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プミポン国王は、一般的に思われているように、自身の存在感や能力で尊敬を集めてきたわけではなく、「アジア太平洋戦争」で日本に協力し土壇場で連合国に参加した戦後、軍や伝統的支配層が即位したプミポン“国王の権威”を高める施策をとったことで尊敬される存在になったものである。
この点では、明治維新後の近代天皇制と似たものがある。
天皇や国王を戴かずに“臣下”が統治すると、失政がそのまま支配層の危機につながったり、支配層同士の主導権争いが頻発したりして不安的な政治状況になりやすい。
近代王政や近代天皇制は、実質的支配層が保身をはかる防波堤や支配層を共通利益のなかにまとめる求心力として機能する。
上の対立図式も間違いで、国王や軍は、タクシン派や反タクシン派に対して中立というわけではなく、軍も反タクシン派であり、最終的には軍に支えられている国王も反タクシン派である。
タクシン派は、かたちとして国王を頂点としている支配層の枠外から出てきた政治集団であったがために、21世紀のタイは政治的混迷を続けているのである。
伝統的支配層が北部農民や都市低所得者と利益を分け合う姿勢(政策)に転じない限り、タイの政治問題が解消に向かうことはないだろう。
タイ国民の多数派は、タクシン派の政権獲得によって、自分たちを少なからず代弁してくれる政治勢力を選挙で勝たせることができると知ってしまったのだから....
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タイ、根深い強権依存
クーデター19回目 民政の機能不全浮き彫り
【バンコク=高橋徹】軍事クーデターで国の全権を握ったタイ国軍は23日、早期の民政復帰をめざす方針を宣言し、事態収拾への動きを本格化した。1932年に立憲君主制に移行してから、クーデターは19回目。一時は「民主主義の優等生」とも呼ばれた同国だが、民主政治の機能不全と強権依存がまたも浮き彫りになった。
■「国民に権力戻す」 23日午後1時半(日本時間同3時半)。首都バンコクの陸軍施設に900人超が駆けつけた。軍に招集された各省庁や国営企業、首都近郊県の代表者らだ。まさしく「軍事政権」を象徴する場面で、プラユット陸軍司令官は明言した。「軍は国民にできるだけ早く権力を返還する」
タイは1932年に立憲君主制に移行し、国政選挙を導入した。だが長い間、政治実権を握り続けたのは軍。政権交代の多くは、失敗・未遂を含め、過去18回のクーデターが引き金だった。
転換点は92年。前年のクーデターを首謀したスチンダ陸軍司令官(当時)が前言を翻して首相に就くと、大規模な反対デモが起き、軍の鎮圧で多数の死傷者が出た。その反省から軍の政治介入を防ぐ機運が高まり、タイ史上、最も民主的とされる「97年憲法」が制定された。
政党政治の強化を狙った同憲法下での初の総選挙で圧勝し、2001年に首相に就いたのがタクシン氏。だが低所得層への利益誘導で人気を集めると、既得権益の侵食に反発する保守層の支持を得た軍が「もう起こらない」といわれていたクーデターで06年に同氏を追い落とした。この時も軍は新憲法制定と選挙を経て、1年余りで権力を手放した。
■王制を守る意識 8年前も今回も、決起の背景にあるのは、王制守護の意識だ。軍の統帥権を持つのは国家元首であるプミポン国王。タイ軍は実際には国軍ではなく「国王の軍隊」だ。国王の諮問機関である枢密院が、軍高官OBを中心に構成されているのはその象徴といえる。
06年のクーデターは剛腕宰相だったタクシン氏の不敬的言動が一因だったとされる。今回は抜き差しならない政治対立のなか、事態収拾へ高齢の国王による調停を望む声が高まり始め、国王が政治に巻き込まれることを懸念した軍が動かざるを得なかったとの事情も透ける。政治対立の背景にも、王室への影響力を巡る綱引きがあったとの見方は強い。
またも起きたクーデターに国際社会は「失望した。正当性はない」(ケリー米国務長官)と批判する。ただ一夜明けた23日のバンコクでは「政情混乱が終わるから歓迎」(55歳の露天商女性)「平和的な解決に向かう。すべての人にとっていいことだ」(48歳の女性教師)といった肯定的な声も数多く聞かれた。
一口に両派対立といっても、タクシン派の支持層は低所得層と地方住民が中心。反タクシン派は富裕層・中間層と都市住民が主体で、支持層の構図はそれぞれ複雑だ。対立の抜本的な解決は簡単ではない。
軍の強権発動による混乱の一時的なリセットは、長期的には対立をさらに深刻にするだけとの見方は根強い。軍の強権発動に期待し、受け入れる機運が国民の間にある限り、民政に早期復帰しても、いずれまた20回目のクーデターを招く可能性は否定できない。
[日経新聞5月24日朝刊P.3]
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タイ政治はクーデターで立て直せるのか
政治の混迷が続いていたタイで軍がクーデターに踏み切った。経済や社会にまで混乱が広がっていたとはいえ、民主主義と法の支配を損なう行動は残念だ。
プラユット陸軍司令官は「全勢力に公平を期した国家改革」を目指すと表明した。その言葉通り、根深い党派対立を克服して政治が機能する体制を整え、早期に民政に戻してもらいたい。
政治対立の構図ははっきりしている。8年前のクーデターで政権を追われたタクシン元首相を支持する勢力と、元首相の影響力排除を目指す勢力の争いだ。
元首相の妹であるインラック首相が率いる政権に反発して、反タクシン派は昨年10月末からデモをくり広げてきた。首相は事態を打開しようと下院を解散し総選挙に打って出たが、反タクシン派の選挙妨害で無効となった。
さらに今月7日、首相は憲法裁判所の判断で失職した。政治の機能不全が深刻になる中で軍はまず全土に戒厳令を敷き、独自の調停案を示して両派に妥協を促した。それが不調に終わったのでクーデターを断行したようだ。
懸念されるのは、政権を追われたタクシン派の反発がどんな形で出てくるか、だ。タイではクーデターが比較的平穏に進むことも少なくないが、軍政への抵抗が高まると流血をともなう惨事に発展するおそれが浮上する。
そんな事態が実際に起きたのが1991年のクーデターの後だった。この時はプミポン国王じきじきの調停で収束したが、いま国王は高齢で体調がすぐれない。軍は治安を保つ一方で「公平」という看板に疑念をまねかないよう、十全の目配りを求められる。
一方、対立するばかりで軍の政治介入を招いた両派は、真剣に反省すべきだろう。タクシン派は議会での優位に頼り、反タクシン派の不満への配慮を欠いた。反タクシン派は建設的な話し合いを目指そうとしなかった。
クーデターを受けてタイの株価や通貨バーツは一時、急落した。タイに進出した日本企業の一部は操業短縮を余儀なくされた。タイの景気はすでに失速しつつあるだけに、心配だ。
米政府がタイへの軍事支援見直しを打ち出すなど、外交面でも悪影響は避けられない。軍、タクシン派、反タクシン派は、タイの国益を最優先して政治の立て直しに取り組む必要がある。
[日経新聞5月24日朝刊P.2]
- タイ、新たに35人出頭命令 不敬罪で 拒否なら2年間拘束 あっしら 2014/5/24 22:34:22
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