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(回答先: 「南京大虐殺」などのウソを見破る二つの方法。(国際派日本人養成講座) 投稿者 会員番号4153番 日時 2013 年 6 月 09 日 08:17:10)
日本は、日中戦争で、国民党と戦い、アメリカに負けた。
それなのに、戦後、共産党に翻弄されてる。
まだあった捏造資料!!(11)から
http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page065.html
酷似する証言
『国が燃える』で引用された証言に、非常に酷似する証言がありますのでちょっと引用してみます。本宮氏が提示している参考資料『未公開写真にみる日中戦争』と、『目撃者が語る日中戦争』から田所証言を見てみましょう。
『未公開写真に見る日中戦争』新人物往来社 P118
何がどう行われたのか。ここではひとつだけ、第十軍第百四十四師団の機関銃部隊の一等兵として、残敵掃討に当たった田所耕三さんの話を紹介しておこう。
「そのころ、私らは下関(南京城西北端の船着場)にいた。鉄条網の鉄条を外して、捕まえた連中を十人ぐらいずつ束にして、井げたに積み上げて油をかけて燃やしちゃった。”俵縛り”と言ったな。豚を殺すのと同じ気持ちだったな。
機関銃で殺すのもやった。支那人は初めはワァワァ泣いているけど、土壇場になると潔いもんだね。
しかし女が一番の被害者だったな。年寄りから何から全部やっちまった。トラックで部落に乗りつけて、女どもを略奪して兵隊にわける。兵隊十五人から二十人に女ひとり。
支那の女は技術はうまいね。殺されたくないから必死なんだろうけど、なかなかいい」
(略)
「見せしめの為に捕虜を傷つけることもやった。耳を削ぎとる。鼻をけずる。口の中に帯剣を差し込んで切り開く。目の下に帯剣を横にして突っ込むと、魚の目のようなドロリとした白いものが五寸くらい垂れる。こんなことでもやらないと、ほかに楽しみがない。上陸以来久しぶりの遊戯なんだから。将校?知らんぷりをしていたな」
細かい部分は差異はありますが、大筋で一致しているので、本宮氏が引用したのは「田所証言」と考えてよいと思います。
元祖ニセ証言者『田所耕三』
南京戦史編集委員、板倉由明氏の著作から
南京事件でもニセ者、ニセ証言者の絶え間がなく、ハッキリしたものだけでも、古くは田所耕三(兵士)、秦賢介(新聞記者)などあるが、昭和五十八年の朝日新聞で紹介された中山重夫氏もその一人であろう。
『本当はこうだった南京事件』P234 日本図書刊行会 板倉由明著
『ザ・レイプ・オブ・南京』に引用されている田所耕三という人物は、南京陥落後約十日間にわたって、殺人と強姦を行ったと述べている(『アサヒ芸能』昭和四十六年一月二十八日号)。しかし、彼の所属する部隊は陥落二日後の十二月十五日には南京から転進しており、この人物が十日間も南京に残留できるはずがない。彼自身、のちに取材に応じて「記者が何かおもしろいことはないかと開いてきたので、あることないことを喋ったんだ」と、この発言自体の信憑性を否定している。
再審「南京大虐殺」 明成社 竹本忠雄・大原康男著
田所氏は南京に二ヶ月くらいいたと証言していますがこれはありえません(次頁参照)。また、本人が虚構を認めたということですからニセ証言と断定して問題ないでしょう。
本宮先生も、写真を書き換えたり、ニセ史料を引用してみたり、存在しない事件を創作してみたりといろいろと忙しいようですが、訂正記事を出す暇はないようで(笑。
この回も含めて「単行本」にまとめるそうですがどのような手法で反日プロパガンダを行うのか、今から非常に楽しみにしています。
<参考リンク>
・171.東中野修道他 「南京事件 証拠写真を検証する」 草思社(2011.10.9.)
http://www.geocities.jp/kawasaki_to/d-nankinsyasin.html
・「南京大屠殺」記念館
http://satehate.exblog.jp/18629427/
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