをバックパッカー・スタイルで旅した。今回は、アジア各地に住む日本人をたずね歩く。旅費は居酒屋のアルバイトでためたものだ。
異国で生きるとはどういうことなのか。実際に海外で働くためにはどうしたらいいのか。「海外志向」のMさんは、その答えを探しに旅をする。
「若者の海外離れ」がいわれる昨今。しかし法務省の統計を見てみると、それが一種の偏見であることがわかる。出入国管理統計の中にある、20代の人口に占める海外出国者の割合(出国者率)は、20年前と比べて極端には減少していない。むしろ2012年には、23.4%と90年代以来の高い数字だ。
確かに旅をする若者は減っている。しかしそれは、少子化によって若年層の数全体が減っていることが大きい。いつの時代も、広い世界を見てやろうという若者は一定数の割合でいるのである。
彼ら若い世代、特に学生の海外旅行者は、フェイスブックやツイッター、LINE、インスタグラムなどのSNSを駆使して、常に「つながりながら」旅を紡いでいくのが特徴だ。
この1〜2年ブームとなっている「絶景本」の舞台に立つことを目的とする人も多い。中でも人気は、ボリビアのウユニ塩湖だ。雨季になると塩原の表面に薄く水が張り、広大な塩湖そのものが鏡のようになる。これが空を映しこみ、上下対称の壮大なランドスケープをつくりだす。「天空の鏡」と呼ばれており、この地から「ウユニ塩湖なう」とツイートしたいところだが、残念ながらWi‐Fiは飛んでおらず、ゲストハウスに帰ってから呟くしかないのが玉に瑕かもしれない。
また世界一周を目的にする若者も多い。LCCの発達や、世界一周用の格安航空券によって、ポイントを絞って世界を一周することが、とても簡単に、しかも安くできるようになった。
彼らはやはり日本にいる友人や、旅先で出会った人たちとネットを介してつながりあい、コミュニケーションを取りながら旅をする。「この街ではあの人と会う」「あの村でボランティアをする」など、しっかりした目的意識を持って世界を回っていくのが特徴だ。冒頭のように、海外で働く日本人を訪ね歩くのも、学生たちの間ではひとつの流行のようになっている。あてもなく旅をしていた、ひと昔前のバックパッカーとは違うのだ。
そんな学生たちのひとりは、海外に出る理由をはっきりと「就職活動のため」と語った。
「海外に行くこと自体はとても簡単な時代です。だから、ただ行っただけでは企業の面接官にも響かない。目的を持って海外でなにか活動をした経験が評価されるのです」
世界に対する好奇心というよりも、むしろ野心。海外での経験を踏み台にステップアップしていこうというたくましさは、「ゆとり世代」と揶揄される若者たちとは思えない。
どんな形であれ、異国を自分の目で見てくるのは、きっと刺激になるだろう。
一方で、海外にまったく興味を持たない層もいる。同じ学生でも、飲み会に没頭したり、学校に通うことなくアパートに引きこもったり、身の回りだけの狭い世界で限定された生活を送ることは、ある意味で居心地はいい。昨今いわれる「マイルドヤンキー」と通じるものがあるのかもしれない。
そんな彼らにとって、積極的に海外に出たり、仲間同士で学生団体を立ち上げて海外とつながっていこうという層は鼻につく、疎ましい存在だ。
「結局がんばっている自分が好きなんでしょ。無理して自分を高く見せようとしている感じが痛々しい」
と語るのはある私立大学生。海外に興味はない。グーグルのストリートビューで十分。友達は少ないし大学でこれといった活動はしていないが、不自由もさみしさも特に感じてはいない。
そんな彼らは、「海外」「コミュニケーション」「SNS」といったキーワードで大学生活を謳歌する学生たちを、どこか冷やかすように「意識高い系」と呼ぶ。
意識を高く持って自己研鑽に励むのはいいことだとは思う。しかし若さゆえの過剰な自意識やコンプレックスが邪魔をして、友人をつくるのが難しかったり、あるいは経済的な事情で海外が遠い人々もいる。彼らにしてみれば、「意識高い系」は嫌味な存在に映るのだろう。そして、海外に行くこと自体が、自分が小馬鹿にしているはずの「意識高い系」の行為であり、憎悪すべきことなのかもしれない。
若者たちは、海外に出なくなっているのではなく、二極化している。積極的に何度も行ってみる層と、背を向けて拒否する層。お互いに考えすぎなようにも思うが、どちらも若者らしくはある。
「クラスの中心になって張り切る層と、それをニヒルに傍観する層」。そんな図式は昭和の昔からあったはず。結局オジサンも若者も、あまり違いはないのだろうと思う。
(文・室橋裕和)
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