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(回答先: 山本太郎への宮台センセの批判はどっか変だぞ?? 投稿者 暴論有理 日時 2013 年 11 月 07 日 01:51:39)
フォロー元記事は、いい投稿ですね。
コメントに入れようと途中まで打ちましたが長くなるようなのでフォローアップ投稿します。
宮台の師匠の小室は30年前にリパブリックは君主の有無にかかわらず成立すること(フォロー元記事中の英国王室への指摘)日本にリパブリック思想がない不幸(投稿者の私見では明治日本が成立する際に萌芽が薩長政府によって徹底的に潰されたため)を語っている。
小室は之を語った際に、国粋主義傾向、官僚主義傾向が強い自民党と日本共産党は合同して立憲国民党でも作ればいい、このままでは立ちゆかなくなる日本には一方でリパブリカンが必要と諧謔を弄している。
フォロー元記事での15さんのコメント
「擁護にしろ、批判にしろ、みな天皇制が絡むとおかしくなるんだよ。エキセントリックになるか奥歯に物が挟まったような言い方しかできない。そこが日本の天皇制の不思議なところ。」
ですが、
天皇制が絡むとエキセントリックになるか奥歯に物が挟まったような言い方になるのは、主張は違っても各々にとって天皇に係わるものが自分自身を構成していることを一様に知っているからのような気がします。
言い換えると、完全に外部に在る客体という認識ではないところで共通しているためかと。
冗談めいた言い方をすると、倭が日本になったのは天皇を創りだしたから、我々は倭人ではなく日本人だから(笑)ということですかね。
勿論リパブリカンは天皇を尊重します。自分達自身を尊重することですから。
安倍政権のエートスは薩長の其れです(日本で重視される家(イエ)の流れも安倍は長州、麻生の母方の祖父の吉田茂は大久保利通の子の娘婿です)。
薩長の其れは自分たちだけが玉(機能としての天皇)に介在出来るようにすることで保たれる構造になっています。
この30年でリパブリカンらしき動きが政治的に力を持つかに見えたのは小沢一郎による政権交代かと思います。
その後の失権に至る過程での「安倍政権のエートス的なもの=薩長の其れ」の慌てぶりと形振り構わぬ反リパブリカン・キャンペーン(底辺レベルでは傘下の宗教右翼を通してリパブリカン=チョーセンジン・キャンペーンまでするほどだったw)(また立憲国民党で合同すべき片割れのほうの薩長の其れへのアシストw)は記憶に新しいところですが、これは玉を渡してなるものかと彼らがどれほど危機感を持ったかの現れであったと思います。
小室の発言から30年経っても何も変わりませんでした。
しかしフォロー元記事
*
「君主制・王制の内容をチェックせずに無条件に奉利神聖化することこそ、直訴等の政治に巻き込むこと以上に危険」
*
であることが、今回の山本太郎の件で明白になったことは確かで、これは(安倍政権のエートス的なもの=薩長の其れに依り機能としての玉に為れている以外の存在で在らされるところの)天皇や皇室にとっても望ましいことだったと考えています。
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