http://www.asyura2.com/13/senkyo155/msg/897.html
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山本君の恐れ多い行為への非難は、まあ、端的に申せば、お上意識(恐れおおい)の高まりだろうな。いまは土下座ブームだそうだが、「したに〜したに」と罷り通る大名行列を直視する子供の頭を押し下げるような行為だな。でも山本君にしてみればこの危急の事例のほかに国民の庇護者である天皇の役割はあるのかと思ったんだろうか。
で、宮台せんせのどこかいつになく奥歯に何か挟まったようなこのラジオを聴いてみてくれ。
http://www.youtube.com/watch?v=ufADhkgSOgs
http://www.youtube.com/watch?v=Lwq5iHlgi0g
さすが、現代随一の論客だけあって、説得力あるね〜。でも本人も考え考え何とか糊塗してるような印象はぬぐえないな。なにしろこの10年ぐらいで右へ左へと体制論のダッチロールがはげしい未だ成長中の先生だからな。
で、あほ保守とじゃなくて宮台センセを遡上に乗せたのはその微妙な論理構造が戦後日本の天皇制認可を一応はほぼ全体へ最大化する論理的欺瞞・詐欺を良くあらわしているからなんだな。詐欺でなくしてほぼ全体をだましうえ能書きなんかひねりだせんだろうが。
だからよく聞いてみると(メモでも取って論旨を図式化してみてくれ)、どこかで、論理がひっくり返っているし、未証明の仮定を伏した論理の飛躍がはなはだしいぞ。
簡単に言うと宮台センセのいうところは天皇家は英王室同様の「君臨すれど統治せず」の正統な権威だから、政治化するなという極めて主流派のご意見なんだな。
宮台のようなサブカル反主流派さえこんな当たり前のご意見しか言えないことこそ、現代JAPANの一億層主流化を物語ってるんだ。
ようするに宮台いうところを箇条書きすると
1、明治期においては天皇は政府の国権確立のため利用され確立された。(宮台せんせは例の饅頭屋伝説ぐらいしっているだろう)
ーここはまあ大賛成だ。
2、そして、第二次大戦でその威光は利用されたが、政治への口出しを阻まれてる中で非戦の意思を示し、敗戦の決断した。また、例の右翼保守派のカビの生えた終戦後の天皇のマッカーサー訪問時のお涙ちょちょぎれ(ふるっ)のエピソードを臆面もなく語っている。(この辺は『昭和天皇』『敗北を抱きしめて』あたりで真実を参照してくれ。)
ーこんな確証のないエピソードで、英王室同様の天皇制の正統性を認めていいのだろうか。少なくとも英王室はマグナカルタ以来の議会やブルジョアや貴族との壮絶な権力闘争の果てに不文律として現代の権威と地位を獲得しているのだ。そんなGHQ/SCAPに与えられた権威じゃないのだ。
3、そして、そのように復権した戦後の天皇制は非政治化することで民主的なものとなるという自民党・民主党主流派となんら代わらない論理となっている。
ー戦後の自民党体制が本当に民主制だったのか?お隣の開発独裁ハクチョンヒ体制が未だ続いてるようなものんだんぞ。
ここまで来てわかるのは宮台君は小室博士直系のスクリューボール型の天皇主義者ということだ。簡単に言えば天皇の戦争責任を認めていないのだ。これに尽きる。
その問題は天皇の戦争責任を明確化あるいは論じることなしに、戦後、マッカーサーに認められたということで民主制の立憲君主として認めていることだ。ここが未証明の仮定による論理の最飛躍点だ。英王室との最大の違いはWW2で民主主義国家の君主ではなく天皇は右翼軍国主義の君主だったことだ。この事実はいかなスクリューボールでも目をつぶることは出来ぬぞ。
さらにいえば、英王室や北欧やベネルクスの新教系の最後に残った先進国の立憲君主(イギリスにいたって成文憲法もない)が本当に民主主義の保護者となりうるのか両立しうるのかという疑問もあるのだ。これから、北欧が社会主義化し二大政党制の英国が全体主義化しないと誰が保証できるのか。
まあ、以上で宮台センセのすり替え論理が示されたと思うが、その最大の問題点は、英国と英王室のような民主制が確立したとされる王室と絶対王政等の非民主制下の王制の違いを明白にせずして、国王の政治からの超然性を高める行為は全く逆な19世的な帝国主義へ逆行するような結果を招くということだ。
非民主的王制への政治的批判、政治的関与の忌避は王室の権威を高めることはあれ、民主化へ向かうことは決してない。簡単に言えば王制への絶えざる批判、監視なくして民主的王制などありえない。英国民のタブーなき王室批判を見てみろ。
ましてや不敬罪なんて発想こそ民主制への不敬だ。
長くなったが結論は「君主制・王制の内容をチェックせずに無条件に奉利神聖化することこそ、直訴等の政治に巻き込むこと以上に危険」だということだ。
各党や議員が天皇を政治に巻き込むことで天皇家とその権威の恩恵を受ける政府へのチェックも強まるし、それによって結果として非政治化が達成されるので、無批判は戦前に見られるように逆に王権の政治利用を亢進させるだけだ。
例をあげれば、それは今の日本政府のような非民主制を権威付けるだけだからだ。
そして何より、天皇家や王家の非政治化と神聖化とは、民主制にとって、天皇や君主、王家は必要なのかという議論を阻却する何よりも効果的な方法なのだ。
- Re: 山本太郎への宮台センセの批判はどっか変だぞ?? 五月晴郎 2013/11/07 16:17:57
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