http://www.asyura2.com/14/hasan85/msg/658.html
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期待は大きく、問題点は小さく。国策の如く地デジ大マスコミで報じられる、JR東海社の「リニア中央新幹線事業」。本年度中に着工、とされているが。これが駅用地買収などで、東京五輪に間に合わないのは周知の事実。それどころか、事業自体黒字化も不可能、と会長自ら認める異常な事態だ。
かつての東海道など鉄軌条でも、突貫工事でさまざま弊害が出ていた。東京名古屋間8割を大深度トンネルで造る、この計画に無理がないのか十分検証する時間が必要だ。
いい加減な予測で事業失敗、国民の血税投入となるのは許されないだろう。
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(東京五輪物語)新幹線開業 出た、夢の時速210キロ
http://digital.asahi.com/articles/ASG2C5SN5G2CULFA00K.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG2C5SN5G2CULFA00K
2014年2月15日18時11分
「やった!」。東海道新幹線が開業した1964年10月1日。新大阪発の上り1番列車「ひかり2号」の乗客が沸いた。国産技術の粋を集めた「夢の超特急」が、営業運転で世界初となる時速210キロを達成した瞬間だった。
「本当は200キロも出さない予定だったんだけど」と笑うのは、運転士だった大石和太郎さん(81)。開業当初、新大阪―東京間は4時間。時速160キロで事足りたが、車掌から「乗客が期待しているぞ」と聞かされた。「よし、やるぞ」。京都駅から徐行で時間調整し、琵琶湖岸の平地で一気に速度を上げた。
「東京に近づくと、ビルというビルの窓から人が手を振っていた。感激したね」。午前10時、ひかり2号は定刻通り東京駅に滑り込んだ。
「とにかくホッとした。東京五輪前の開業をという国民の期待に応えられた」。JR東海の社長、会長を務めた須田寛相談役(83)ら多くの職員は前夜から、不安を抱えて国鉄本社に泊まり込んでいた。試運転はトラブル続きで、定時到着はほとんどなかったという。
原因は用地買収の難航による工事の遅れだ。全てのレールがつながったのは7月。五輪を控えた地価上昇に、平行して走る東名高速道路との買収競争が拍車をかけた。資材や人件費も高騰し、資金課の課長補佐だった須田さんは役所や銀行を走り回った。巨額の借金は国鉄破綻(はたん)の一因に。須田さんは「五輪に間に合わせるため無理をした結果。リニアは余裕を持って進めなければ」と話す。(上栗崇)
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- 山梨・リニア残土活用、芦安に駐車場 マイカー規制考慮(開発が開発を?!) 戦争とはこういう物 2014/2/16 11:52:35
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